31 / 37
写真の裏側④
しおりを挟む
一瞬、時が止まったかのように、武雄以外の全員が息をするのも忘れた。使用人たちは、武雄を押さえる手を離してしまった。
「ど、どういうことだ!」
文信が青筋を立てて武雄に詰め寄った。武雄は、落ちついた様子で淡々と説明した。
「三田秀成は僕のはとこです。そもそもこの縁談は、悉乃さんのことを秀成が帰省の時に話して、それが親戚の三田宗助の耳に入って、宗助おじさんが秀成と悉乃さんを夫婦養子にする縁談話を思いついたというのが発端だそうです」
「なんだと……しかし、そうか……だから、三田さんは悉乃にどのような過去があろうとも構いません、と。だが……こんなことが……」
文信は動揺しつつも武雄に続きを話せと促した。
「秀成が、どうせなら僕の方が悉乃さんとよく交流があったことだし、気楽に結婚できるのではないかと言い出しまして。おじさんにとっては別に僕でも秀成でもいいだろうから、交換してもらおう、と。最初は、そんな突拍子もないこと、無理だと思いました。けれど……」
武雄は顔を赤らめ照れ臭そうに声を低めた。自由になった両手をもじもじと動かしている。
「秀成と悉乃さんの結婚を見届けるなんて、その方が、僕にとってはもっと無理なことだと思いました! だから、宗助おじさんにお願いしました!」
文信は、驚きのあまり文字通りにあいた口が塞がらないといった様子だ。武雄は話を続けた。
「おじさんは僕たちの話をよく聞いてくれました。とはいっても、やはり学校の成績がいいのは秀成の方ですから、三田の跡取りに相応しいのは秀成です。けれど、僕がオリンピック代表選手になるのであれば、そういう何か特徴のある人間の方が、日本でも異国でも、交渉する時なんかに覚えてもらいやすいからと、僕の方を跡取りにとおじさんは約束してくれました。その時は、秀成も三田物産で雇ってもらえるということで、こちらとしては落着しました」
「な、なんてことだ……」
絞り出すように言った文信を差し置いて、悉乃は武雄の前に躍り出た。
「本当、なんですの? 武雄さん、私……」
「勝手に話を進めてしまって申し訳ありません。あ、もちろん、秀成の方がよければ僕は身を引きますが」
「謹んで、お受けいたします」
悉乃は、柔らかい笑みを浮かべて武雄を見つめた。このたった数分で、こんなにも大きく道筋が変わってしまうなんて。悉乃は未だに信じられなかった。
「ですから、選考会、必ず代表入りなさって」
「はいっ、がんばります!」
二人の間に流れるほんのり温かい空気をぶち壊すように、正気を取り戻した文信が割って入った。
「お、お前たち、何勝手なことを言ってるんだ。悉乃、こんなことが許せるか、破談だ破談!」
「まあお父様。こんないい縁談はないのだとおっしゃっていたではありませんか。三田物産の嫁になれば、浅岡家の事業もますます安泰だと。三田家の方ならどなたでもよいのでしょう? それなら、秀成さんでも武雄さんでもどちらでもいいはずですわ」
「そういう問題では……!」
「それじゃあお父さん、僕はこれで失礼します」
「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」
「悉乃さん、行きましょう」
「へ?」
驚いている悉乃の手を取って、武雄は走り出した。悉乃は慌てて袴の裾を絡げ、引っ張られるがままに走った。
「おい、待ちなさい!」
文信が二言三言叫んだが、その声は次第に聞こえなくなった。最初は、父の言いつけを破って屋敷の外へ出てしまった不安に襲われた悉乃だったが、やがて嬉しさと楽しさが勝った。
武雄と一緒に走っているのだ。初めて、自分の足で。ハッハッと息を弾ませ、風を切っている。さすがに武雄も手加減してくれているようで、悉乃の走りやすい速さで走ってくれている。こんな風に走れるなんて、今日は信じられないことの連続だ。
「ど、どういうことだ!」
文信が青筋を立てて武雄に詰め寄った。武雄は、落ちついた様子で淡々と説明した。
「三田秀成は僕のはとこです。そもそもこの縁談は、悉乃さんのことを秀成が帰省の時に話して、それが親戚の三田宗助の耳に入って、宗助おじさんが秀成と悉乃さんを夫婦養子にする縁談話を思いついたというのが発端だそうです」
「なんだと……しかし、そうか……だから、三田さんは悉乃にどのような過去があろうとも構いません、と。だが……こんなことが……」
文信は動揺しつつも武雄に続きを話せと促した。
「秀成が、どうせなら僕の方が悉乃さんとよく交流があったことだし、気楽に結婚できるのではないかと言い出しまして。おじさんにとっては別に僕でも秀成でもいいだろうから、交換してもらおう、と。最初は、そんな突拍子もないこと、無理だと思いました。けれど……」
武雄は顔を赤らめ照れ臭そうに声を低めた。自由になった両手をもじもじと動かしている。
「秀成と悉乃さんの結婚を見届けるなんて、その方が、僕にとってはもっと無理なことだと思いました! だから、宗助おじさんにお願いしました!」
