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色恋、いろいろ➀
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慶応二(一八六六)年 六月
幕府と長州の戦が、始まった。
山崎からの報告書によればひとまず幕府側が優勢とのことだが、手放しで喜んでもいられない状況だという。
「数では幕府の方が上ですが、なにぶん長州には最新式の銃火器が揃っています。士気に大きな違いがあるのも、どう転ぶか」
それが戦場を間近で見た山崎の所感だった。
新選組も出兵を申し出たが、京の町の治安維持も重要だということで、長州出兵の沙汰は未だ降りなかった。それでも、いつ呼ばれてもいいようにと訓練に余念がない新選組。屯所である西本願寺では、ひっきりなしに銃声が響いていた。
「惜しい。あと三寸といったところか」
「三寸って惜しいんですか?」
「うるさいっ」
さくらは、キッと総司を睨んだ。総司とて、銃の腕前は五十歩百歩。からかわれる謂われはない。
さくらも総司も、弾を的の端には当てられるようになったが、中央に命中させられたためしはなかった。しかも総司は、弾を込めるのにも手こずっていて、そんな調子ではその隙に戦場で打たれてしまいますよと配下の隊士にとがめられる始末だった。
剣術で強い順に番付をすれば間違いなく上位に入る二人がこの有様だが、面白いもので、今まで剣術では十人並みだったような隊士がめきめきと腕を上げるなど、向き不向きが如実に表れた。
「そも、実際は人間が的になるんだから、体のどこかに当たればいいんだ。三寸以内のずれなら戦場でも多少使い物になるだろう」
さくらは堂々と言ってのけた。
「大雑把ですねえ」
「いいから、次」
新選組が所持する銃は数に限りがあるので、隊長や平隊士の別なく、交代で使い訓練を行う。さくらと総司は後ろに並んでいた左之助と新八に銃を渡した。
「この距離だったら、俺は槍で突いた方が早いと思うぞ」
「ははっ、左之助ならそうだろうな。だが、会津からのお達しだ。やらんわけにもいかないだろ。まあ……確かに気乗りはしないがな」
「はい、二人ともつべこべ言わない」
ぶつくさ文句を垂れる左之助と新八を押し出すようにして前に立たせると、さくらと総司はその場を退いた。
すると、パンッという音と主に、隊士たちの「おお~」という感嘆の声が聞こえた。
「周平、筋がいいじゃないか!」
わいわいと楽しそうな隊士らの声につられて、さくらはその輪の中心にいる周平をちらりと見やった。
あの日以降、用がない限りさくらは周平と口を利いていない。総司も、歳三もそうだ。源三郎はそこまで露骨ではないが、距離を置こうとしているのは見てとれた。
勇が許しても、自分は許さない。皆、口には出さないがそう思っているようだった。
だが、この件を噂程度にしか思っていない隊士も一定数おり、周平は隊内での居場所を失ってはいなかった。意外な図太さだけは、評価に値するとさくらは認めざるを得なかった。
さくらと総司は、砲術の稽古を抜け出すとそのまま屯所を出た。今や必要なくなったはずの、勇の妾宅に呼ばれている。歳三と源三郎も声はかけられていたが、都合がつかないので別で行くとのことだった。
「それにしても近藤先生、どうして妾宅を手放さないんですかね」
「別の女でも囲うつもりなのではないか?」
「なるほど。さすが近藤先生。引く手あまたですねえ」
総司は心から「さすが」と思っているのだろう。
総司だけではない。堅物のような顔をして意外と女好きである勇に、さくらは少々呆れる気持ちもないではなかったが、「英雄色を好む」ものなのだとか言って、隊士の間では案外好意的に受け取られている。
そして、さくらの予想は、当たった。
「お前も懲りないやつだな」
大きなため息と共に、さくらは目の前に置かれた証文に目を通した。
勇は新しい妾をこの家に迎え入れようとしていた。その妾というのが、なんと
「お雪さんの妹だなんて」
「お雪さんに、妹がいたんですか!」
総司も驚いて、しげしげと証文を眺めた。
その妹の名は、孝というらしい。これまた大坂の売れっ子だということで、楼主が雪の不始末の詫びも兼ね「いかがですか」と薦めてきたという。雪によく似た孝を気に入った勇は、二つ返事で身請けを決めたという。
「金はどうするんだ」
「それが、向こうのご厚意で少し値を引いてくれるそうだ」
確かに雪を身請けした時よりは少し安かったが、目の飛び出るような金額であることに変わりはない。それでも勇は払える、と豪語するのだから、新選組局長というのは随分豪勢になったものだ、とさくらはある意味感心してしまった。壬生浪士組時代の貧乏暮らしが懐かしくさえ思える。
「私ひとりが反対したところで、勇が思いとどまるとも思えないし、所詮小うるさい義姉の戯言。妾宅制度を作ってしまった以上、局長が妾宅なしというのも格好がつかないし」
「あはは、別に戯言とは思わないが、さくらに断固反対されたら困るなあとは思っていた」
「では、今から断固反対しようか」
「勘弁してくれよ。今度は、大丈夫だ。お孝は見た目こそお雪に似ているものの、性格はあまり似ていないんだ」
「そんな理由で大丈夫なのか」
「まあ、なんとかなるだろう」
どうだかなあ、と怪訝な顔をするさくらを見て、総司が助け船を出した。
「そうですよ島崎先生。そうそう同じようなことが続くもんじゃありませんって」
「おお、総司はおれの味方だなぁ」
嬉しそうに笑う勇と、これまた満足げに微笑む総司。さくらは観念して、「はいはい」と微笑んだ。
