17 / 37
最悪の夏休み②
しおりを挟む
ひとり残された悉乃は、端切れをかわるがわる手にとってはうーんと唸っていた。いざ好きなものを選べと言われても、目移りしてしまって全く決めきれない。
そうこうしているうちに、
「悉乃さま、夕食の時間ですよ」
ノック音と共に、再びシゲの声がした。
「どうしても行かなくちゃ駄目?」
悉乃はドア越しに尋ねた。数日に一回は同じ質問をしている。
「旦那さまのお言いつけですから」
返ってくるのはいつも同じ答えだ。悉乃はふう、とため息をつくと、端切れの束を無造作に置いて立ち上がった。
広いダイニングで、ナイフとフォークを操り、無言で食べ物を口に運ぶ。ここに来た当初はどうしてこんなもので食事ができようか、と思ったものだが、今では慣れた手つきである。
出される食事は、学校で出るそれよりも高級な食材で作られていることはわかったが、不思議とおいしいとは思えなかった。キヨや他のクラスメイトと他愛もない話をしながら食べる食事の方が、おいしかった。ふと、武雄と行き損ねたミルクホールの食べ物はどんな味がするんだろう、と思った。
「悉乃、二学期からどうするつもりなんだ」
声をかけてきたのは、兄の重信だった。とある銀行重役の娘と結婚し、浅岡家の基盤を盤石なものにした、父にとっては「自慢の息子」である。
「どうするとは、どういう意味ですの」
悉乃はつっけんどんに言った。
「なんだその態度は。お前はまだ事の重大さがわかっていないようだな。今一番勢いある鉄道会社のご子息との縁談が決まっていたというのに。お前はそれをふいにしたんだぞ」
「それは申し訳ないと思っていますわ」
淡々と答える悉乃に、重信は「なんだその言い方は」と語気を強めた。
「二人ともやめなさい。食事中だぞ」
文信がたしなめた。
「しかし、父様……」
「やはり、こんな子を引き取ったのは間違いではありませんこと?」
割って入ったのは、文信の正妻・佳恵だ。昨年、そして三年前に悉乃の異母姉たちは相次いで嫁いでおり、佳恵の悉乃に対する風当たりは以前にも増して強くなっていた。
悉乃はガシャン、と音を立てて食器を置いた。行儀は悪いが、気にしない。
「私だって、引き取って欲しいと頼んだ覚えはありませんわ。元はといえば、お父様がお母様と私を捨てたから私は”こんな子”になったんですのよ。自業自得ですわ」
本当はすぐにでも勢いで自室に戻りたかったが、まだ食事を半分も食べていない。このまま空腹で過ごすのも辛いな、と悉乃の思考は案外冷静であった。フォークを右手に持ちかえ、サーモンのムニエルをそのまま突き刺して口に運んだ。サーモンのムニエル。なんて仰々しい名前。要は単なる西洋風の焼き鮭だ。わざわざナイフで切らなくても食べられる。パンを豪快にかじり、スープは味噌汁のように器を持ち上げ口につけて飲んだ。文信をはじめ、皆注意する気も失せたのか、唖然として悉乃を見つめるばかりだった。
「ごちそうさまでした」
悉乃は捨て台詞のように言い放ち、立ち上がってさっさと自室に戻っていった。
早く、夏休みなんて終わってしまえばいい。
悉乃の頭にはそれしかなかった。
キヨに会いたい。クラスの友達にも。そして……
浮かぶのは、茫然とした表情で自分の乗った車を見ていた、茂上武雄の姿だった。
そうこうしているうちに、
「悉乃さま、夕食の時間ですよ」
ノック音と共に、再びシゲの声がした。
「どうしても行かなくちゃ駄目?」
悉乃はドア越しに尋ねた。数日に一回は同じ質問をしている。
「旦那さまのお言いつけですから」
返ってくるのはいつも同じ答えだ。悉乃はふう、とため息をつくと、端切れの束を無造作に置いて立ち上がった。
広いダイニングで、ナイフとフォークを操り、無言で食べ物を口に運ぶ。ここに来た当初はどうしてこんなもので食事ができようか、と思ったものだが、今では慣れた手つきである。
出される食事は、学校で出るそれよりも高級な食材で作られていることはわかったが、不思議とおいしいとは思えなかった。キヨや他のクラスメイトと他愛もない話をしながら食べる食事の方が、おいしかった。ふと、武雄と行き損ねたミルクホールの食べ物はどんな味がするんだろう、と思った。
「悉乃、二学期からどうするつもりなんだ」
声をかけてきたのは、兄の重信だった。とある銀行重役の娘と結婚し、浅岡家の基盤を盤石なものにした、父にとっては「自慢の息子」である。
「どうするとは、どういう意味ですの」
悉乃はつっけんどんに言った。
「なんだその態度は。お前はまだ事の重大さがわかっていないようだな。今一番勢いある鉄道会社のご子息との縁談が決まっていたというのに。お前はそれをふいにしたんだぞ」
