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原始・古代

お約束 前編

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12月6日(木) 朝 雨 昼過ぎから曇り 最高10℃


ピピピピピピピピピピピピッ!たしっ…!

 「んんー…あ、れ?」

 変だな…。
 多神さんと白い世界with墨汁の香りで会話した記憶が全く無いまま、朝を迎えている。
 詳しく言い直すならば、いつも話した日は全くもって寝た気がしないのに、今日はここ最近で1番良く眠れた気がする。
 いや、でも待てよ…。記憶がすっぽりと抜け落ちているだけで、実はちゃんとお喋りしてたとか無いかな?

 ゆっくりと上半身を起こし、黒地に白ドット柄のパジャマの袖口を念のため左右両方嗅いでみる。スンスン…。

 「柔軟剤のフローラルの香り」

 当たり前か。今まで1回も墨汁の匂いがついた事無いわ。
 もし白い世界に行く度に墨汁の匂いをお土産に持たされたら、多神さんに『あの、香り残ってますよ…?』ってクレームをとっくに入れている。
 とは思いつつ、一応毛先の匂いも確認しておく。スンスン…。

 「はい、シャンプー」

 やっぱり多神さんとコミュニケーションを取っていなかったみたい。
 ええー…お守りの指輪にアポを念じる方法じゃ駄目だったの?いつもどうやってアポ取れていたかなんて分かんないよー。マニュアルをプリーズ。
 もし仮に…仮にこれが着信拒否だとしたら、多神さん早過ぎじゃないですか?
 まだ出会って半月ちょっとしか経過していない且つ特に揉め事も無かったのに、どんな心境の変化ですか…。
 束縛重めな彼女でも出来たんですか?だとしたら仕事に口出す女は止めた方が良いですよ。その女のせいで職場の人との関係がギクシャクしますよ。

 まぁ、今は起きます。もーにんぐですから。


***

 「着拒だよ?着拒。肝心な時に連絡取れないなんて、別れの原因になるやつだよー。信じらんなーい」

 先に卵スープにご飯と梅干しを入れたなんちゃって雑炊を食べていた人に、恋に生きる女風に短い毛先を指に絡ませながら不満を伝える。
 本音を言えば多少の不安と心配はあれど、別に多神さんに対して特に主だった苛立ちは無い。取り敢えず文句を言っておきたいだけ。
 ちなみに自分も昨日とは打って変わって寒いので、お向かいさんと同じメニューを食べ始めた。

 「ふーん」

 ありがとうございます。今、心底どうでも良いと思っている相槌を貰いました。相槌は何個あっても良いですからね。(某お笑いコンビ風)
 ただ、せめて……せめてだよ?一瞬で良いから目線をこっちに向けてよ。何頑なにお椀の中の雑炊見つめちゃってるの。

 「多神さんにさ、昨日ぶつかっちゃった人が大丈夫なのか、(みーちが連打したボタンは平気なのか)…とか聞きたかったのにさぁ。忙しいならそう前もって教えて欲しいよね。『この日は絶対外せない予定があるから駄目だ』とかさ」
 「あの神様は、いきなり腹パンかましてくるあーち通り魔とは暫く距離置きたいって絶対思ってるでしょ」
 「酷いっ…!悪意ある言い方したーっ!」

 おいおい…。やっとこっち向いて話してくれたと思ったら、加害者を蔑む目をしてんのかい。
 確かに事実だけを切り取ればうちが拳を当てた。でもあれは事故だし、もうその場で円満に和解してるから第三者がとやかく言った所で終わった話なんだよ。うちとカレとの関係は終わったの。
 そしてよくよく気付けば、多神さんが然り気無くみーちに卑怯者扱いされている。問題事には首を突っ込みたくないセコい奴だと思われている。

 「ま、あの神様には見放されたんだよ」
 「ねっ、ねぇ実々ちゃん…何で昨日から多神さんの事を[あの神様]って呼ぶの…?」

 昨日はみーちが怖過ぎてツッコめなかったけど、今日は勇気を振り絞って聞いてみた。
 みーち的には[私たちに親身になってくれた神は死んだ]って事なんだろうか…?ニーチェなの?日本の神様にも【神は死んだ】は適用されるの?
 上擦ってしまった声で尋ねた問いに返ってきたのは、やけに滑舌が良い淡々とした口調による回答だった。

 「[多神さん]って何度呼び掛けても思っても何の反応も無かったんだよ?だったらもう[あの神様]で良いじゃん?それに他の神様達とちゃんと『あの』って指事語で差別化してるし」
 「みーちゃん……」

 なんて辛い心情の吐露なんだっ…!
 原因が山椒とアボカドを買いに抜け出してしまったうち自身じゃなかったら、椅子から立ち上がってみーちの事を思い切り抱き締めてあげたのに!
 そうすれば、『あの神様で良いじゃん?』って言った瞬間の無邪気に微笑んだ顔を真正面で見ずに済んだのにっ…!恐怖で3日くらい寿命が縮んだよ。
 しかしながら今の発言で、みーちの多神さんに対する信用は日本海溝からマリアナ海溝に近い深さにまで落ちているのが分かった。信用を築き上げるのには多大な時間を要するのに、崩れるのは本当に一瞬って事が嫌でも分かった。
 でもここは姉として、過去で暮らす事になった理由と多神さんへの信用を粉微塵にするきっかけを作った張本人として、一言ちゃんと伝えなきゃいけない事がある。…何でかみーちの顔を見ると勝手に目が少し潤んでくるけど。

 「多神さんにも何か痴情のもつれ退引きならない事情があったんじゃー…」
 
 チャリッ!

 「「ん?」」

 多神さんはきっと愛情が嫌に重い女のせいで大変なんだよと伝えようとした途端、昨日のうちの泥棒まがいの事件後以降テレビ台の上の1番右端に赤と青のボタンに立て掛ていた唐ガマちゃんが前方に倒れて鳴った。
 うちらは今、とんでもない超常現象を目の当たりにしている。これはポルターガイストなの…?
 今まで1度も自己主張なんてしなかったのに唐ガマちゃん、急にどうしたと言うんだ。うちらの終わりの見えないほぼ同じ声による会話を散々聞かされ過ぎて命が宿ってしまったの?『どっちが喋っとんねん!』ってツッコむ為に。……違うかー。
 冗談はさておき、思い当たる可能性は1つしかない。

 「これはもしや入金の音じゃない?」

 今までは常に廊下の鞄に入れっぱなしだったから入金時の音を聞いたことが無かっただけで、人知れずいつもチャリーンと鳴っていたのかも。

 「私はあの神様とは距離を取ってるから、あーちが確認して」
 「んなっ」

 みーちは冷たく言い切ると同時に食器を持って立ち上がり、流れるようにシンクに置いてリビングから出ていってしまった。
 えぇー…ちょっと待ってよー。
 神様と距離を取ってるって何…?
 『わたし、宗教とは距離を置いているので…』とか言うのと同じ?自分無宗教なんでってか?
 どんだけ昨日のボタンで多神さんが無反応だったのに対して根に持ってるのさ…。山椒とアボカドじゃ神様じゃなくとも動かないよ?
 『あの神様』と強情に言い続けるのと言い、本当にみーちは意地っ張りさんなんだから。
 兎に角、多神さん!彼女にかまけてる場合じゃなさそうですよ!大切な信者が1人棄教もしくは退会しちゃいますよ!…何の神様か存じませんが。ここでは便宜上【多神教(仮)】ってしておきますけど。

 で、可能性って言うのは1つずつ潰していかないといけない。
 多神さんにアポが取れなかったのは、日々の入金チェックをせずに買い物の時にしか確認をしてこなかったからかもしれない。
 つまり、今確認して感謝を告げる事で変わる未来があるかもしれないって事。
 ならば唐ガマちゃんの中身を見るっきゃない!
が、まだ食べ途中だから食べ終わってからにする。食事中は極力立たない&スマホとかは触らないマイルールを遵守したい。

