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原始・古代
書いてあると助かる 前編
しおりを挟む海の匂いがする。
何でだろう?東京湾よりも埼玉県の方が圧倒的に近い所に住んでいるのに。
取り敢えず瞼の向こう側が明るいし、もう起きようかな。
「うえぇーーっ!んなっ……!これ何事!?」
何で自分はパジャマに焦げ茶のサンダルを履いただけの格好で、駅前の大通りの交差点の真ん中にポツンと立っているのかしら?
えぇー……実は夢遊病だったの?誰もそんな事一切言ってくれなかったのに。これに関しては気を遣わずに教えて欲しかったわ。切実に。
てか、そんな事よりも人っ子1人居ないホラーが目の前に…。
紺地に赤と緑のチェックが入った開襟パジャマを誰にも目撃されない事と、車に轢かれる心配が無いのは良かったけど、良くない。
一先ず真冬の明け方であろう、この澄みきった空気の時間帯に薄着なのに全く寒くない状況はこの際置いておいて移動しよう。そうしよう。
安全確保のために歩道に乗り、そして改めて時計回りで辺りを1周ぐるりと見渡す。
「やっぱいつもの駅前じゃん…」
家から徒歩10分、途中で起きもせずに良くもまぁここまで来れたもんだわ。
この衝撃的な現実は、話のネタが全て尽きてしまった時にみーちに披露するか。今日はまだ言わない、怖過ぎてちょっと笑えないから。
よし、そうと決まればとっとと帰ろう。
信号もお店も全ての電気が消えているため、一応左右を確認してから家の方へと続く道へと横断歩道を渡る。
「それにしても……サンダル歩きにくいわ~」
「「「違う、そこじゃないだろ……」」」
ゴミ捨てと郵便受けまでの超短距離でしか使わない、ガボガボのサイズだから靴擦れしそうだし、覚醒するならせめて家の前が良かったなと思いながら数歩進んだところで、後ろから何やら驚愕が滲んだような声がダブって聞こえた。
げっ……最悪、人が居たんかい。しかも背後を取られている…。
何て言っていたのかは分からなかったけど、タイミング的にうちに対してツッコんで来ていたような気はバンバンしている。若干食い気味だったし。
このままスルーして何食わぬ顔で歩いても良いけど、不審者認定されて通報されそうだし、一言適当に返してから立ち去るか。うーん…「お気になさらず。私、正気ですよ」とでも言っておくかな。
やれやれと溜め息を1つ吐いてから足を止め、まだ後方に居るであろう人の方へとゆっくり振り返りながら口を開く。
「あのー…」
ザァアァァァァァァーッ!
視界を全て埋め尽くす濃い青色と一際強い潮の香りを感じた所で思わず目をきつく閉じた。
「うべぇ!何っ!?」
両手足をバタつかせてもがきながら再び目を開けると、青色は何処にも無く、見慣れた白い天井と照明だった。
そして必死にもがいた結果、掛け布団はお腹のあたりまで下がっていた。寒い。
「夢かー……」
上半身を起こし、自分に何か変化は無いかと腕や手指を入念にチェックをしてから確信した。うん、足の甲に靴擦れも無し。
おまけにパジャマは丸襟の黄緑と白のボーダー柄を着て昨夜就寝した事を忘れていた。そもそも紺地にチェック柄のパジャマをうちは持っていない。夢って怖いくらい判断力が鈍るものですよね。寒いのも気にしなかったし。
ま、それはもう良いとしてーー…
「生きてるう♪」
どこぞのプリンセスの目覚めのように、気持ち良く思い切り伸びをしてからルンルンで布団から出た。
就寝したが最後、そのまま永眠コースじゃなくて本当に良かった。まじで。
12月3日 (月) 朝 ずっと曇り 最高17℃
ガララララッ!
「みーちーっ!多神さん何て言ってた!?」
寝室で部屋着に着替えただけのまま、リビングに続く引き戸を開けながら気になってしょうがない質問をする。
それに対して目線を一瞬こちらに向けただけで、みーちは父ブッシュが前日に亡くなったと報じているテレビの方へと顔を戻し、本日の第一声を出した。
「ツラ洗ってから出直しな」
「んなっ…!」
尊い命が掛かっているのに、お気楽にパチャパチャ顔を洗ってる場合じゃないよ。
それに『ツラ』って。あまり宜しくないシチュエーションの時にしかほぼ使わないワード…。『ツラ貸せや』や『この家のツラ汚しが!』等が有名どころの使用例の単語のやつ。
「ほら、早くしないと多神さんが何て言ってたか教えないよ」
こちらを見ることもせずに、さっさと行けと手をシッシッとやりながら言われた。
うちは野良犬じゃないぞ。でも野良犬と同じで命は1つ…。この命は寿命までのほほんと全うしたい。もっと言えば清潔かつ健やかな状態で暮らしたい。くっ…!
「お、覚えてろーっ!」
負け犬では無いけど…うん、負け犬じゃないけど走って洗面台に向かった。きゃいんきゃいん。
***
「でっ!でっ!多神さんは『ダイジョーブ!無問題だから安心してこれからも過ごしちゃいなYO☆』って言ってくれてた!?」
身嗜みを整え、いつものようにホットグラノーラと緑茶のセットをテーブルに用意し、席に着きながら向かいでハニーバタートーストを食べている奇跡の童顔女性にソワソワしつつ聞く。
「多神さんいつからそんなキャラになったよ。てか大丈夫なのが前提なんだ」
訂正。我らが誘拐犯、多神さんは中間管理職キャラでした。愉快キャラでは微塵も無く、疲労感満載キャラ。
そしてまさかの後半部分は不安を煽るような返し!
