疾風の往く道

初音

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ビフテキとバゲット①

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 三月。

 来月から、悉乃は高等女学校の最終学年になる。だいぶ数の少なくなった悉乃のクラスメイトは皆一様に「卒業顔なんてまっぴらごめんですわ」とばかりに化粧の練習などして見合い写真を撮りにいったり、料理や縫い物の腕を上げようと放課後も練習したりと、花嫁修業に余念がなかった。

 しかし、そんな彼女たちをよそに悉乃は食堂の片隅で朝刊とにらめっこするのが日課になっていた。専ら関心を寄せているのは、新聞に載る求人情報だ。卒業後働くとしたら、どんな職業があるのか。今のうちに知っておきたかった。

 悉乃のように卒業後の進路として就職を視野に入れているのは、校内でも他に数人いるかいないか、といったところだろう。

 悉乃は、自分に縁談が来るなどこれっぽっちも想定できなかった。正月に帰省した時には、文信は悉乃をどこかしら都合のいい家に嫁がせることを諦めていないようだったが、あれから二ヶ月経っても何の話も来ない。やはり、自分には結婚は無理であろう。

 ――もし、どうしても結婚しろというのなら……

 ぼやん、と武雄の顔が思い浮かんだ。すぐに悉乃はぶんぶんと首を振って打ち消す。

 ――無理に決まっているわ。お父様が許してくれるかとかいう以前に、武雄さんがそんなこと望んでいるかなんて、わからないもの。それに武雄さんは、アメリカに行くんだから。

 悉乃は雑念を振り払うように上から下まで新聞に目を凝らす。
 職業婦人というのはまだまだ少数派で、女性が一人で食べていける職業は学校の先生や飲食店の給仕などに限られていたが、どれもこれもピンとこなかった。

「難しいものね……」
 
 その時、予鈴が鳴った。一限目が始まってしまう。悉乃は、ガサガサと新聞を閉じた。

***

 今日最初の授業は芸術だった。授業の最後に、年度末に向けて成績がつけ終わったからと、この一年で描いた絵や彫刻作品が返却された。

「今年は皆さん最終学年ですから、得意なことを伸ばして嫁ぎ先でも一目置かれるように頑張ってください」

 教員のそんな話をぼんやりと聞きながら、悉乃は自分の作品たちを引き取った。その中の一枚の絵に、ふと目を留めた。

 あの日、上野公園を抜け出して初めて武雄を見つけた時に描いた絵だ。

 今思えば、一瞬だけ見て描いたものだから本人にはなんだか似ていないし、少々美化しすぎて描いているようなところもある。だが、楽しそうにキラキラと輝いた目に、今にも息遣いが聞こえてきそうな表情は、我ながらなかなかよく描けていると思った。

 作品をどっさりと抱えて寄宿舎の部屋に戻った悉乃とキヨは、「懐かしいわね」などと言いながら、飾れそうなものは壁や棚に飾り始めた。

 件の絵は、さすがに飾るのはためらわれたので新聞紙に包んで奥にしまい込もうとした。すると、それを見たキヨが声をかけてきた。

「悉乃さん、その絵って、やっぱり茂上さんですわよね?」
「へ?」

 驚いて、変な声が出てしまった。反して、キヨは楽しそうに笑みを見せた。

「夏休みの前、小石川高女うちに茂上さんが来たでしょう。私、スリ騒ぎの時は気づきませんでしたけれど、あの時『そうだ』と思い出して。もう一度見せてくださる?」

 悉乃はおずおずと丸めようとしていた紙を広げて見せた。

「まあやっぱり! 特徴がよく捉えられていますわね。あの一瞬でこれだけ描けるなんて、悉乃さん、本当に人物画の才能があるんですのね」

 悉乃は絵をまじまじと見た。キヨにそういう風に言われると、なんだか恥ずかしくなってきた。そして

「もうよくて? これはしまっておきますわ」

 と言って紙を丸めた。
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