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写真の裏側⑤
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やがて二人は神田川沿いの土手に上がってきた。いつもの場所とは違うが、見える景色には大差がない。芝生に腰を下ろし、爽やかな春風を頬に感じた。
「悉乃さん、いろいろと驚かせてしまってすみませんでした」
武雄は悉乃に向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「いえ……謝らないでください。でも、なんだか信じられなくて……。本当に、武雄さんは、三田さんも、それでいいんですの?」
「はい。けれど、一番大事なのは悉乃さんの気持ちだと思って、この提案をどう思うか聞いてみようと思っていたんですけど……。週末になってもいつもの場所に悉乃さんは来ないし、手紙を出しても音沙汰がないしで、どうしたものかと。それで女学校に行ってみたら、キヨさんに会ったんです」
「まあ。キヨさんに?」
悉乃は目を見開いた。武雄はその時のことを順を追って話し始めた。
女学校の前で、武雄は中の様子を伺っていた。ちょうど翌日から春休みになるらしく、楽し気な女学生が次々と下校してくる。そんな中、血相を変えたキヨが現れたという。
「茂上さん! ああよかったわ。こんなことを話せるの、あなたしかいませんもの。ちょうどお会いしに行こうかと思っていたところですのよ。悉乃さんが三田さんと結婚されるってもうお聞きになって!?」
「はい、そのことで悉乃さんにお話が……。ですが最近音沙汰がなくて……」
「悉乃さんは、勉学よりも花嫁修行だということで、このまま退学するそうですの。たぶん、悉乃さんのお父さまが、また強引に……」
「そ、そんな……!」
「とにかく、ここではなんですわ」
キヨは、「ついていらして」と武雄を先導した。数分歩いて着いた先は、悉乃とキヨが寝起きしている女学校の寄宿舎だった。
中まで足を踏み入れるなんてさすがに気がひけると思った武雄だったが、そんな気持ちを察したか、キヨは「心配なさらないで」と言った。
「談話室があるんですの。父兄の出入りも許されてますから、私の兄ということになさって」
それでもやっぱり入りづらい、とは思ったが、キヨがずんずんと敷地に入っていってしまうので、武雄はおっかなびっくり後をついていった。
談話室には低いテーブルとソファが数組置いてあり、一組か二組は女生徒で埋まっていたが、一番奥が空いていたので二人はそこに腰掛けた。
「これを。今朝、悉乃さんから届いたものですわ」
そう言って、キヨは手荷物から一通の手紙を取り出した。武雄はざっと目を通した。自分には出さないのに、キヨには手紙を出すのかと、少し複雑な気持ちになったが、キヨの「ここ、よくお読みになって」という一言で我に返った。キヨは手紙の中の一文を指し示していた。
――父の方針で、学校をやめて花嫁修業に専念することにいたしました。お相手は三田秀成さんという方で、東京高等師範学校を来年卒業するそうです。
「これ。三田さんのことは私当然知っているのに、こんな初めて会う人みたいな書き方、変でしょう? 『父の方針で』と書いてあるから、きっとこの手紙を送るにも、悉乃さんのお父様が内容を確認しているんですわ」
「ええっ!?」
言われてみればそうかもしれない。武雄はキヨの推理力に舌を巻いた。それほどまでに文信の影響力が強いとしたら、退学というのは悉乃の本意ではない可能性がある。やはり状況を好転させるには宗助を味方につけるしかないのでは、と武雄は確信を深めた。だが、実際のところ肝心の悉乃の気持ちを確かめようがない。会うことはおろか、手紙のやりとりすら、キヨを通してこんな暗号めいたやり方をするしかないのだ。
「キヨさん、実は……」
武雄は、今秀成と考えている「縁談の交換」案について話した。
「悉乃さん、いろいろと驚かせてしまってすみませんでした」
武雄は悉乃に向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「いえ……謝らないでください。でも、なんだか信じられなくて……。本当に、武雄さんは、三田さんも、それでいいんですの?」
「はい。けれど、一番大事なのは悉乃さんの気持ちだと思って、この提案をどう思うか聞いてみようと思っていたんですけど……。週末になってもいつもの場所に悉乃さんは来ないし、手紙を出しても音沙汰がないしで、どうしたものかと。それで女学校に行ってみたら、キヨさんに会ったんです」
「まあ。キヨさんに?」
悉乃は目を見開いた。武雄はその時のことを順を追って話し始めた。
女学校の前で、武雄は中の様子を伺っていた。ちょうど翌日から春休みになるらしく、楽し気な女学生が次々と下校してくる。そんな中、血相を変えたキヨが現れたという。
「茂上さん! ああよかったわ。こんなことを話せるの、あなたしかいませんもの。ちょうどお会いしに行こうかと思っていたところですのよ。悉乃さんが三田さんと結婚されるってもうお聞きになって!?」
「はい、そのことで悉乃さんにお話が……。ですが最近音沙汰がなくて……」
「悉乃さんは、勉学よりも花嫁修行だということで、このまま退学するそうですの。たぶん、悉乃さんのお父さまが、また強引に……」
「そ、そんな……!」
「とにかく、ここではなんですわ」
キヨは、「ついていらして」と武雄を先導した。数分歩いて着いた先は、悉乃とキヨが寝起きしている女学校の寄宿舎だった。
中まで足を踏み入れるなんてさすがに気がひけると思った武雄だったが、そんな気持ちを察したか、キヨは「心配なさらないで」と言った。
「談話室があるんですの。父兄の出入りも許されてますから、私の兄ということになさって」
それでもやっぱり入りづらい、とは思ったが、キヨがずんずんと敷地に入っていってしまうので、武雄はおっかなびっくり後をついていった。
談話室には低いテーブルとソファが数組置いてあり、一組か二組は女生徒で埋まっていたが、一番奥が空いていたので二人はそこに腰掛けた。
「これを。今朝、悉乃さんから届いたものですわ」
そう言って、キヨは手荷物から一通の手紙を取り出した。武雄はざっと目を通した。自分には出さないのに、キヨには手紙を出すのかと、少し複雑な気持ちになったが、キヨの「ここ、よくお読みになって」という一言で我に返った。キヨは手紙の中の一文を指し示していた。
――父の方針で、学校をやめて花嫁修業に専念することにいたしました。お相手は三田秀成さんという方で、東京高等師範学校を来年卒業するそうです。
「これ。三田さんのことは私当然知っているのに、こんな初めて会う人みたいな書き方、変でしょう? 『父の方針で』と書いてあるから、きっとこの手紙を送るにも、悉乃さんのお父様が内容を確認しているんですわ」
「ええっ!?」
言われてみればそうかもしれない。武雄はキヨの推理力に舌を巻いた。それほどまでに文信の影響力が強いとしたら、退学というのは悉乃の本意ではない可能性がある。やはり状況を好転させるには宗助を味方につけるしかないのでは、と武雄は確信を深めた。だが、実際のところ肝心の悉乃の気持ちを確かめようがない。会うことはおろか、手紙のやりとりすら、キヨを通してこんな暗号めいたやり方をするしかないのだ。
「キヨさん、実は……」
武雄は、今秀成と考えている「縁談の交換」案について話した。
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