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原始・古代
幕間:休みは短い
しおりを挟む少しばかり休めた。
麻来や実々からの質問が無いと普段の日常生活に戻るため、心穏やかに過ごせる。
もちろん日に1度は麻来のまとめた文と様子を見るようにはしていて、それに対して多少思うことはあれど特に何の負担にもなってはいない。…なってはいないと思いたい。
二人の居る過去の時間で夕方になった時に見れば良いから、それまでは時間がある。
言い換えるならば、夕方はあの二人に予定を抑えられている。…後ろ向きに考えるのは止めておこう。
過去に合わせた懐中時計を見ると、午後の2時を指そうとしているところだ。
本日のやるべき業務は捗り過ぎたために既に終えてしまった。
よって、庭の散歩でもして更なる英気を養おうと思う。
そうと決まれば出掛けるか。
直衣と烏帽子に服を替え、出入口の引戸を開け1歩足を踏み出した。
ヒュンッ…ズバァンッッッ!
一陣の風が顔の真横で霧散した。
確実に真隣に何かが飛んできたのは嫌でも分かったため、視線を恐る恐る90度右に向ける。
羽根が柱にめり込んでいた。
その羽根には良く見ると紐で紙がきつく括り付けられている。
……恐らくこれは矢文。だが、羽根の部分しか目視出来ない。
一先ず矢文らしきものは置いておき、思いきって1歩社の中に戻ってみる。
「…ひっ!」
矢尻が自分の目と全く同じ高さで柱から突き出ていた。
しかも矢からは白い煙がもうもうと立ち上っている。
そして最も信じられないのは、部屋の中が空き巣が入ったかのように紙や本、家財道具までもがバラバラになっていること。
もし外に出るのが一瞬でも遅れていたら、余はどうなっていたのだろうか。強制的に黄泉に逝っていたかもしれない。
これは人災なのだろうか…。
いや、神災。
天災かな。
「はははっ!………うぅっ…」
こんな事が平気で出来るのは高天原であの方以外居まい。
自然と俯いてしまっていた顔を無理矢理上げ、今一度外に出て矢に付いた紙を外して開く。
『多神くーん!双子ちゃんに今から会いに行ってくるねー♪何も心配しなくても大丈夫だよ☆ 日女』
「んなっ……」
軽い文面なのに内容は重過ぎるっ…。
文字も筆で太く右肩上がりに書かれていて、とにかく筆圧が凄い。筆者の雄々しさが滲み出ている。
つい先日の去り際に『1年のんびり待つとしますか!』と仰っていたのは、いったい何処の天照様ですか。
しかも「神様は嘘吐いちゃ駄目だと思うの」とも発言していませんでしたか?神が神に嘘を吐く分には良いのですか?
『何も心配しなくても大丈夫だよ☆』の文章が1番不安を煽って来る。
若者言葉で言うところの【フリ】にしか思えてならない。『何かやらかしちゃうぞ☆』って告知にしか見えない。
取り敢えず柱からこの深く突き刺さった矢を抜こう。
冷静な思考を取り戻すためにも必要な作業だ。今は覚悟を決めるための時間が少しでも欲しい。
羽根の上から掴み、思い切り引っ張ってみる。
ミシッ…。
諦めよう。
初めからそこにあるかのようにびくともしない。柱の太さは40㎝程あるのに、それを軽々と貫通し、風圧で室内を崩壊させる程の威力。
天照様に反旗を翻したいとは全く考えていないのに何故ですか?
この前に無意識に何か失礼な事をしてしまっていましたか?
そもそも矢は余を始末するために放ちましたか?
恐怖に精神を完全に支配されながら、今一度元凶の羽根の部分に触れてみる。
どう見てもただの大量生産されている一般的な矢にしか見えない。なのに抜けない。
「矢の両端を切り落とせば良いのだろうか…」
ヒュッ…トスッ!
「ひぃぃっ!」
矢に触れている手の真下に新たな矢が刺さった。
もう嫌だ…少しばかりかすった気がする。
だが2本目はしっかりとした矢文だった。
羽根ではなく矢の中心の箆の部分に文が結ばれている。しかも少ししか柱に刺さっていない。
この常識的な矢文の手紙は迷いなく開いて読める。
『天照を止めてくる。 建』
「けん?たて?………はっ!建角身命様!?」
まさかの心強い味方!
相変わらず気苦労が絶えない優しいお方だ…。字も走り書きで、余に急いで伝えて下さろうとした気遣いが感じられる。
だが建角身命様とはいえ天照様の事を、本当に止められるのだろうか。
あの双子に一生天照様を会わせまいと誓った矢先の今。
天照様は顔合わせを兼ねて未来のお抱え料理人候補の実々に会いに行ったのだろうか?
…十中八九きっと違う。
おそらく時間に余程の余裕がおありだからではないだろうか。
顔合わせ目的ならば、半年後にまだ麻来が平安時代をのんびりまとめていたら行けば良いのではないでしょうか。その状況であれば確実に日本史は1年以内には終わらないのですから。ねぇ。
兎に角、実々は万が一天照様にお会いしたら人見知りを思う存分発揮してくれ!目を決して合わせるな。
麻来……頼むから一言も喋るな。何も心に抱くな。表情にも出すな。常に脳内を空っぽにしていてくれ。
でないと大変な事になるぞ…。強制的に人生が終わりを迎えるかもしれないんだぞ。余の今後の生活にも確実に響くから、本当にじっとしていてくれ。
建角身命様の矢は力を入れずとも簡単に抜けた。
驚くことに出来た穴も綺麗に塞がっていった。優しさがとてつもなく身に沁みる。
天照様の矢も抜けさえすれば全て元通りになるのだろうか。抜ける気配も、役目を終えたからと消える気配も一切無いが。
荒らされた室内と貫通させられた柱には労災がおりるのだろうか。
して、その場合はどちらに申請すれば良いのだろうか。【権利の上に眠る者は保護に値せず】と法格言にあるように、弱者であるからこそ自分の権利はしっかり主張しておきたい。
……だがこれは泣き寝入りになるんだろうな。
高天原の労働環境は一切関係しておらず、天照様の単独行動の結果であるから。
だからと言って天照様本人に片付けをお願いするなど、とてもじゃないが出来ない。まず顔を合わせないことを心が望んでいるから不可能だ。善意で自主的にやっていただいたとしても、精神をひたすら削られるだけな気がする。
よし、自分でやろう。
何はさておき、早急に双子の様子を見に行かねば。
これからの身の振り方も全て決まってしまうかもしれない、重大な局面に今はある。
社の入口のすぐ傍に立っている紅梅の木から一輪摘み取り、回廊を早足で進む。
本来ならばのんびりとここを歩いていたはずなのにと思わなくもない。口には決して出さないが。
ただ一言だけこの場にはいらっしゃらないお二方、特に天照様に声を大にして言いたいことがある。
「メールでお願いします!」
ひょっとして『メールは相手にちゃんと届いたか分からないから矢の方が良い』と言うお考えの持ち主なんだろうか。
文を書き、矢に紙を結び付けて射つ動作の方が余程時間が掛かるのでは?と、余には思えてなりません。
何よりメールは安心安全なのが大きい。全ては受取人の命があってこそですから。
早歩きかつ悶々と考えていたのもあり、気が付いたら太鼓橋の上に到着していた。
急いで双子の顔を思い浮かべながら花を湖面に落とす。
余の逸る気持ちとは裏腹にゆっくりと広がってゆく波紋を見ながらふと思った。
「天照様はどのようにしてお会いするつもりだろうか…」
その疑問に対する答えが直に分かるとなると、鮮明に映し出されたばかりの麻来と実々の何気無い笑顔で勝手に心が騒いだ。
「何事もなく終わりますように」
神頼みをしたところで応えてくれる神などいないと分かっているのに、ただ橋の上で祈ることしか出来ない自分に皮肉にも人間味を感じた。
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