妹よ…お姉ちゃんがどうなっても良いの!?こんなに明るくて前向きでユーモアが溢れまくっているお茶目なお姉ちゃん、そんじょそこらに居ないよ!?(麻来調べ)
むぅ~っと口を尖らせて恨みがましく見つめる事数秒、みーちはうちをジト目で見つめ返しながら漸く本題に入ってくれた。
「憲法19条」
「んへ…?」
憲法はそりゃ大学と資格を取るために勉強したけど、第何条が何についての記述かとかは全く覚えていないから分かんないよ…。それに何で今憲法が話題に出てくるの?みーちも絶対にうちが分からない事を知ってて条文の数字だけ言っただろうし。この悪女さんめ。
当の意地悪実々は、うちの困惑しきりの顔を見て満足したのか、口角を少し上げて薄く笑いながら顛末を話し出した。
「[思想と良心の自由]が憲法にあるし、神様もいちいち一人の人間の発言や考えをどうこうしようだなんて思わないってよ。そもそも住吉大神様は何事にも寛容らしいから、あーち良かったね」
「法治国家に感謝を!」
人生で初めて何の躊躇いも無く万歳をした。
そして、もし今も戦前の【治安維持法】みたいに個人の思想を取り締まる事が出来る憲法や法律が健在していたら即死だったのだろうかと言う、恐ろしい想像は全力で忘れ去るとする。
いや、でも住吉大神様は広い御心の持ち主らしいから、こんなちっさい三十路女が何か言ったところで激おこなんてしなかったでしょう。きっと海容してくれたはず、航海の神だけに。うん……うんっ!
安心したからか、知らぬ間に緊張で強張っていた身体から力が抜けていくのを感じながら、大役を務めてくれた功労者に初日以来2度目となった多神さんとの会話の感想を求める。
「みーち人見知りなのに、うちの為に頑張ってくれてさんきゅー♪でさ、言った通り自分の身体も一切見えないのに、墨汁の匂いはする真っ白な世界だったでしょ?あ、2週間ぶりの多神さんどーだった?ねぇねぇ」
「誰だって脚にあんなしつこく纏わり付かれたら、黙らせるためにも行くしかないから。んー…で、確かに白くて墨汁の匂いだったね。多神さんは疲れてそう…だったかな?」
「多神さんのそれは通常運転」
「……私の嫌みはスルーか」
最後に多神さんと会話した時は特に身になる会話は一切無くて、寧ろ禁句を言われかけただけだったから後味が悪いままなんだった。でも、今回みーちを挟んだ事で何もかもリセットされたはず。多神さん、またイチからやり直しましょうね。
それにしてもみーちがほぼ初対面の相手と2人っきりで会話ってどうだったんだろ?横から是非ともやり取りを見たかったわー。
最初はやっぱり緊張して、『こんばんは……お久しぶりです…』って小声の挨拶から入ったのかな?気になる~。
あとこの機会を逃すまいと、過去に来てからのうちに対する不満を吐き出していないかが気になる…。特に今のところめちゃんこ怒らせるような言動はしていないはずだけども。
まぁここで1人であれこれ悶々と考えても答えは出ないので、気になった事は直ぐに本人に聞くに限る。
お皿にパンから蜂蜜が流れてしまって悔しそうにしているみーちに、ごく自然な感じで問い掛ける。
「あと折角だしって事で何か他に喋った?」
「えっ…?あぁ会話……?ここで磨いた料理のスキルは本当の時間に戻っても残るかどうか聞いたよ。残るって言ってた」
「ほうほう。あとはー?」
「……それだけ」
「業務連絡レベルっ!」
いくら何でも少な過ぎでしょ…。
そんなに会話が弾まなかったの?白い世界に灰色の気まずい空気でも流れちゃってた?
やっぱ一緒に行けば良かったかなー?……いや、瞬殺される危険性があったから行かなくて正解だったわ。
「今度みーちに何か聞きたいこととか出来たら、一緒に行ってあげるね」
「へっ……?も、もう行かないと思うから平気」
「冷たーい!多神さんが可哀想だよ」
「自分の日頃の行いを省みてから可哀想って言えや」
慈愛に満ちた笑顔で同行を申し出たのに、多神さんとはもう話しません宣言をかましてきた。本当に、昨夜2人の間に何かあったの?
相手の事を良く思えないのは、まだ相手の事を良く知らないか、はたまた生理的な拒絶のどちらかだと常々うちは思っている。2回ぽっちの会話だけだから、みーちは多神さんのイジり甲斐のありそうな雰囲気を掴めなかったんだね。況してや2回目は業務連絡のみ。
縁があって多神さんと逢えたし、『実々、あの神は生理的に無理~』では無いのなら、折角だし友好的な関係を構築してみるのは凄く良いことだと思う。神様と仲良くするなんて、現実世界では前人未到、前代未聞な偉業なはずだし。知らんけど。
よし、ここはフレンドリー麻来ちゃんが2人の間に立ってあげよう。
「うんうん」
「絶対余計な事考えてるよ……」
2度強く頷き、朝食の残りを胃に納めるべく行動を再開した。
よって、例の如くみーちの言葉はテーブルの向かいの人間には届かなかった。
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