疾風の往く道

初音

文字の大きさ
上 下
8 / 37

悉乃の過去①

しおりを挟む
 
 相変わらずの一週間だった。

 「スリ」「嘘つき」などの張り紙は、はがしてもはがしても部屋の入口に貼られた。

 自分が昔スリをやっていたのは本当だから、「根も葉もないことで嫌がらせをするのはやめろ」と皆に吹聴して回ることもできなかった。かと言って、自分の口から「確かにスリはやっていたが今は足を洗っている」などとわざわざ説明するのもためらわれた。
 この量や頻度、さらには周りのクラスメイトのよそよそしさ。主犯は倉橋であろうが、他のお嬢様たちも元スリ犯が同じ釜の飯を食うのを許せないらしい。

 悉乃は、なるべく他の生徒と顔を合わせないように、食事の時間をずらした。特に朝は早起きをして、皆が食堂に来る頃には朝食を食べ終えていた。
 部屋に戻ると、キヨが起きていて身支度をしている。

「おはようございます、悉乃さん」
「おはようございます、キヨさん……その、ごめんなさい。私のせいで、部屋に、あんな貼り紙が……」
「いいんですのよ。気にしないで。皆、そのうち、飽きてしまうわ」

 ありがとう、と小さく言ったものの悉乃はそれ以上何を話したらいいかわからず、黙りこんでしまった。果たして、自分はいつもキヨとどんな会話をしていたのだっけ。ついこの間のことのはずなのに、思い出せなくなってしまった。

「それでは、お先に」

 学用品を手に取り、悉乃は逃げるように部屋を出てしまった。

 こんな生活が、いつまで続くのか。どうすれば打開できるのか。まったくわからず、悉乃は耐えるしかなかった。一週間を乗り切るための心の支えは、いつの間にか「日曜日に武雄に会えること」になっていた。


***


 そして迎えた日曜日。
 あの川原に、武雄はいた。

「よかったあ、来てくれなかったらどうしようかと思いました」

 武雄は人のいい笑顔を見せた。

「こちらから頼んだのに、来ないはずありませんわ」

 なんとなく、先日の「お礼が遅れたから怒ってると思った」然り、自分のことをそんなに短気で配慮のない女だと思っているのか、と悉乃はモヤモヤした気持ちを抱いた。
 今日の武雄は、普通の袴と着物姿であった。その姿を見た悉乃に気づいたのか、武雄は「ああ」と袂を広げて見せた。

「先週のことをヒデちゃんに話したら、『小石川高女の生徒さんに、しかも恩人に会うのに、汗臭ーい運動着とは何事か!』と怒られてしまいました。いいとこのお嬢様揃いの学校ですもんなあ。確かにって思いました」

 あはは、と歯を見せて武雄は笑った。

「この前一緒にいた、はとこの三田さんですよね? 仲良しなんですね」
「はは、ヒデちゃんとは小さい頃から一緒だったもんで。僕の家もヒデちゃんの家も、農家をやりつつ商売をやったりもしていて、助け合ってきたんです」
 
 楽しそうに話す武雄に悉乃は「素敵ですわね」と微笑んだ。

「って、そもそも、こんな川原に座っていて大丈夫ですか?袴が汚れてしまいますよ」
「大丈夫です」

 よかった、という武雄の笑顔とは裏腹に、悉乃の目からは涙が溢れた。それは、己の意思とは関係なく。

 なんという違いなのだ。自分は学校でいじめられ、友人とも微妙な距離が空いたままだというのに。そう思ったら、どんどん視界が涙でぼやけてくる。
 そして、武雄が自分のことを「お嬢様」と思っているのも心苦しかった。

「つ、悉乃さん?」

 今の、泣くところ? とでも言わんばかりに、武雄は慌てた様子で自身の懐を探った。やがて手拭を取り出すと、そっと差し出してくれた。悉乃は礼を言うと、途切れ途切れに事情を説明する。

「今、その、友達とぎくしゃくしてしまっていて……だから……」
「そうだったんですか……そうとも知らず、すみません……」

 気まずい沈黙が流れた。
 悉乃は、その先を話すべきか、迷った。
 たった二回会っただけの人に話すには重すぎる話。
 否。怖いのだ。
 重い話をすることが申し訳ない、ということではない。
 話して、嫌われるのが。女学校の皆と同じように、腫物に触るような目で見られるのが。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

楽将伝

九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語 織田信長の親衛隊は 気楽な稼業と きたもんだ(嘘) 戦国史上、最もブラックな職場 「織田信長の親衛隊」 そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた 金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか) 天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

夢の雫~保元・平治異聞~

橘 ゆず
歴史・時代
平安時代末期。 源氏の御曹司、源義朝の乳母子、鎌田正清のもとに13才で嫁ぐことになった佳穂(かほ)。 一回りも年上の夫の、結婚後次々とあらわになった女性関係にヤキモチをやいたり、源氏の家の絶えることのない親子、兄弟の争いに巻き込まれたり……。 悩みは尽きないものの大好きな夫の側で暮らす幸せな日々。 しかし、時代は動乱の時代。 「保元」「平治」──時代を大きく動かす二つの乱に佳穂の日常も否応なく巻き込まれていく。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

浅葱色の桜 ―堀川通花屋町下ル

初音
歴史・時代
新選組内外の諜報活動を行う諸士調役兼監察。その頭をつとめるのは、隊内唯一の女隊士だった。 義弟の近藤勇らと上洛して早2年。主人公・さくらの活躍はまだまだ続く……! 『浅葱色の桜』https://www.alphapolis.co.jp/novel/32482980/787215527 の続編となりますが、前作を読んでいなくても大丈夫な作りにはしています。前作未読の方もぜひ。 ※時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦組みを推奨しています。行間を詰めてありますので横組みだと読みづらいかもしれませんが、ご了承ください。 ※あくまでフィクションです。実際の人物、事件には関係ありません。

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

【新訳】帝国の海~大日本帝国海軍よ、世界に平和をもたらせ!第一部

山本 双六
歴史・時代
たくさんの人が亡くなった太平洋戦争。では、もし日本が勝てば原爆が落とされず、何万人の人が助かったかもしれないそう思い執筆しました。(一部史実と異なることがあるためご了承ください)初投稿ということで俊也さんの『re:太平洋戦争・大東亜の旭日となれ』を参考にさせて頂きました。 これからどうかよろしくお願い致します! ちなみに、作品の表紙は、AIで生成しております。

処理中です...