「それは申し訳ないと思っていますわ」
淡々と答える悉乃に、重信は「なんだその言い方は」と語気を強めた。
「二人ともやめなさい。食事中だぞ」
文信がたしなめた。
「しかし、父様……」
「やはり、こんな子を引き取ったのは間違いではありませんこと?」
割って入ったのは、文信の正妻・佳恵だ。昨年、そして三年前に悉乃の異母姉たちは相次いで嫁いでおり、佳恵の悉乃に対する風当たりは以前にも増して強くなっていた。
悉乃はガシャン、と音を立てて食器を置いた。行儀は悪いが、気にしない。
「私だって、引き取って欲しいと頼んだ覚えはありませんわ。元はといえば、お父様がお母様と私を捨てたから私は”こんな子”になったんですのよ。自業自得ですわ」
本当はすぐにでも勢いで自室に戻りたかったが、まだ食事を半分も食べていない。このまま空腹で過ごすのも辛いな、と悉乃の思考は案外冷静であった。フォークを右手に持ちかえ、サーモンのムニエルをそのまま突き刺して口に運んだ。サーモンのムニエル。なんて仰々しい名前。要は単なる西洋風の焼き鮭だ。わざわざナイフで切らなくても食べられる。パンを豪快にかじり、スープは味噌汁のように器を持ち上げ口につけて飲んだ。文信をはじめ、皆注意する気も失せたのか、唖然として悉乃を見つめるばかりだった。
「ごちそうさまでした」
悉乃は捨て台詞のように言い放ち、立ち上がってさっさと自室に戻っていった。
早く、夏休みなんて終わってしまえばいい。
悉乃の頭にはそれしかなかった。
キヨに会いたい。クラスの友達にも。そして……
浮かぶのは、茫然とした表情で自分の乗った車を見ていた、茂上武雄の姿だった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。
楽将伝
九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語
織田信長の親衛隊は
気楽な稼業と
きたもんだ(嘘)
戦国史上、最もブラックな職場
「織田信長の親衛隊」
そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた
金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか)
天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!
夢の雫~保元・平治異聞~
橘 ゆず
歴史・時代
平安時代末期。
源氏の御曹司、源義朝の乳母子、鎌田正清のもとに13才で嫁ぐことになった佳穂(かほ)。
一回りも年上の夫の、結婚後次々とあらわになった女性関係にヤキモチをやいたり、源氏の家の絶えることのない親子、兄弟の争いに巻き込まれたり……。
悩みは尽きないものの大好きな夫の側で暮らす幸せな日々。
しかし、時代は動乱の時代。
「保元」「平治」──時代を大きく動かす二つの乱に佳穂の日常も否応なく巻き込まれていく。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
浅葱色の桜 ―堀川通花屋町下ル
初音
歴史・時代
新選組内外の諜報活動を行う諸士調役兼監察。その頭をつとめるのは、隊内唯一の女隊士だった。
義弟の近藤勇らと上洛して早2年。主人公・さくらの活躍はまだまだ続く……!
『浅葱色の桜』https://www.alphapolis.co.jp/novel/32482980/787215527
の続編となりますが、前作を読んでいなくても大丈夫な作りにはしています。前作未読の方もぜひ。
※時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦組みを推奨しています。行間を詰めてありますので横組みだと読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。
※あくまでフィクションです。実際の人物、事件には関係ありません。
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部
山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。
これからどうかよろしくお願い致します!
ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる