疾風の往く道

初音

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悉乃の過去①

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 相変わらずの一週間だった。

 「スリ」「嘘つき」などの張り紙は、はがしてもはがしても部屋の入口に貼られた。

 自分が昔スリをやっていたのは本当だから、「根も葉もないことで嫌がらせをするのはやめろ」と皆に吹聴して回ることもできなかった。かと言って、自分の口から「確かにスリはやっていたが今は足を洗っている」などとわざわざ説明するのもためらわれた。
 この量や頻度、さらには周りのクラスメイトのよそよそしさ。主犯は倉橋であろうが、他のお嬢様たちも元スリ犯が同じ釜の飯を食うのを許せないらしい。

 悉乃は、なるべく他の生徒と顔を合わせないように、食事の時間をずらした。特に朝は早起きをして、皆が食堂に来る頃には朝食を食べ終えていた。
 部屋に戻ると、キヨが起きていて身支度をしている。

「おはようございます、悉乃さん」
「おはようございます、キヨさん……その、ごめんなさい。私のせいで、部屋に、あんな貼り紙が……」
「いいんですのよ。気にしないで。皆、そのうち、飽きてしまうわ」

 ありがとう、と小さく言ったものの悉乃はそれ以上何を話したらいいかわからず、黙りこんでしまった。果たして、自分はいつもキヨとどんな会話をしていたのだっけ。ついこの間のことのはずなのに、思い出せなくなってしまった。

「それでは、お先に」

 学用品を手に取り、悉乃は逃げるように部屋を出てしまった。

 こんな生活が、いつまで続くのか。どうすれば打開できるのか。まったくわからず、悉乃は耐えるしかなかった。一週間を乗り切るための心の支えは、いつの間にか「日曜日に武雄に会えること」になっていた。


***


 そして迎えた日曜日。
 あの川原に、武雄はいた。

「よかったあ、来てくれなかったらどうしようかと思いました」

 武雄は人のいい笑顔を見せた。

「こちらから頼んだのに、来ないはずありませんわ」

 なんとなく、先日の「お礼が遅れたから怒ってると思った」然り、自分のことをそんなに短気で配慮のない女だと思っているのか、と悉乃はモヤモヤした気持ちを抱いた。
 今日の武雄は、普通の袴と着物姿であった。その姿を見た悉乃に気づいたのか、武雄は「ああ」と袂を広げて見せた。

「先週のことをヒデちゃんに話したら、『小石川高女の生徒さんに、しかも恩人に会うのに、汗臭ーい運動着とは何事か!』と怒られてしまいました。いいとこのお嬢様揃いの学校ですもんなあ。確かにって思いました」

 あはは、と歯を見せて武雄は笑った。

「この前一緒にいた、はとこの三田さんですよね? 仲良しなんですね」
「はは、ヒデちゃんとは小さい頃から一緒だったもんで。僕の家もヒデちゃんの家も、農家をやりつつ商売をやったりもしていて、助け合ってきたんです」
 
 楽しそうに話す武雄に悉乃は「素敵ですわね」と微笑んだ。

「って、そもそも、こんな川原に座っていて大丈夫ですか?袴が汚れてしまいますよ」
「大丈夫です」

 よかった、という武雄の笑顔とは裏腹に、悉乃の目からは涙が溢れた。それは、己の意思とは関係なく。

 なんという違いなのだ。自分は学校でいじめられ、友人とも微妙な距離が空いたままだというのに。そう思ったら、どんどん視界が涙でぼやけてくる。
 そして、武雄が自分のことを「お嬢様」と思っているのも心苦しかった。

「つ、悉乃さん?」

 今の、泣くところ? とでも言わんばかりに、武雄は慌てた様子で自身の懐を探った。やがて手拭を取り出すと、そっと差し出してくれた。悉乃は礼を言うと、途切れ途切れに事情を説明する。

「今、その、友達とぎくしゃくしてしまっていて……だから……」
「そうだったんですか……そうとも知らず、すみません……」

 気まずい沈黙が流れた。
 悉乃は、その先を話すべきか、迷った。
 たった二回会っただけの人に話すには重すぎる話。
 否。怖いのだ。
 重い話をすることが申し訳ない、ということではない。
 話して、嫌われるのが。女学校の皆と同じように、腫物に触るような目で見られるのが。


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