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最悪の夏休み②
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ひとり残された悉乃は、端切れをかわるがわる手にとってはうーんと唸っていた。いざ好きなものを選べと言われても、目移りしてしまって全く決めきれない。
そうこうしているうちに、
「悉乃さま、夕食の時間ですよ」
ノック音と共に、再びシゲの声がした。
「どうしても行かなくちゃ駄目?」
悉乃はドア越しに尋ねた。数日に一回は同じ質問をしている。
「旦那さまのお言いつけですから」
返ってくるのはいつも同じ答えだ。悉乃はふう、とため息をつくと、端切れの束を無造作に置いて立ち上がった。
広いダイニングで、ナイフとフォークを操り、無言で食べ物を口に運ぶ。ここに来た当初はどうしてこんなもので食事ができようか、と思ったものだが、今では慣れた手つきである。
出される食事は、学校で出るそれよりも高級な食材で作られていることはわかったが、不思議とおいしいとは思えなかった。キヨや他のクラスメイトと他愛もない話をしながら食べる食事の方が、おいしかった。ふと、武雄と行き損ねたミルクホールの食べ物はどんな味がするんだろう、と思った。
「悉乃、二学期からどうするつもりなんだ」
声をかけてきたのは、兄の重信だった。とある銀行重役の娘と結婚し、浅岡家の基盤を盤石なものにした、父にとっては「自慢の息子」である。
「どうするとは、どういう意味ですの」
悉乃はつっけんどんに言った。
「なんだその態度は。お前はまだ事の重大さがわかっていないようだな。今一番勢いある鉄道会社のご子息との縁談が決まっていたというのに。お前はそれをふいにしたんだぞ」
「それは申し訳ないと思っていますわ」
淡々と答える悉乃に、重信は「なんだその言い方は」と語気を強めた。
「二人ともやめなさい。食事中だぞ」
文信がたしなめた。
「しかし、父様……」
「やはり、こんな子を引き取ったのは間違いではありませんこと?」
割って入ったのは、文信の正妻・佳恵だ。昨年、そして三年前に悉乃の異母姉たちは相次いで嫁いでおり、佳恵の悉乃に対する風当たりは以前にも増して強くなっていた。
悉乃はガシャン、と音を立てて食器を置いた。行儀は悪いが、気にしない。
「私だって、引き取って欲しいと頼んだ覚えはありませんわ。元はといえば、お父様がお母様と私を捨てたから私は”こんな子”になったんですのよ。自業自得ですわ」
本当はすぐにでも勢いで自室に戻りたかったが、まだ食事を半分も食べていない。このまま空腹で過ごすのも辛いな、と悉乃の思考は案外冷静であった。フォークを右手に持ちかえ、サーモンのムニエルをそのまま突き刺して口に運んだ。サーモンのムニエル。なんて仰々しい名前。要は単なる西洋風の焼き鮭だ。わざわざナイフで切らなくても食べられる。パンを豪快にかじり、スープは味噌汁のように器を持ち上げ口につけて飲んだ。文信をはじめ、皆注意する気も失せたのか、唖然として悉乃を見つめるばかりだった。
「ごちそうさまでした」
悉乃は捨て台詞のように言い放ち、立ち上がってさっさと自室に戻っていった。
早く、夏休みなんて終わってしまえばいい。
悉乃の頭にはそれしかなかった。
キヨに会いたい。クラスの友達にも。そして……
浮かぶのは、茫然とした表情で自分の乗った車を見ていた、茂上武雄の姿だった。
そうこうしているうちに、
「悉乃さま、夕食の時間ですよ」
ノック音と共に、再びシゲの声がした。
「どうしても行かなくちゃ駄目?」
悉乃はドア越しに尋ねた。数日に一回は同じ質問をしている。
「旦那さまのお言いつけですから」
返ってくるのはいつも同じ答えだ。悉乃はふう、とため息をつくと、端切れの束を無造作に置いて立ち上がった。
広いダイニングで、ナイフとフォークを操り、無言で食べ物を口に運ぶ。ここに来た当初はどうしてこんなもので食事ができようか、と思ったものだが、今では慣れた手つきである。
出される食事は、学校で出るそれよりも高級な食材で作られていることはわかったが、不思議とおいしいとは思えなかった。キヨや他のクラスメイトと他愛もない話をしながら食べる食事の方が、おいしかった。ふと、武雄と行き損ねたミルクホールの食べ物はどんな味がするんだろう、と思った。
「悉乃、二学期からどうするつもりなんだ」
声をかけてきたのは、兄の重信だった。とある銀行重役の娘と結婚し、浅岡家の基盤を盤石なものにした、父にとっては「自慢の息子」である。
「どうするとは、どういう意味ですの」
悉乃はつっけんどんに言った。
「なんだその態度は。お前はまだ事の重大さがわかっていないようだな。今一番勢いある鉄道会社のご子息との縁談が決まっていたというのに。お前はそれをふいにしたんだぞ」
「それは申し訳ないと思っていますわ」
淡々と答える悉乃に、重信は「なんだその言い方は」と語気を強めた。
「二人ともやめなさい。食事中だぞ」
文信がたしなめた。
「しかし、父様……」
「やはり、こんな子を引き取ったのは間違いではありませんこと?」
割って入ったのは、文信の正妻・佳恵だ。昨年、そして三年前に悉乃の異母姉たちは相次いで嫁いでおり、佳恵の悉乃に対する風当たりは以前にも増して強くなっていた。
悉乃はガシャン、と音を立てて食器を置いた。行儀は悪いが、気にしない。
「私だって、引き取って欲しいと頼んだ覚えはありませんわ。元はといえば、お父様がお母様と私を捨てたから私は”こんな子”になったんですのよ。自業自得ですわ」
本当はすぐにでも勢いで自室に戻りたかったが、まだ食事を半分も食べていない。このまま空腹で過ごすのも辛いな、と悉乃の思考は案外冷静であった。フォークを右手に持ちかえ、サーモンのムニエルをそのまま突き刺して口に運んだ。サーモンのムニエル。なんて仰々しい名前。要は単なる西洋風の焼き鮭だ。わざわざナイフで切らなくても食べられる。パンを豪快にかじり、スープは味噌汁のように器を持ち上げ口につけて飲んだ。文信をはじめ、皆注意する気も失せたのか、唖然として悉乃を見つめるばかりだった。
「ごちそうさまでした」
悉乃は捨て台詞のように言い放ち、立ち上がってさっさと自室に戻っていった。
早く、夏休みなんて終わってしまえばいい。
悉乃の頭にはそれしかなかった。
キヨに会いたい。クラスの友達にも。そして……
浮かぶのは、茫然とした表情で自分の乗った車を見ていた、茂上武雄の姿だった。
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