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色恋、いろいろ③

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 千津とその父・籐庵とうあんは、確かに約束を守った。総司がいつ訪ねても、浪士は奥の部屋で寝ていた。もっとも、総司が父娘おやこから歓迎されたことはない。新選組の沖田総司が出入りしているなどと、ご近所の評判も気になるのだろう。総司も、ひとまずは逃がしていないかの確認ができればよかったので、浪士の姿を見とめるとさっさと帰るのが常だった。

 だが、今日の千津は様子が違った。総司の顔をまじたじと見たかと思うと、怪訝そうな顔をした。そして、「沖田はん、いったんこっちゃへ」といつもの部屋ではなく裏庭に導いた。
 不思議そうに千津を見つめる総司に、千津は頷いた。
「うん、明るいとこで見たらやっぱりそうや。沖田はん、顔色が良うない」
「えっ」
 千津は、総司の額へと手を伸ばした。身長差を埋めようとしたのか、ぴょこりと踵をあげる仕草に総司は目を奪われた。額に触れた千津の手はひんやりと冷たくて、心地よかった。だが次の瞬間、千津は「あっ」と声を上げたかと思うと素早く手を引っ込めた。若干名残惜しそうな目をした総司から顔を逸らすと、千津は
「すんまへんっ」
 と謝った。
「いきなり不躾どしたな。断りもなくお武家様のおでこに触るなんて」
「……今更ですね。不躾というならあなたは最初から……」
「それもそうや。……ほな、うちを斬りますのか?」
「斬りませんよ。私はそんな、誰彼構わず斬っているわけじゃありません」
「ほんま?」
「ほんまです」
 ぷっと、千津は笑みを漏らした。
「うつっとるで、沖田はん」
 可笑しそうにくっくっと肩を震わせている千津を見て、そういえば、千津がこんな風に笑っているのを見るのは初めてだと総司は気づいた。すると、とくんと心の臓が大きく跳ねるのを確かに感じた。不思議な心地だった。そして、最終的には笑われているのが恥ずかしくなって、総司は顔を赤らめた。
「すんまへん。笑うてる場合やおへんな。沖田はん、今体がだるいとか重いなあとかそういうのはあらへん?」
「そんなことはないですよ。そりゃあこの暑さですから、ちょっと辟易することもありますけど」
 そういえば二年前、池田屋で戦線離脱した日も、こんな風に昼間は日差しが強かった。総司はふと、そんなことを思い出した。
「沖田はん、暑いの苦手ですやろ」
「わかるんですか」
「元気な人はなあ、も少し血色のええ顔しとるもんです。今は平気かもしれんけど、こういう日はきちんとお水飲んで、なるべく涼しいところにおった方がええ」
「……その割には、こんなかんかん照りのお庭に連れ出して」
「それは沖田はんの顔色見るためや。いけず言わんといて」
「あはは、すみません。それにしても、顔色見てそんなことがわかるなんて、お医者さんっていうのはすごいですね」
「うちが……医者? なんや、今度はからこうとるんどすか。うちはおなごや」
「それがどうかしたんですか?」
「沖田はんて……変わったお人やな」
 言葉には合わないはにかんだような笑みを浮かべると、千津はずんずんと室内へ戻っていった。なんだかよくわからなかったが、総司は慌ててついていくほかなかった。
 それから千津は、いつも通り浪士が寝ている部屋に案内してくれた。現状としては、傷はだいたい治ったものの熱があるのでまだ外には出せないのだという。
「手ぬぐい換えますえ」
 千津が浪士の額に置かれた手ぬぐいを交換しているのを、総司は少し離れたところから黙って見ていた。浪士は千津の声掛けに対し苦しそうな表情で僅かに頷いた。確かに、まだ話ができそうな様子ではない。
 総司は進展がないことに落胆しつつ、診療所をあとにした。帰り際、千津は真剣な表情で言った。
「うちは逃がしも隠しもしまへん」
 それから、照れ臭そうに「また来たらええ」と付け加えると、総司を見送った。総司は千津に笑いかけ、屯所へと戻っていった。

 それからさらに半月ほど。総司は数日おきに通ったが、状況は変わらなかった。だが、千津の態度が少し柔らかくなったようで、足を運びやすくなったという些末な変化はあった。
 とは言え、この状態を長く続けるわけにもいかない。数日前には、少し悠長なのではないかと歳三に苦言を呈された。ごもっともだ。そろそろ治ってもらわねば、困る。
 だが浪士の怪我が治ればもう診療所へ行くこともないのだと思うと、少しだけ残念に思う自分もいて、総司は小さく溜息をついた。

 その日は少しだけ、変わり映えがあった。
「あの方、篠塚健之助はんいうそうや。確かに生まれは長州やて」
 浪士は、自分の名前と出身が言えるくらいには回復したらしい。千津の告げた名前は、重要参考人として追っていた男の名だった。
「それを聞き出せるだけでも、大したものだ。新選組うちの調役なんかどうです」
「けったいな冗談言わんといてください」
「結構いけると思うんだけどなぁ……で、いつ治るんですか」
 総司は声を落として、ずっと聞きたかったことを聞いた。が、千津の答えは予想外のものだった。
「篠塚はんな、労咳やと思う」
 えっ、と二の句を継げない総司を一瞥して、千津は続けた。
「最初はな、怪我のせいで熱が出とるんやと思うたんやけど、咳も出とる。あの乾いた咳は間違いあらへん。お母ちゃんの時とおんなじや」
「お母さんが……?」
「母は、一昨年労咳でうなりました。その前の年には、兄も。せやから、わかるんです。篠塚はんもおんなじやて。なあ、沖田はん」
 千津は困ったような、怯えたような顔をして、けれどもまっすぐに、総司を見た。不覚にも、総司はどきりとしてごくんと唾を飲みこんだ。
「約束違うんはわかっとる。けど、篠塚はん、見逃してやってくれまへんやろか」
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