「ありがとう、二人とも。トシと源さんにも後で話そうと思ってる。正式に話を進めるのは、その後だ」
幕府と長州の戦が、始まった。
山崎からの報告書によればひとまず幕府側が優勢とのことだが、手放しで喜んでもいられない状況だという。
「数では幕府の方が上ですが、なにぶん長州には最新式の銃火器が揃っています。士気に大きな違いがあるのも、どう転ぶか」
それが戦場を間近で見た山崎の所感だった。
新選組も出兵を申し出たが、京の町の治安維持も重要だということで、長州出兵の沙汰は未だ降りなかった。それでも、いつ呼ばれてもいいようにと訓練に余念がない新選組。屯所である西本願寺では、ひっきりなしに銃声が響いていた。
「惜しい。あと三寸といったところか」
「三寸って惜しいんですか?」
「うるさいっ」
さくらは、キッと総司を睨んだ。総司とて、銃の腕前は五十歩百歩。からかわれる謂われはない。
さくらも総司も、弾を的の端には当てられるようになったが、中央に命中させられたためしはなかった。しかも総司は、弾を込めるのにも手こずっていて、そんな調子ではその隙に戦場で打たれてしまいますよと配下の隊士にとがめられる始末だった。
剣術で強い順に番付をすれば間違いなく上位に入る二人がこの有様だが、面白いもので、今まで剣術では十人並みだったような隊士がめきめきと腕を上げるなど、向き不向きが如実に表れた。
「そも、実際は人間が的になるんだから、体のどこかに当たればいいんだ。三寸以内のずれなら戦場でも多少使い物になるだろう」
さくらは堂々と言ってのけた。
「大雑把ですねえ」
「いいから、次」
新選組が所持する銃は数に限りがあるので、隊長や平隊士の別なく、交代で使い訓練を行う。さくらと総司は後ろに並んでいた左之助と新八に銃を渡した。
「この距離だったら、俺は槍で突いた方が早いと思うぞ」
「ははっ、左之助ならそうだろうな。だが、会津からのお達しだ。やらんわけにもいかないだろ。まあ……確かに気乗りはしないがな」
「はい、二人ともつべこべ言わない」
ぶつくさ文句を垂れる左之助と新八を押し出すようにして前に立たせると、さくらと総司はその場を退いた。
すると、パンッという音と主に、隊士たちの「おお~」という感嘆の声が聞こえた。
「周平、筋がいいじゃないか!」
わいわいと楽しそうな隊士らの声につられて、さくらはその輪の中心にいる周平をちらりと見やった。
あの日以降、用がない限りさくらは周平と口を利いていない。総司も、歳三もそうだ。源三郎はそこまで露骨ではないが、距離を置こうとしているのは見てとれた。
勇が許しても、自分は許さない。皆、口には出さないがそう思っているようだった。
だが、この件を噂程度にしか思っていない隊士も一定数おり、周平は隊内での居場所を失ってはいなかった。意外な図太さだけは、評価に値するとさくらは認めざるを得なかった。
さくらと総司は、砲術の稽古を抜け出すとそのまま屯所を出た。今や必要なくなったはずの、勇の妾宅に呼ばれている。歳三と源三郎も声はかけられていたが、都合がつかないので別で行くとのことだった。
「それにしても近藤先生、どうして妾宅を手放さないんですかね」
「別の女でも囲うつもりなのではないか?」
「なるほど。さすが近藤先生。引く手あまたですねえ」
総司は心から「さすが」と思っているのだろう。
総司だけではない。堅物のような顔をして意外と女好きである勇に、さくらは少々呆れる気持ちもないではなかったが、「英雄色を好む」ものなのだとか言って、隊士の間では案外好意的に受け取られている。
そして、さくらの予想は、当たった。
「お前も懲りないやつだな」
大きなため息と共に、さくらは目の前に置かれた証文に目を通した。
勇は新しい妾をこの家に迎え入れようとしていた。その妾というのが、なんと
「お雪さんの妹だなんて」
「お雪さんに、妹がいたんですか!」
総司も驚いて、しげしげと証文を眺めた。
その妹の名は、孝というらしい。これまた大坂の売れっ子だということで、楼主が雪の不始末の詫びも兼ね「いかがですか」と薦めてきたという。雪によく似た孝を気に入った勇は、二つ返事で身請けを決めたという。
「金はどうするんだ」
「それが、向こうのご厚意で少し値を引いてくれるそうだ」
確かに雪を身請けした時よりは少し安かったが、目の飛び出るような金額であることに変わりはない。それでも勇は払える、と豪語するのだから、新選組局長というのは随分豪勢になったものだ、とさくらはある意味感心してしまった。壬生浪士組時代の貧乏暮らしが懐かしくさえ思える。
「私ひとりが反対したところで、勇が思いとどまるとも思えないし、所詮小うるさい義姉の戯言。妾宅制度を作ってしまった以上、局長が妾宅なしというのも格好がつかないし」
「あはは、別に戯言とは思わないが、さくらに断固反対されたら困るなあとは思っていた」
「では、今から断固反対しようか」
「勘弁してくれよ。今度は、大丈夫だ。お孝は見た目こそお雪に似ているものの、性格はあまり似ていないんだ」
「そんな理由で大丈夫なのか」
「まあ、なんとかなるだろう」
どうだかなあ、と怪訝な顔をするさくらを見て、総司が助け船を出した。
「そうですよ島崎先生。そうそう同じようなことが続くもんじゃありませんって」
「おお、総司はおれの味方だなぁ」
嬉しそうに笑う勇と、これまた満足げに微笑む総司。さくらは観念して、「はいはい」と微笑んだ。
「ありがとう、二人とも。トシと源さんにも後で話そうと思ってる。正式に話を進めるのは、その後だ」
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