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託された思い②
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次の日、さくら、総司、周平は勇の妾宅に呼ばれた。
さくらは勇の妾宅にちゃんと足を踏み入れるのは初めてだった。小ぎれいで、手入れが行き届いているようだ。深雪太夫改め雪は、家のことを丁寧にやっているのだろう。
と思いきや、さくら達を出迎えたのは通いの下女だったので、家のことはほとんどこの下女がやっているのだろうと察しがついた。
それでも、雪はさくら達にお茶とお菓子を出してくれた。完全に、客をもてなす奥様の様子。質素な着物を着ているが、さすがは元売れっ子太夫。色気のような、風格のような、そういうものがそこはかとなく漂っていた。
勇は「ありがとう、もう下がっていなさい」と優しい声色で雪に告げ、彼女がいなくなるのを見計らってから、さて、と咳払いした。
「知っての通り、おれはもうすぐ長州に向かう。敵地に赴くのだから、危険な任務になる。池田屋でも、去年の御所の戦でも、新選組は恨まれているだろうから、敵に急襲されぬとも限らない」
三人は、ごくりと唾を飲み、何も言わなかった。緊張の面持ちで勇の次の言葉を待つ。
「万が一おれに何かあった場合は、皆に後を託したいと思っている。まずは、周平」
「は、はい!」
周平は元気よく返事をし、伸びていた背筋をさらにぴんと伸ばした。
「お前には、近藤家のことを頼む。いい嫁さんをもらって、元気な子をもうけてくれ」
「はいっ! もちろん、ですが、嫁と子の顔は父上にも見てもらわねば困ります。必ず、ご無事でお帰りくださいませ」
周平は、深々と頭を下げた。さくらはその様子を見て、
――ほう、らしい振舞いができるようになってきたではないか。
と、感心した。
勇は嬉しそうに微笑むと、続いて、とさくら・総司に視線を向けた。
「天然理心流の五代目宗家は、総司に継いでほしい」
一瞬の沈黙があった。気まずい間ともいえる。総司が一瞬、申し訳なさそうにさくらを見た。
「近藤先生。前にも言ったはずです。私は、島崎――姉先生を差し置いて宗家を継ぐわけにはいきません。こればかりは、近藤先生のご命令だとしても、承服できかねます」
「ばかやろう」
総司を叱責したのは、さくらだった。
「天然理心流の宗家は、天然理心流で一番強いやつがなるのだ。四代目を決めた時もそうだった。それで言えば、五代目は総司、お前を置いて他におらぬ。いらぬ気を使うな」
さくらは、話は終わりとばかりに出された茶に口をつけた。
そうは言っても、嬉しかった。総司が、勇大好きな総司が、勇に歯向かってまで、自分を五代目に推してくれたことが。この微妙な間に茶など飲み始めたのも、そんな感情が表に出るのをごまかすためである。
「しかし……」
総司がまだ納得していないといった顔でさくらを見るので、さくらはコトリと湯飲みを置いた。
「安心しろ。そも、勇の四代目はまだ続くのだ。お前が近々で五代目になるのは万が一の話。次の宗家のことは、勇がヨボヨボになる頃に考えればよい。その時は、改めて私が総司に五代目決定戦を挑もう。勝った方が五代目だ。それでどうだ」
「父上がヨボヨボになる頃は、伯母上もヨボヨボではないですか」
「周平! 元も子もないことを言うな!」
「……ぷっ」
噴き出したのは、勇と総司。やがて二人はくすくす、あははっ、と笑い声を大きくしていく。
「そこ二人、お前らのための話を今真剣にしているというのに! で、どうなんだ総司。近藤局長がこう言ってるんだ。素直に受ければよい」
総司は笑うのをやめ、それでもまだ笑みの残る顔でさくらと勇を交互に見た。
「ありがとうございます、島崎先生。近藤先生、謹んで、お話お受けいたします」
頭を下げ、上げたかと思うと総司は周平と同じく「ですが」と険しい顔をした。
「しばらくは継ぎませんよ。近藤先生は必ず帰ってきて、まだまだ新選組局長兼天然理心流宗家四代目を務めるのですから」
「はは、そうだな。まだまだお前には譲れん」
嬉しそうに笑う勇は、やがてさくらの方に真っ直ぐ体を向けた。
「さくら。もし、おれに万が一のことがあったら、総司のことも、周平のことも、新選組のことも、トシのことも、よろしく頼むよ」
「おいおい、私だけやけに多いな。この二人はともかく、歳三なんて私がいようがいまいが自力でなんでもさっさかやってしまうだろう」
「まあ、それはそうかもしれないが。さくらがいれば、あいつはもっとこう、なんていうのかな、秘めたる力を発揮できるような気がするから」
「ふーん……?」
この流れで急に歳三の名が出てきたことを少し不思議に思いながらも、要するに皆のことを任されたのだと、さくらはなんだかくすぐったかった。
「なんでもいいから、とにかく無事に帰ってくるのだぞ。そうでなければ、やはり新選組は締まらぬ」
勇は、ありがとう、と笑った。
数日後、勇は伊東らと共に西へと旅立っていった。決死の思いをつづった手紙も、ツネや故郷の門人・佐藤彦五郎に宛てぬかりなく送っている。手紙の内容が現実にならぬよう祈りながら、さくらは勇を見送った。
