上 下
59 / 64

誰がために③

しおりを挟む
 相手は将軍だ。面を上げよと言われたところで、本当にがばっと顔をあげるわけにはいかない。さくら達は「ははぁっ」と返事をし、視線は畳に落としたまま僅かに体を起こした。
「ふむ。まあ、そのまま聞くがよい」
 これが将軍の声なのだ。さくら達と同年代だという慶喜の声は、若々しさの中にも深い落ち着きがあった。
 さくらは信じられなかった。非公式とはいえ、今自分たちは将軍に謁見している。四年前、こんなことが想像できただろうか。
 もう、十分じゃないか。今日この場でどんな沙汰が降りようと、一介の浪人が将軍に相まみえたのだと、その誇りを胸に死んでいける。さくらは、腹をくくった。

「そなたらの働きぶりは余の耳にも聞こえておる。肥後守ひごのかみを助け、よくやっておるそうだな」
「ははっ、ありがたきお言葉、痛み入ります」
 勇が代表して返事をした。その声は僅かに震えており、勇も同じ気持ちなのだろうとさくらは思った。
「そこでだ。単刀直入に申すが、新選組の者らを、幕臣として取り立てようと思う」
 一瞬の沈黙。勇が身じろぎする音がやけに大きく聞こえた。
「今、なんと、仰せになりましたか」
 勇はさくらの思ったことを代弁した。思わず顔を上げてしまったようで、「近藤、頭が高いぞ」と容保にたしなめられる始末だった。
「肥後守、構わぬ。三人とも、余にしかと顔を見せい」
 三人は、おずおずと顔をあげた。正面に座っていたのは、品と貫禄を兼ね備えた、まさしく将軍その人であった。
「今申した通り。そなたらは、誠の侍になるのだ。余の手足となり、幕府を支えて欲しい」
「それは、誠にございますか」
「近藤。何度も言わせるでない。余が嘘をつくと申すか」
「いえ、滅相もございません」
「……そうじゃのう。嘘というわけではないが、正式に沙汰する前に、ひとつ聞かせよ」
 慶喜はすっと立ち上がると、一歩、二歩、ゆっくりと三人に近づいてきた。あまりの恐れ多さに、三人は再び視線を畳に落とした。
「……島崎というのは、そなたか」
 勇の後ろにはさくらと歳三が横に並んでいたというのに、慶喜は迷うことなくどちらがさくらかわかったようだ。その声は、明らかにさくらに向けられていた。
「はっ、いかにも。左様にございます」
 さくらは震える声で返事をした。将軍が、自分の名を呼んだ。
女子おなごであるというのはまことか」
 一瞬でも、幕臣に、名実ともに武士になれるのだと、舞い上がった自分が愚かだった。慶喜はとっくに知っていたのだ。会津藩にも、見廻組にも知られている。慶喜の耳に入らないという保証など、どこにもなかったのに。
「仰せの通りでございます」
 さくらは、正直に答えた。
 ――ここまでか。私は、私だけは、女であるからという理由で、切腹を言い渡されるのだ。勇たちの足を引っ張るわけにもいかぬ。私ひとりの命で勇たちが幕臣になれるなら……
「面をあげよ、島崎」
 さくらは黙り込み、微動だにしなかった。慶喜がもう一度「面をあげよと言っておる」と言うので、さくらは顔を上げた。想像よりも近くにきていた慶喜に、さくらはどきりとしたが、つとめて冷静を装った。
「何の因果かは知らぬが、女子が頭を剃って裃を身に着け、将軍の面前こんなところまで来るとはのう。世の中にはまだまだ余の知らぬ驚くべきことがあるというものじゃ」
 なんと返答したらいいかわからず、さくらは「ははっ」とお辞儀をするにとどまった。
「渋沢が申しておったぞ。新選組の島崎朔太郎、気力胆力十分な武士もののふであったと」
「は、恐れ多きことにございます」
「その渋沢がの、我が弟の昭武あきたけとともに、今フランスに行っておる」
 さくらは渋沢の屈託ない笑顔を思い返した。あの歳で将軍の弟に随行して洋行するなど、もとは同じ武州の庶民だったというのに雲泥の差だ。さくらは少々惨めな気持ちになってきた。それにしても、慶喜は何故そんな話をするのだろうか。どうせ切腹にするつもりなのなら、一思いにさっさとそう告げてほしいところだ。
「昭武や渋沢がフランスから寄越した文には、こう書いてあった。『彼の国では、武士や農民といった身分の別はなく、また女性にょしょうたちも国を動かす一員であるとの考えを持ち、男たちと対等たらんと日々奮闘している』とな。まるでそなたのようではござらんか。いや、フランスといえども、男のなりをして武器を取る女子はそうおらぬか」
 慶喜の「はっはっは」という笑い声が、静かな部屋で奇妙に響いた。さくらは通り一遍に「お、恐れ多きことにございます」と返事をした。
「余はそなたのような女子を初めて見たものでな。半信半疑なところもある。そこでだ。そなたの覚悟のほどを聞かせて欲しい」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