文信は、驚きのあまり文字通りにあいた口が塞がらないといった様子だ。武雄は話を続けた。
「おじさんは僕たちの話をよく聞いてくれました。とはいっても、やはり学校の成績がいいのは秀成の方ですから、三田の跡取りに相応しいのは秀成です。けれど、僕がオリンピック代表選手になるのであれば、そういう何か特徴のある人間の方が、日本でも異国でも、交渉する時なんかに覚えてもらいやすいからと、僕の方を跡取りにとおじさんは約束してくれました。その時は、秀成も三田物産で雇ってもらえるということで、こちらとしては落着しました」
「な、なんてことだ……」
絞り出すように言った文信を差し置いて、悉乃は武雄の前に躍り出た。
「本当、なんですの? 武雄さん、私……」
「勝手に話を進めてしまって申し訳ありません。あ、もちろん、秀成の方がよければ僕は身を引きますが」
「謹んで、お受けいたします」
悉乃は、柔らかい笑みを浮かべて武雄を見つめた。このたった数分で、こんなにも大きく道筋が変わってしまうなんて。悉乃は未だに信じられなかった。
「ですから、選考会、必ず代表入りなさって」
「はいっ、がんばります!」
二人の間に流れるほんのり温かい空気をぶち壊すように、正気を取り戻した文信が割って入った。
「お、お前たち、何勝手なことを言ってるんだ。悉乃、こんなことが許せるか、破談だ破談!」
「まあお父様。こんないい縁談はないのだとおっしゃっていたではありませんか。三田物産の嫁になれば、浅岡家の事業もますます安泰だと。三田家の方ならどなたでもよいのでしょう? それなら、秀成さんでも武雄さんでもどちらでもいいはずですわ」
「そういう問題では……!」
「それじゃあお父さん、僕はこれで失礼します」
「貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」
「悉乃さん、行きましょう」
「へ?」
驚いている悉乃の手を取って、武雄は走り出した。悉乃は慌てて袴の裾を絡げ、引っ張られるがままに走った。
「おい、待ちなさい!」
文信が二言三言叫んだが、その声は次第に聞こえなくなった。最初は、父の言いつけを破って屋敷の外へ出てしまった不安に襲われた悉乃だったが、やがて嬉しさと楽しさが勝った。
武雄と一緒に走っているのだ。初めて、自分の足で。ハッハッと息を弾ませ、風を切っている。さすがに武雄も手加減してくれているようで、悉乃の走りやすい速さで走ってくれている。こんな風に走れるなんて、今日は信じられないことの連続だ。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
浅葱色の桜
初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。
近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。
「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。
時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。
楽将伝
九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語
織田信長の親衛隊は
気楽な稼業と
きたもんだ(嘘)
戦国史上、最もブラックな職場
「織田信長の親衛隊」
そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた
金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか)
天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!
出雲屋の客
笹目いく子
歴史・時代
短篇です。江戸堀留町の口入屋『出雲屋』は、乳母奉公と養子縁組ばかりを扱う風変わりな口入屋だった。子を失い、横暴な夫に命じられるまま乳母奉公の口を求めて店を訪れた佐和は、女店主の染から呉服商泉屋を紹介される。
店主の市衛門は妻を失い、乳飲み子の香奈を抱えて途方に暮れていた。泉屋で奉公をはじめた佐和は、市衛門を密かに慕うようになっていたが、粗暴な夫の太介は香奈の拐かしを企んでいた。
夫と離縁し、行き場をなくした佐和を、染は出雲屋に雇う。養子縁組の仕事を手伝いながら、佐和は自分の生きる道を少しずつ見つけて行くのだった。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
ロクスタ〜ネロの愛した毒使い〜
称好軒梅庵
歴史・時代
ローマ帝国初期の時代。
毒に魅入られたガリア人の少女ロクスタは、時の皇后アグリッピーナに見出され、その息子ネロと出会う。
暴君と呼ばれた皇帝ネロと、稀代の暗殺者である毒使いロクスタの奇妙な関係を描く歴史小説。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる