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原始・古代

実々:調味料と嗜好品

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 あーちは玄関に入ると直ぐに肩にかけていたナマケモノバッグを置き、晴々とした笑顔で靴を脱ぎながら嬉々として喋り出した。

 「山椒を買いに行ったのね!でね、レジに行く前に野菜売り場をチラ~っと見たら、アボカドが1個98円になってたの!爆安って思って2個買っちゃったー♪折角だからみーちも1口食べてみる?美味しそうなの選んだんー…」
 「座りなさい」

 いや、最後まで言わせないからね?というか私が怒っているのが分かってるのに良くもまぁこのタイミングで【アボカド】の名前出せたね?

 「ひへっ…」

 私の有無を言わせない姿勢に怖気付いたのか、変な声を一声洩らした後あーちは固まってしまった。
 私がそんなあーちを見つめながら組んでいた腕に少し力を入れると、パーカーから普段聞かないギチィ!という音が玄関にいやに大きく響いた。……今、握力測定したら自己ベスト出そうな気がする!!
 あーちは私のパーカーを見たまま数秒フリーズしていたものの、流石と言うべきか鋼の心臓と脳みそ故に私の怒りの理由に未だ思い当たらないらしく、首を軽く傾げながら靴を揃えて立ち上がった。
 そして再び私と目があったところでようやく私の怒っている理由に気が付いたのか、目をかっ開いて声をあげてきた。

 「……はっ!スマホに連絡してくれてた!?キンちゃんの横で鳴っちゃったでしょ?忘れー…」
 「それじゃねえよ!何勝手に山椒だけでなくアボカド無許可で買ってんだよって話だわ!グダグダくっちゃべってないでとっとと手ぇ洗って着替えてテーブルんとこ座りなさいっ!」
 「はわっ…」

 私の剣幕にあーちはまた変な声を漏らしたが……容赦はしない。
 
 「……返事」

 と、私が一言言うとあーちは「は、はいっ!」と慌てて返事を返して、あたふたと洗面台の方へ向かっていったのだった。
 私が玄関からリビングへ移動する途中、遠くから「ゴンッ!」と何かにあーちがぶつかる音が聞こえたが……今の私にはどうでも良い。

 リビングへと戻り、私はあーちのカップに緑茶の粉末を入れ、沸き立てホヤホヤのお湯を注いであーちのテーブルにセットしておく。
 カップから湯気がもくもくと立ち昇るのを眺めながら最早ただの無限スイッチになりつつある赤と青のボタンを私とクマのぬいぐるみの手で「カッチカッチ」と押してあーちを待つ。……もはや神は死んだ。

 あーちはリビングに入ってきた時にこちらを見て一瞬ギョッとした顔をし、その場で立ち止まりかけていたが、私があーちの方を一瞥するとサッと目の前の席に両手を膝の上に乗せて着席した。

 ……自分の立場が理解出来ているようで何より。

 ……さて、はじめようか。【カチッ】

 「言いたいことは沢山…、うん、それはもう沢山あるんだけど、反省の気持ちはある?」【カチッ?】
 「ふえっ?!…あ、あります!」
 「言ってみ?」【カッチ】
 「…っ?!か、勝手に山椒を買いに行ったことと、アボカドを買ったこと…?」
 「…なんで疑問系?そもそも何も言わずにこの家の全財産を持って出て行ったことがどれだけ罪深いか分かってる?」【カチカチッ?】
 「は、はいっ!いや、あの時はもう山椒のことしか考えられなかったの。今考えると良くなかったなぁーって思い…ます。はい」
 「そもそも山椒はそんなに我を忘れる程に無いと駄目なものなの?絶対必要ってものじゃ無くない?私の中では嗜好品の部類に入るんだけど?」【カチカチカチッ?】
 「ひ、必要だもん!!うちにとっては無くてはならない調味料だもん!!」
 「……ちっ!!そんなあーちにとって必要な調味料の価値をあーちは突発的な行動で地に貶めたね。私の中の山椒はもう親の仇っていうか不倶戴天の敵になってるわ」【カチッ!!】
 「…ひいっ!」
 「でさ?百歩…いや、一万歩譲って山椒を買うのは良い。だけどさ?今日って何日?」【カチ?】
 「…ふへっ?!い、五日です、はい」
 「そう、五日だよね?うん。それであと三日待つと何日?」【ガチッ】
 「…へはっ?!よ、八日で…す」
 「だよね?あとたった三日で八日になったよね??……なんで待てなかった?なんで何でもない日に山椒買っちゃった?ましてやアボカドを2個も…どうしてだか言ってみ?」【ガチガチッ?】
 「…はわっ、はわわっ!!いや、ほ、本当に軽率な行動だったと思っております。でも山椒は三日も待てな…ひっ…です。ア、アボカドは…つ、つい出来心で…だって98円だったんだよ?買うでしょ!それに5%OFFの時には絶対アボカド値上がりするもん!!……ひ、ひいっ!…二、二個買ってしまったのは…は、はい、調子に乗ってました!!」
 「うん、完全に調子に乗ってたよね?いくら安くたってアボカドは一つで十分でしょ。だってあーちしか食べないんだから。ねぇ?」【カッチ?】
 「は、はいっ!い、以後気をつけます…」
 「…肝に銘じておくように。それでさ?スマホを置いていったのも重罪だけど、どうして24分もあれば行って帰って来られる買い物に41分も掛かっていたわけ?」【カチッカチカチッ】
 「そう!それなんだけどさ!慌てて出て行ったからいつも曲がらないといけない道を曲がり忘れてて生垣の所に行っちゃってさ、ほら?あそこ死角になってて人がいつ飛び出してくるかわからないでしょ?だからぶつからないように先に右手の拳を『えーい』って突き出したの!そしたらさ、丁度通りかかった人の鳩尾にヒットしちゃったの」
 「……は?」【カッ…チ?】
 「でもでも!軽ーく擦っただけで、しっかりとは拳は入ってないから安心して!出会った青年は蹲っちゃったけど、それは驚いたからって言ってたし、それに縫ってないから安心して!」
 「何を!?」【ガチッ?】
 「なんか病院に入院してる雰囲気で、ちょっと当たっただけの鳩尾をずっと押さえてたから縫ったばっかなのかなぁ?って思って、『縫ってますか?!』って聞いたんだけど縫ってないって」
 「…ッ!お巡りさんコイツです!!逮捕逮捕!!」【カチカチカチッ!】
 「あっ!それと、青年は『あ、倒せそう』の具現だったけど、倒してないからね。ちゃんと和解したし!」
 「神様も警察も何してるの?ここに暴行罪が適用される人間居るよ?しかも『あ、倒せそう』って会話してて思わないでよ…。ちゃんと謝り倒せよ!!あっ!倒せって言っちゃった!!」【カ、カチャカチャ!】
 「ふふっ。……あっ、あー…、みーち?あのさぁ…、クマと一緒にボタンを沢山押してるけどそんなに押しちゃって大丈夫?多神さんビックリしてるんじゃない?」
 「……っ…。このボタンはただの無限プチプチとかペリペリなやつと同じだから。こんだけ押しても神様は何もしてくれなかったし、現に今も神様から何のアクションもないでしょ?……だから押しまくっても良いの」【カッチ…カチ】
 「…みーち。…あの、……そのボタンうちも押してみて良い?」
 「ダメ!!この無限スイッチは今、私の鬱憤を晴らす安定剤の役目も担ってるからあーちには押させない!!」
 「ええーっ!何も起こらないなら折角だし、うちもカチカチしてみたい」(悪ノリ)
 「ずうぇったいにダメーー!!ほら、お茶も飲んだならサッサと逃走前の続きやれ!そしてアボカドと山椒代をキッチリ入力して取り戻せ!!ほら!行った行った」【カチカチカチカチッ!】
 「……くっ!ここは一度退くか。後でずうぇったいずうぇったいに押してやる~!カチカチカチッ!!」(悪ノリ)

ドタドタドタッ……【あーちが走り去る音】

 「……ふぅ。さて、夕飯作るか」【カッチカチッ】

 無限スイッチの所為で心身共に疲れたが、スイッチのカチカチ音で少しだけ心に落ち着きを取り戻した気がする…。
 まぁ、多神さ…あの神様は暫く許せそうもないけど。

*****
同日 夜

 今日の晩御飯はあーちにリクエストを聞かずにカレーにした。
 カレーが食べたいというよりは、スパイスの効能で今日あった嫌なことを少しでも忘れられたら…という淡い願望と明日のお昼をラクする為である。

…―グツグツグツー…

 「あ、あのー…お手隙で見て貰えませんか?」

 あーちが怖々といった感じでリビングから声を掛けてきた。
 『ちょっと待ってろ!今ルーを入れた後の大事な仕上げしてっから!』と心の中だけで返しておく。

 「あっ!あのー!」

 まぁ、心の中で返事をした訳だから聞こえてないのは当然なんだけど…今 私は大事なかき混ぜしてるんだって!!

 「聞こえてっから!ちょっと待ってろ!」

 グツグツグツ…まぜまぜまぜ…カチャッ!

 「ふーう。やれやれ…。見せてみぃ」
 
 良い具合になったのでガスを消して席を立って迎えてくるあーちの方へ行き、「お願い致します」と言うあーちの言葉を横で聞きながらいつものように読み始めるー…どれどれー…

……………………。【わたにほの内容】

(蘇我馬子と物部守屋とか懐かしいな…)
(冠位十二階!でも位の色の順番は紫が一番上ってこと以外全然わからないや)
(妹子キター!煬帝は世界史でもやったな~、全然覚えてないけど☆)
(紙とか墨とかこの頃なのか…)
(おおっ!官吏等用試験キターーーー!!1905年まで続いたっていうのが凄いんだよね~、官吏試験についてなら結構語れる自信あるわ~)

……………………。【読了】

 キンちゃんから目線を外すと直ぐに横から声が掛かってきた…『余韻』って知ってる?

 「飛鳥時代は今のところpart4までの予定。もしかしたら5になっちゃうかもだけど、そしたら深掘りし過ぎちゃうかなーって思って、自重するために4回」
 「……聞いても無いのによう喋るな」
 「ひっ…」

 …怯えんなや。
 じゃあサクッと質問しますかね~、えーっと…アレだ!

 「で、質問して欲しいんでしょ。じゃあー…何で紫色が1番高貴な色なの?まぁ中国の影響なんだろうけど…」
 「えっ…紫?」

 あーちは口元が勝手にヒクッと引きつって、私からの質問に動揺と驚きを隠せないといった感じだった。
そしてそんなあーちを見つめ続けていたら、まとめているであろうノートを目をかっ開きながら捲り…お、見つけたみたいだ。

 「えーと…陰陽いんよう五行説の五常が<仁・礼・信・義・智>で、各々当てはまる色があるんだけど…紫はそのどれにも当てはまらない色だから、五行を統べる色だって考えだったらしい。あ、あとこれは個人的意見になっちゃうけど、紫は染料が貴重だったのもプレミア感を出してた理由の1つだったのかも」
 「あ、そう」

 うーん、途中まで良かったんだけど個人的意見でなんか安っぽい説得になっちゃってるな~。紫の染料が貴重なのはみんな知ってる感じの話だし…。
 
 「うん……」

 まぁ、頑張って調べてくれてたから良しとしましょう。じゃあお次はー…

 「んじゃ、次ね。日本では科挙的な官吏登用試験無かったの?」

 これが気になってたんだよね~。『中国はこの頃からずっと登用試験あるけど日本はどうやって役人を選出してたんだろう』って…。
 世襲制な感じもするけど初めて起用される時なんかやっぱり選ばれる素養とか素質ってあると思うんだよねー。

 「んんっ?」

 またしても予想外の質問だったのかあーちは眉毛をハの字にして気難しげに口を開いてきた。

 「試験はあるけどもうちょい後になってからなの。それにこの時は字の読み書きが出来るのは、僧尼とかの仏教の経典を読んだりしてる人と支配者層や知識層だから、試験いらないよね」

 …イラっ!

 「ん」【ムニっ】
 「いてっ」

 …はっ!思わずあーちの右前腕をつねってしまった。
 くそっ!識字率か。まだ本当に限られた人しか字が読めていなかったなんて!!日本遅れすぎだ…。

 あーちはつねられた腕をそっと見ながらも私から一歩離れて真面目な雰囲気を出しつつ恒例のクイズを口にした。
 
 「では、クイズです。今までの宗教と仏教には明確な違いがあって広まったんだけど、その違いとは何でしょう?」

 カチカチカチ…チーーン!!【シンキングタイム】

 「んー…仏教は修行して神になるとかの要素が謙虚!堅実!な精神を養う上で良かったとか?あと絶対神みたいのが居なかったのが良かったんじゃん?」

 謙虚さと堅実さとか今、正にあーちが必要なものじゃない?それに、仏教は人に寄り添う感じがするかな?

 「お、おーう…」

 あーちは私の発言にたじろいでまた半歩ほど距離を空けてきたが、正解を辿々しくも教えてくれた。

 「えっと…今までは山とか巨石とか巨木に神が宿っていて、神自体は視認出来なかった。そこに仏像と言うバッチリ見えるものが登場して、信仰しやすかったのが理由の1つって本にはあったよ」

 ……………………。

 「ほう。質問の仕方が悪いな」

 ……完全に質問の仕方が悪かったよね?

 「はい…以後善処します。で、最後にこれはみーちの意見を聞きたいんだけど、冠位の<義>は白色だったって考えられてて、白色の濃淡って何だと思うー?」

 白色の濃淡??うーん…と考えていたらあーちがそわそわと落ち着かない感じで立っていた。…トイレか?
 まぁ、質問しておいてトイレ行くとかはちょっとおかしいか…。さて、単純に考えて生地の濃淡って……

 「生地の厚さじゃん?透けてたら薄く見えるし。もう良いでしょ。カレー温め直すわ」

 はぁ、もうこんな時間だわー…と思い言い逃げのようにキッチンへ向かっていったら後ろから「しっ…、し、新説だーーっ!」と、いう叫びが聞こえてきたけど…無視。

【チチチチチッ…ボッ!】

 「カレー食べる人…?」(小声)
 「はい!はいはーいっ!」

 意地悪で小さい声でカレーの有無を聞いたのにあーちは耳聡くも返事を返してきた。……やるな。
 さて、今日はカレーを食べてお風呂でじっくり温まって早く寝ようっと。
 

12月5日(水)

 今日はあーちがとにかくヤバかった。
 山椒の缶の匂いを嗅ぎ出したのもヤバかったし、絶叫したと思ったら何も言わずに家を飛び出したのもヤバかった……。

 【多神さ…】神様もひどかった。
 もう私に神の加護は無いんだろう。これからはあのスイッチは私の精神安定剤的な感じであーちにイラっときたら押そうと思う。

 夜はカレーにした。明日はカレーうどんだ。今日は早く寝る。
                    end.
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