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原始・古代
【ない】がある 中編
しおりを挟む「ぐぇ」
やってしまった。
目の前でユルユルと前屈みになっていき、自分より低い位置まで下がってきた相手(推定男性)の白色の頭を見ながらそう思った。
また同時に、今の素直な気持ちとしてこの現実を有耶無耶にするべく即刻気絶したいと思った。
気絶出来たらおあいこって事にならないだろうか?この蹲っている相手に対して、お見舞いしてしまった右手は無傷だけど。
いや、取り敢えず今やるべきことは相手に声を掛けること。一向に自分が気絶する気配も無いし。
悪意など全く無かったんですよ、でも反省する気持ちはしっかりありますよーと、表情と口調に乗せながら話し掛ける。
「あっ!あのっ…、大丈夫ですよねっ!?」
「……え?」
「へっ?」
呼び掛けながら肩に手を添えて相手の姿勢を起こそうと手を延ばし、あと少しで肩口というタイミングで、こちらからの質問を小さい声で疑問符を返して来た。意味が分からない。
お互いに唖然として二の句が継げなくなり、うちらのすぐ横を通る車の走行音がやけに大きく聞こえた。
ひょっとして、この人は街角で予想外の拳が当たったショックで突発的な難聴になっているのだろうか?それともうちの言葉が分からなかったとか?
自分がここら辺の地理に詳しくない外国人であると偽るために、“Are you OK ?”と咄嗟の機転で質問したわけじゃないのに何故?
普通に『大丈夫ですよね?』って聞いただけー……
「ええっ!?あ、あぁーっ!!大丈夫なの前提で聞いてた!!うわー!本当にごめんなさい!大丈夫ですか!?」
動揺とリンクして予想以上に強い力でガバッと両肩を横から掴んでしまい、その勢いで相手がフラッとしてしまったが何とか持ちこたえてうちの希望通り立ち上がってくれた。
ふわっと軽く拳が当たっただけだし大丈夫だろうなって思ったのが見事に、確認と言う名の付加疑問文になってしまっていた。決して、『こんな拳痛くもないでしょ?ほら、大丈夫でしょ?本番はこれからだよ。はよ立て』ってニュアンスで言ったものでは無い。
と、今も家でご立腹であろうみーちに遠隔で自己弁護をしながら、うちより随分身長が高くなった相手が完全に自立したところで手を離し、謝罪の意味を込めて頭を下げたまま2歩下がる。
そして顔を上げながら改めて相手に誠心誠意謝罪をする。
「本当に何から何まで申し訳ございませんでし、た…?」
顔を完全に上げきり、相手の全身が視界に完全に入ったところで不可抗力にも目を開いたまま固まってしまった。大変失礼だとは分かっているが、こればかりは致し方ない。
何故ならうちの被害者様は、【あ、倒せそう】と万人が思っちゃうであろう完成形だったからだ。
身長は男性だと小柄な部類に入る170cm位で凄く華奢、見た目年齢は成人したて。オーバーサイズのアクアブルー?のパーカーに、白色のこちらもユルっとしたパンツを履いている。足元はクロッカスと一文字違いのブランド名のベージュのサンダルを、冬なのにチョイスしている。
なんと言うか、全体的に服に着られている感が否めない。
しかし、そんな服装よりも遥かに容姿の方が釘付けになるのだから凄い。
薄幸の美少女のような卵形の小さい顔は抜けるような白い肌で、腹部にそっと置かれた手指も手タレのように細く洗練とされた綺麗さ。やや吊り目な切れ長の瞳は『良く見つけたね』と思わず労いたくなる、パーカーと全く同じ色のカラコン。鼻はスッと通り、薄い唇と合っている。
そして当初から目に入っていた『どこの美容院行ってるの?』と、聞きたくなるツヤツヤの真っ白な髪は肩の上で切り揃えられていて、前髪は眉の高さで目力を絶妙に演出しているのだが……。
何故だか左前の一房だけは長く、鎖骨の上の高さで青い5cm程のガラス玉?で纏められ、玉の下から流れる髪色はこれまたパーカーカラコンと全く同じ色で脇の下くらいの長さをしている。
うん、一言で表現するならば色に対する執念が凄いわ。
凡人の域から一歩も出られないうちの思考と感性ではとてもじゃないけど理解出来ない。ただ、この人がナマケモノのグッズを進んで買う人種では無い事だけは分かる。
それにしても…髪を纏めている玉がどんな構造なのか気になる。走ったら鎖骨にガンガン当たって痛そうで気になる。
「凡人は曲がり角で拳出さねぇから。やっぱ姉の方か…」
「へ?」
何か喋った。
この人が混雑する電車に乗っていて、その電車が急ブレーキしたら、藁にもすがる感じで毛束掴まれそうだなって妄想をし始めたところに、ボソっと言われたから何て言ったのか全く分からなかった。
ん?それはそうと、辛うじて耳が捉えた声は中性的な高さだった…?…え?実は女の子だった?
