浅葱色の桜 ―堀川通花屋町下ル

初音

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伊東甲子太郎、動く③

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 それからさらに十日ほど経った頃、伊東は諸士調役の新井忠雄あらいただおを連れて九州へと旅立っていった。
 このかん、さくらは伊東の同門にあたる隊士らの動向に注目していた。伊東のいぬ間に何かきな臭い動きをするのではないか、という懸念からだ。そう思うに至ったのには理由がある。謹慎を終えた斎藤が気になることを言っていたのだ。

「伊東さんは、新選組にもはや良い感情は持っていないようです」
 それは、さくらと歳三の二人だけに打ち明けられたことだった。今度は菊のいる方の妾宅で、三人は密談を交わしていた。菊の腹はだいぶ大きくなっていたが、さくらはつとめて気に留めない様子で斎藤の話に耳を傾けた。斎藤は、今改めて正月の宴の様子を語ってくれた。
「そもそも、俺と永倉さんが呼ばれたのは、三年前の建白書の一件のことを踏まえたからだそうで」
 建白書の一件というのは、当時勇のふるまいを正そうと新八、斎藤、左之助らが画策したことで、会津候松平容保の執り成しによって事なきを得た一件である。伊東が入隊する前のできごとだが、古株の隊士から聞いたのだろう。
 その一件は、表向き円満に落着していたが、新八はその後謹慎させられたし、左之助は長らく小荷駄隊の隊長という、やや格の低い役職に就かされた。特に新八は、表だって勇を批判するようなことはなくなったが、よくも悪くも江戸にいた頃より他人行儀になったと感じる場面も多かった。
「永倉さんと俺なら、自分の派閥に取り込めると思ったんでしょう。原田さんは……まあ、口が軽そうだから外されたのではないかと」
 さくらと歳三は大きく頷いてしまった。斎藤は可笑しそうにわずかに口角をあげ、「それで」と話を続けた。
「伊東さんは、慶喜公が将軍職に就いたのをよく思っていないみたいです。伊東さんは水戸出身ですからね。天狗党の件なんかを引き合いに、はっきりとは言いませんでしたが、『もう幕府にはついていけない』とそういうようなことを言っていました」
 天狗党の件。それはちょうど伊東が入隊したころに起こったできごとだ。水戸藩士を中心に結成された天狗党が攘夷を求めて挙兵した事件で、当時幕府の代表として彼らを追討、処刑に追いやったのが一橋慶喜であった。伊東は「あれはやり過ぎだった」と苦々し気に語っていたらしい。
「で、完全に佐幕の立場をとる新選組の行く末を懸念していると」
「それじゃあ何か? 伊東は近藤さんや俺を暗殺して新選組を乗っ取ろうとでもしてんのか?」
「さあ……どうでしょう、さすがにそこまではしないと思いますが」
 歳三も、芹沢のことを思い出しているのではないかとさくらは思った。
 かつて初代局長・芹沢とその一派を暗殺したのは、会津藩からの要請があってのことだった。しかしどの道あのままにしていれば新選組は会津・ひいては幕府といった味方からの信用も失い、思うように活動できくなっていたであろうというのは火を見るよりも明らかだった。おそらく、会津の指示がなくても、勇や歳三は何かしらの方法で芹沢たちを排除していただろう。今なら、そう思える。
 それが今回、矛先が自分たちに向かってきている。そういう考えに至るのも、自然なことだった。
「とにかく、九州に行っている間は大それた行動に移すようなこともねえだろう。その間、俺たちの方もぼさっとしてるわけにはいかねえ。サク、伊東の門人出身のやつらに警戒しておいてくれ」
「承知」

 こうして、さくらは監察方という立場でいわゆる「伊東派」の隊士らの行動に目を光らせることになった。
 伊東が水面下で何を画策していたのか。程なくして、明らかになる。

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