わが友ヒトラー

名無ナナシ
歴史・時代
史上最悪の独裁者として名高いアドルフ・ヒトラー そんな彼にも青春を共にする者がいた 一九〇〇年代のドイツ 二人の青春物語 youtube : https://www.youtube.com/channel/UC6CwMDVM6o7OygoFC3RdKng 参考・引用 彡(゜)(゜)「ワイはアドルフ・ヒトラー。将来の大芸術家や」(5ch) アドルフ・ヒトラーの青春(三交社)

渡世人飛脚旅(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)

牛馬走
歴史・時代
(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)水呑百姓の平太は、体の不自由な祖母を養いながら、未来に希望を持てずに生きていた。平太は、賭場で無宿(浪人)を鮮やかに斃す。その折、親分に渡世人飛脚に誘われる。渡世人飛脚とは、あちこちを歩き回る渡世人を利用した闇の運送業のことを云う――

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

隠密同心艶遊記

Peace
歴史・時代
花のお江戸で巻き起こる、美女を狙った怪事件。 隠密同心・和田総二郎が、女の敵を討ち果たす! 女岡っ引に男装の女剣士、甲賀くノ一を引き連れて、舞うは刀と恋模様! 往年の時代劇テイストたっぷりの、血湧き肉躍る痛快エンタメ時代小説を、ぜひお楽しみください!

倭国女王・日御子の波乱万丈の生涯

古代雅之
歴史・時代
 A.D.2世紀中頃、古代イト国女王にして、神の御技を持つ超絶的予知能力者がいた。 女王は、崩御・昇天する1ヶ月前に、【天壌無窮の神勅】を発令した。 つまり、『この豊葦原瑞穂国 (日本の古称)全土は本来、女王の子孫が治めるべき土地である。』との空前絶後の大号令である。  この女王〔2世紀の日輪の御子〕の子孫の中から、邦国史上、空前絶後の【女性英雄神】となる【日御子〔日輪の御子〕】が誕生した。  この作品は3世紀の【倭国女王・日御子】の波乱万丈の生涯の物語である。  ちなみに、【卑弥呼】【邪馬台国】は3世紀の【文字】を持つ超大国が、【文字】を持たない辺境の弱小蛮国を蔑んで、勝手に名付けた【蔑称文字】であるので、この作品では【日御子〔卑弥呼〕】【ヤマト〔邪馬台〕国】と記している。  言い換えれば、我ら日本民族の始祖であり、古代の女性英雄神【天照大御神】は、当時の中国から【卑弥呼】と蔑まされていたのである。 卑弥呼【蔑称固有名詞】ではなく、日御子【尊称複数普通名詞】である。  【古代史】は、その遺跡や遺物が未発見であるが故に、多種多様の【説】が百花繚乱の如く、乱舞している。それはそれで良いと思う。  【自説】に固執する余り、【他説】を批判するのは如何なものであろうか!?  この作品でも、多くの【自説】を網羅しているので、【フィクション小説】として、御笑読いただければ幸いである。

空蝉

横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。 二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。

処理中です...