「あの、何度もごめんなさい……良く聞こえなかったんですけど、どこか痛みはありますか?」
(2人の間に妨害電波は無いはずだから、もう少し大きな声でお願いします)と、目で訴えながら仕切り直す。
「えと……俺の方こそごめんね。ボーっと歩いてて完全に不注意。いきなり手が当たったから驚いただけ。痛くなかったよ」
「なら良かったです」
男の子って予想が当たっていて良かったです。
そして、年下だと勘違いしてくれているようで良かったです。
もし、ここで自分は三十路だとカミングアウトしたら警察沙汰にされてしまうのだろうか…。みーち、絶対に迎えに来てくれないよ。よし、大人しく黙っておこう。痛くなかったって言ってくれたし。
期待以上の返答にほっと一安心して、思考がクリアになったことで相手に対する違和感の理由に気付いた。
この人、ずっと右手を胃のあたりに置いたままだと。
そこは多分、高さ的にうちのグーパンの接触地点…。
しかも良く見るとちょっとその手が小刻みに震えている…。
おまけにこの青年の進行方向……うちが来たこの道を真っ直ぐ戻って突き当たると病院…。
この人の格好、入院患者…?
もしや……?
驚愕の事実に慌てて前のめりになって相手に確認を取る。
「縫ってますかっ!?」
「えっ!何をっ!?」
手術で縫ったばかりの所に手が少しでも触れたら誰だって驚くし、下手したら縫い目が開いちゃうかもって不安になるのに…。
縫いたての時は欠伸だって神経を使うって知っているのに…うちったら、どうこの場を切り抜けようかって策を巡らせるばっかりだった。
責任を持って病院に付き添おう。
心底反省している事を表情に出しながら同行を申し出ようとした途端、青年が何か閃いたのか掌に拳を当てるレトロ臭漂う動きをした。
「はっ!もしかして!俺が腹を縫ってるかって聞いたの?」
「はい……」
自然と自分の犯した罪によって俯き答えながら、また失敗してしまった事を理解した。
最近はみーちとしかまともに会話をしていないから、言わなくとも伝わるものだと思ってつい主語を抜いて聞いてしまった。友人達にそれは双子の特殊能力だからって何回も言われていたのに…。
でも、このタイミングで『お裁縫してますか?』の意味では誰も聞かないと思う。それ、怖いと思う。
「縫ってないから!手はここが落ち着くからクセで添えてるだけ!」
「本当ですか?何処も異常は無いですか?むち打ちとか…」
「無い無い無い!ほらっ!手を離しても何ともないから!ねっ!」
うちの懐疑的な様子に気を使って、自ら腹部から手を離して落ち着かない状況になって元気であると証明してくれた。間違いなくとても良い人。
ただ、両手を頭の横に上げてくれたから、うちが今まさに何か犯しているように外部からは見えないだろうかと思う。
謝意を伝えるようにゆっくりと頷き返して手を下ろして貰い、1人の責任ある大人として言わなくてはいけない言葉を真剣に伝えるべく口を開く。
「さらに煩わせてしまってすみませんでした。あの、今は大丈夫でも後々痛みが出てくる事があるかもしれないので、何かあった時に連らく―…」
言いながら、はたと気付いた。
このご時世に連絡先を易々と教えても平気なのだろうか?
この人は良い人だと思うが、仲間にこの件を伝えた事で義憤に駆られた仲間がお礼参りに来ないとは限らないのでは無いだろうか?