さくらは勇の妾宅にちゃんと足を踏み入れるのは初めてだった。小ぎれいで、手入れが行き届いているようだ。深雪太夫改め雪は、家のことを丁寧にやっているのだろう。
と思いきや、さくら達を出迎えたのは通いの下女だったので、家のことはほとんどこの下女がやっているのだろうと察しがついた。
それでも、雪はさくら達にお茶とお菓子を出してくれた。完全に、客をもてなす奥様の様子。質素な着物を着ているが、さすがは元売れっ子太夫。色気のような、風格のような、そういうものがそこはかとなく漂っていた。
勇は「ありがとう、もう下がっていなさい」と優しい声色で雪に告げ、彼女がいなくなるのを見計らってから、さて、と咳払いした。
「知っての通り、おれはもうすぐ長州に向かう。敵地に赴くのだから、危険な任務になる。池田屋でも、去年の御所の戦でも、新選組は恨まれているだろうから、敵に急襲されぬとも限らない」
三人は、ごくりと唾を飲み、何も言わなかった。緊張の面持ちで勇の次の言葉を待つ。
「万が一おれに何かあった場合は、皆に後を託したいと思っている。まずは、周平」
「は、はい!」
周平は元気よく返事をし、伸びていた背筋をさらにぴんと伸ばした。
「お前には、近藤家のことを頼む。いい嫁さんをもらって、元気な子をもうけてくれ」
「はいっ! もちろん、ですが、嫁と子の顔は父上にも見てもらわねば困ります。必ず、ご無事でお帰りくださいませ」
周平は、深々と頭を下げた。さくらはその様子を見て、
――ほう、らしい振舞いができるようになってきたではないか。
と、感心した。
勇は嬉しそうに微笑むと、続いて、とさくら・総司に視線を向けた。
「天然理心流の五代目宗家は、総司に継いでほしい」
一瞬の沈黙があった。気まずい間ともいえる。総司が一瞬、申し訳なさそうにさくらを見た。
「近藤先生。前にも言ったはずです。私は、島崎――姉先生を差し置いて宗家を継ぐわけにはいきません。こればかりは、近藤先生のご命令だとしても、承服できかねます」
「ばかやろう」
総司を叱責したのは、さくらだった。
「天然理心流の宗家は、天然理心流で一番強いやつがなるのだ。四代目を決めた時もそうだった。それで言えば、五代目は総司、お前を置いて他におらぬ。いらぬ気を使うな」
さくらは、話は終わりとばかりに出された茶に口をつけた。
そうは言っても、嬉しかった。総司が、勇大好きな総司が、勇に歯向かってまで、自分を五代目に推してくれたことが。この微妙な間に茶など飲み始めたのも、そんな感情が表に出るのをごまかすためである。
「しかし……」
総司がまだ納得していないといった顔でさくらを見るので、さくらはコトリと湯飲みを置いた。
「安心しろ。そも、勇の四代目はまだ続くのだ。お前が近々で五代目になるのは万が一の話。次の宗家のことは、勇がヨボヨボになる頃に考えればよい。その時は、改めて私が総司に五代目決定戦を挑もう。勝った方が五代目だ。それでどうだ」
「父上がヨボヨボになる頃は、伯母上もヨボヨボではないですか」
「周平! 元も子もないことを言うな!」
「……ぷっ」
噴き出したのは、勇と総司。やがて二人はくすくす、あははっ、と笑い声を大きくしていく。
「そこ二人、お前らのための話を今真剣にしているというのに! で、どうなんだ総司。近藤局長がこう言ってるんだ。素直に受ければよい」
総司は笑うのをやめ、それでもまだ笑みの残る顔でさくらと勇を交互に見た。
「ありがとうございます、島崎先生。近藤先生、謹んで、お話お受けいたします」
頭を下げ、上げたかと思うと総司は周平と同じく「ですが」と険しい顔をした。
「しばらくは継ぎませんよ。近藤先生は必ず帰ってきて、まだまだ新選組局長兼天然理心流宗家四代目を務めるのですから」
「はは、そうだな。まだまだお前には譲れん」
嬉しそうに笑う勇は、やがてさくらの方に真っ直ぐ体を向けた。
「さくら。もし、おれに万が一のことがあったら、総司のことも、周平のことも、新選組のことも、トシのことも、よろしく頼むよ」
「おいおい、私だけやけに多いな。この二人はともかく、歳三なんて私がいようがいまいが自力でなんでもさっさかやってしまうだろう」
「まあ、それはそうかもしれないが。さくらがいれば、あいつはもっとこう、なんていうのかな、秘めたる力を発揮できるような気がするから」
「ふーん……?」
この流れで急に歳三の名が出てきたことを少し不思議に思いながらも、要するに皆のことを任されたのだと、さくらはなんだかくすぐったかった。
「なんでもいいから、とにかく無事に帰ってくるのだぞ。そうでなければ、やはり新選組は締まらぬ」
勇は、ありがとう、と笑った。
数日後、勇は伊東らと共に西へと旅立っていった。決死の思いをつづった手紙も、ツネや故郷の門人・佐藤彦五郎に宛てぬかりなく送っている。手紙の内容が現実にならぬよう祈りながら、さくらは勇を見送った。
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