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谷兄弟の凋落 ―弟の場合②
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数日間大坂に出張していた勇は、予定より早く京の市中に戻ってくることができたため、屯所ではなく妾宅に帰ることにした。日の沈む頃合いだった。最近料理の腕を上げてきた雪に何か作ってもらおうと考えたら、腹の虫が鳴った。一人可笑しくなって微笑み、上機嫌で家路を急いだ勇を待ち受けていたものは、信じがたい光景だった。
いつもは勇と雪が寝室として使っている部屋に、周平がいた。片手で雪の腰を抱き、もう片手で雪の手を握っている。雪の方も、うっとりとした目で周平を見つめていた。あと少し時がずれていれば、いったいどんな場面を目撃することになってしまったのだろうと、勇は恐ろしくなった。
「な、何をしているのだ、お前たち!」
二人は勇を見るやいなや、大慌てで姿勢を正し、勇の前に正座した。
「も、申し訳ございません、父上!」
「勇さま、これは……その」
「どういうことだ。説明しなさい」
周平が、手をついて深々と頭を下げた。
「申し訳ございません」
再びの謝罪。だが、今は謝罪よりも説明が欲しいところ。勇の刺すような視線に促され、周平が語ったところによれば。
勇が広島に行っている間に、周平が妾宅に届け物をしたことがあった。留守の間、雪の退屈しのぎにと勇が選んだ読み本や、修理に出していた三味線といった、出発前に勇が頼んでいた品々だった。
「届けに行ってすぐお暇するつもりだったのですが、お雪さんが木の上に飛ばされた洗濯物を取れず難儀していたので、手伝ったのです。それで、少しお茶でも飲んでいかないか、と」
勇は、話を聞いて嫌な予感がした。だが、取り乱すのはみっともないので、そのまま周平の話を聞こうと頷いた。すると、話し手は雪に変わった。
「うちが悪いんどす。周平はんに、またおいでやす言うたんどす。勇さまがおらんようになってから、うち寂しゅうて。時々お話相手になってもろてたんや」
「いいえ、悪いのは私です。私が足を運ばなければ済んだ話。それなのに、ずるずると……」
雪を庇う周平に、勇は「もういい」と唸った。自分が広島から戻ってきてもう二ヶ月経つ。その間、確かに妾宅に帰らない日があったり、大坂に数日間滞在したりしたこともあった。そういう機会を狙って、自分の目を盗んで、逢瀬を重ねていたのだろう。そう思うと、やりきれない気持ちになった。
という胸の内を、勇は口に出さなかった。周平も雪も、みなまでは言わなかった。
「勇さま。うちはお手打ちになっても仕方ないことをしました。どうぞ、存分なご裁断を」
「切腹は、覚悟しております。近藤家の養子として務めを果たせなかったこと、申し訳なく思います」
深々と頭を下げる二人に、勇は何も言えなかった。
近藤家の名に泥を塗るようなことをすれば、斬る。周平を養子にする時、さくらがそう言っていた。総司も同じことを言っていたという。
近ごろ、さくらは隊士の処断について情には流されぬという姿勢を確固たるものにしている。歳三や総司に言ったところで、同じだろう。皆、即刻切腹だと息巻くに違いない。
それはもちろん正しいと思う。非情な面も持ち合わせていなければ、新選組という烏合の衆をまとめあげることはできない。だがしかし。
さくらが言うところの「情」がこんな仕打ちを受けても、まだ勇の中にあった。そして、認めたくはないが、もうひとつ大きいのは「恥」の感情だ。
おめおめと息子に妾を寝取られたなどと、どうして公にできようか。新選組の局長として、こんなにみっともないことがあるだろうか。だが、そうかと言って隠し立てするのも武士らしくないだろうか。
勇は歯をくいしばって考えた。
「今から言うことは、生涯他言せぬよう」
淡々と、そう告げた。
いつもは勇と雪が寝室として使っている部屋に、周平がいた。片手で雪の腰を抱き、もう片手で雪の手を握っている。雪の方も、うっとりとした目で周平を見つめていた。あと少し時がずれていれば、いったいどんな場面を目撃することになってしまったのだろうと、勇は恐ろしくなった。
「な、何をしているのだ、お前たち!」
二人は勇を見るやいなや、大慌てで姿勢を正し、勇の前に正座した。
「も、申し訳ございません、父上!」
「勇さま、これは……その」
「どういうことだ。説明しなさい」
周平が、手をついて深々と頭を下げた。
「申し訳ございません」
再びの謝罪。だが、今は謝罪よりも説明が欲しいところ。勇の刺すような視線に促され、周平が語ったところによれば。
勇が広島に行っている間に、周平が妾宅に届け物をしたことがあった。留守の間、雪の退屈しのぎにと勇が選んだ読み本や、修理に出していた三味線といった、出発前に勇が頼んでいた品々だった。
「届けに行ってすぐお暇するつもりだったのですが、お雪さんが木の上に飛ばされた洗濯物を取れず難儀していたので、手伝ったのです。それで、少しお茶でも飲んでいかないか、と」
勇は、話を聞いて嫌な予感がした。だが、取り乱すのはみっともないので、そのまま周平の話を聞こうと頷いた。すると、話し手は雪に変わった。
「うちが悪いんどす。周平はんに、またおいでやす言うたんどす。勇さまがおらんようになってから、うち寂しゅうて。時々お話相手になってもろてたんや」
「いいえ、悪いのは私です。私が足を運ばなければ済んだ話。それなのに、ずるずると……」
雪を庇う周平に、勇は「もういい」と唸った。自分が広島から戻ってきてもう二ヶ月経つ。その間、確かに妾宅に帰らない日があったり、大坂に数日間滞在したりしたこともあった。そういう機会を狙って、自分の目を盗んで、逢瀬を重ねていたのだろう。そう思うと、やりきれない気持ちになった。
という胸の内を、勇は口に出さなかった。周平も雪も、みなまでは言わなかった。
「勇さま。うちはお手打ちになっても仕方ないことをしました。どうぞ、存分なご裁断を」
「切腹は、覚悟しております。近藤家の養子として務めを果たせなかったこと、申し訳なく思います」
深々と頭を下げる二人に、勇は何も言えなかった。
近藤家の名に泥を塗るようなことをすれば、斬る。周平を養子にする時、さくらがそう言っていた。総司も同じことを言っていたという。
近ごろ、さくらは隊士の処断について情には流されぬという姿勢を確固たるものにしている。歳三や総司に言ったところで、同じだろう。皆、即刻切腹だと息巻くに違いない。
それはもちろん正しいと思う。非情な面も持ち合わせていなければ、新選組という烏合の衆をまとめあげることはできない。だがしかし。
さくらが言うところの「情」がこんな仕打ちを受けても、まだ勇の中にあった。そして、認めたくはないが、もうひとつ大きいのは「恥」の感情だ。
おめおめと息子に妾を寝取られたなどと、どうして公にできようか。新選組の局長として、こんなにみっともないことがあるだろうか。だが、そうかと言って隠し立てするのも武士らしくないだろうか。
勇は歯をくいしばって考えた。
「今から言うことは、生涯他言せぬよう」
淡々と、そう告げた。
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