本来出会うはずも無かった人に過去で会い、自ら積極的に関わるのは大丈夫なのだろうか?
何より、綺麗な青年にわざと当たり屋をして、その流れでナンパしてるように世間は思わないだろうか?
うーん…でも、ここで『異常が起きましたら多神さんと言う神様にお祈りして下さい。きっと良きに計らってくれます』なんて真摯な表情で伝えたらそれこそ新興宗教の相当な信者みたいだし、それこそ心に深い恐怖を植え付けてしまう。でも、かと言って自宅の場所を教えるわけにもいかないし…。
どうしようどうしようと視線をさ迷わせて最適な言葉を探していたら、青年が1歩こちらに近付いたので考えるのを一時中断し相手の顔を見上げる。
すると、人懐っこい笑顔を惜しみ無く披露してきた。
「本当に大丈夫だよ!その気持ちだけで十分だし、そもそも本当に何とも無いから!それに多分急いでたよね?ごめんね俺、足止めしちゃってるよね?もう行くね」
こ…、こっ、これが世に言う満点以上の答えか!
色への執念が凄いわーとか思ってすみませんでした!
貴方様は、心もアクアブルーのように澄んだ綺麗な好青年でした。笑っている表情も最高に綺麗です。
感動で打ち震えながら生垣が終わるところまで後退し、身体の向きをずらして道を譲る意思を表示しながら最後に一声かける。
「こちらこそ貴重な時間を取ってしまってすみませんでした。もう会えるか分かりませんけど、本当に何かお体に異常があったら、道端で再会出来た時にでも遠慮無く一言、正直に伝えて下さいねっ!私、小澤って言いますから!」
アワアワしながら早口で伝えると、目を1度大きく見開いた後にクスッと今度は優しげに笑い、うちの行動の意図を汲むべく歩き出した。
「小澤さんね。覚えとく。み……しくー」
「ん?あれ?……へ?」
丁度青年が真横を通る時に一昨日の夢で感じたような潮の香りが鼻先を掠めると同時に、囁くように何か言われた気がする。情報の渋滞が凄い。
もしかしたら改めて言い直してくれるかと、通り過ぎた背中を目で追うと、少し離れた所でこちらに上半身だけ振り返った状態で立ち止まってくれていて、ヒラリと大人びた表情で片手を振ってきた。
「んー…またね、が正解かな?小澤さんまたね」
「は、はい。また!」
うちがペコリと頭を下げながら言うのを見届けてから、ゆったりとした足取りでまた病院の方へと歩き始めた。
そんな青年は、最後の最後までサプライズを用意していた。
無地だと思っていたパーカーはバックプリントに全振りしたものだった。
『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が背中全面に描かれ、フードには富士山の丁度真上に来るように計算され尽くした太陽が、本来の当該水墨画には存在していないのにも関わらず燦然と己の偉大さを主張していた。
「イカしてる……」
無意識に口をついて出た賛辞を突然鳴り出したパトカーのサイレンがかき消してきて、ハッと現実に戻された。
「そうだ、山椒っ!」
今一度、もう小さくなった青年の背中に(お大事に!あと肩細すぎだから沢山食べてね!)と念を送ってから、急いで事故現場に小走りで戻った。
そして今度は手をグーでは無く、全てを包み込むパーにして曲がり角に出して軽く上下に振り、「通りますよー」と自己主張&通行人の有無を確認してから進む。
今度は難なく大通りに出られた。うん、今度からはこうしよう。とてもスマートに出来たし。
にしても、いったい何分くらい青年と話し込んじゃったんだろう?時計が無いから分からない。
それに、慌てて小澤だよって伝えたけど、みーちが1人で歩いている所に彼が話し掛けて来たら、『え?誰?一色ですけど…』って恐ろしい状況になってしまう事に今気付いた。みーちと情報の擦り合わせをしとかないと!
その為にも一刻も早く帰らなきゃなわけで。
肩に掛けてあるナマケモノバッグの持ち手を固く握り、不可抗力の象徴である赤信号で止まるまで走ろうと決意し、地面を思いきり蹴り掛け出した。
「山椒うぉぉぉぉぉー」
サンショウウオは両生類。
オオサンショウウオは特別天然記念物。
よし、一先ず帰宅したら冷たいお茶を飲もう。
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