 唐ガマちゃん初めての自己主張から約5分後、食後にお茶も飲みきってシンクの桶の中に食器を浸してから、テレビ台の前に来た。
 そして恐る恐る唐ガマちゃんを両手で持ち上げる。心なしか、昨日最後に持った時より微妙に重い。
 (そう言えば、唐草文様も飛鳥文化の1つなんだよ。意匠は各国異なれど世界中で見られる蔦文様なんですよ、実々さん。)と、この場にいっこうに戻ってこない人に心で語りかけながら、少し緊張しつつ留め金を外す。

 パチッ!

 「おおっ!?」

 中にはそのまま入った現金と、2つの厚みが異なる白い封筒が入っていた。
 厚い方は昨日も見た、今までの【わたにほ】の文字数分がまとめて入っているもの。
 つまり考えなくても昨日打った分は薄い方。でも流石は多神さんで、取り出してみるとご丁寧に封筒の真ん中に[十二月五日]と流麗な筆文字で書いてあった。
 では、拝見致します。

 「んむ?また紙が入ってる!」

 きっかり綺麗に三つ折りにされた千円札2枚と566円分の硬貨5枚の間に、これまで2回程見たことがある折り畳まれた紙が入っていた。
 どれどれ~。ペラリとな。

 『すまん、明日な』

 …………え。
 うちのお父さ…いや、多神さんは忙しかったのか。そうだったんですか。
 何はともあれ今晩話せるみたいだし、この文面から察するにアポもちゃんと取れていたみたいだから良いのかな。
 でも、一言言わせてもらうなら…
 
 「これ、栞に出来ないよ!」

 どうしても【わたにほ】のその日のまとめに入りきらない事件とかは、流れとかバランスを鑑みてこれから出てくるでしょう。でも……この一言は妥協でしかないわ!
 まず、『すまん』って…。力量不足モロ出しじゃん。
 それに本に挟むタイミングは多分、【わたにほ】を打ち出す前だろうし、明日に持ち越す気満々の確信犯でしか無い。第一、うちは『すまん』なんて言わない。
 仕方無い。この紙は裏面を買い物メモとして使ってからお別れしよう。
 自分の中で良い解決案が出たので1つ頷いて、唐ガマちゃんを元の位置(赤と青のボタンの前)にそっと感謝の気持ちを込めながら戻してから、メモ用紙として使われる最終就職先が内定した紙をダイニングテーブルのうちの席に置き、掃除機を取りにその場を後にした。

 そこから洗面所、娘たちの書斎と言う名のおやっさんの部屋、我が家の女性人の寝室と順繰りに掃除機をかけ、リビングまでやってきた。

 すると、なんということでしょう。

 テレビとソファの間にあるローテーブルの下に、小さな紙クズが落ちているではありませんか。
 掃除機のスイッチを切って、それを拾い上げて開いてみると……さっきまで二つ折りだった多神さんのメッセージだったのです!もうクッシャクシャ!メモ出来ません。

 みーち……見たんだね。
 すまん、うちがテーブルに置いたばっかりに、『これ何だろう?』って好奇心で開いてみて、ムシャクシャしてクシャっとしちゃったんだろうね。
 でもポイ捨ては駄目だよ。いらないならちゃんと古紙回収用の紙袋に入れてくれなきゃ。掃除機で危うく吸って詰まるところだったよ?
 ほろ苦い気持ちのまま最終就職先に蹴られた紙をポケットにしまい、再び掃除機のスイッチを入れてふと気が付いた。

 うち、『すまん』って心の中で言ったわー……と。

 この更にモヤモヤとしてしまった胸中は、お昼ご飯のカレーうどんのスパイスでスッパリと忘れてから午後を乗り切りたい。
 一人で伏線を張って最後に回収するとか、お笑いの教習所でのネタ作りレッスン初級編にありそうな事をしてしまったなんて……。

 自分が情けなさ過ぎて悲しくて恥ずかしっ……!
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