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不穏な動き④
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夕方、さくらは市中に戻って来た。
夏が過ぎたとはいえ、鬘で頭が蒸れて気持ち悪い。さっさと外して頭も体も拭いてしまいたい。
今回は、疲れた。重大なことを聞いてしまった。これを踏まえて新選組としてどう動くべきか。早く相談しなければ。
疲労に加え、あれこれ考えていたせいか、思っていたよりも妾宅に着くまでに時間がかかってしまった。
土間はがらんとしており菊の姿はなかった。夕餉の支度でもしている頃合いだと思ったが、部屋にいるのだろうか。さくらは早く休みたかったので框に腰掛けて草鞋を脱ごうとした。すると、置いてある下駄に目が留まった。大きさからして男ものだ。
ここに来る男として真っ先に思い浮かぶのは、歳三である。
――なんだ、私が連れてくるまでもなかったな。
と思ったのもつかの間、さくらは聞こえてきた声にピタリと全身の動きを止めた。
菊が、歳三の名を呼ぶ声。物音。
これまた昨年の遊郭潜入経験で得た勘がこう言っている。今、まさに、お取込み中であると。
さくらは脱ぎかけた草鞋を履き直し、音を立てずにそっと家を出た。不思議と、疲労感がすーっと消えていった。代わりに、ぞわりと胸に何かがうごめくような心地がした。
――別に、もともとお菊さんは歳三の馴染みだったわけだし、そういうことをするのも、まあ、不思議ではないのだが……何も私の家でせずとも……いや、他に場所はないか。仕方ないか。って、「私の家」とかすっかりそんな……まあ、今はそれについてはどうでもよくて……しかし、場所を変えるという手もあるだろう……いや、変えないか……
さくらはあてもなく歩いた。日も暮れかかっているし、いっそ屯所に直行しようかとも思ったが、今の自分は女の姿だ。この時間は巡察の交代にかかる頃合いで、屯所には大勢の隊士がいる。こっそり帰営することを試みたところで、見つかる危険性が高い。
仕方なく、久しぶりにタミの髪結屋で変装を解こうとさくらは方向転換した。少し遠いが、やむを得ない。
すると、目の前の商家から見慣れた人影が出てきた。
「斎藤っ」
思わず駆け寄ってしまったが、考えてみれば、斎藤に女の姿を見せるのは初めてだった。斎藤は不思議そうな顔をして、目を凝らしてさくらを見た。
「島崎さん……?」
「一人か? こんなところで何してる」
「俺は、所用で少し。巡察で気になったこともあったので。ですが、もう用件は済みました。島崎さんこそ、その格好……本当に女子だったのですね」
「今更言うことか。この格好だから屯所に戻れなくて難儀していたところだったのだ」
さくらは袂を広げて見せ、あっ、と何かを思いついたように斎藤を見た。
「そうだっ、斎藤、飲みに行こう!」
「どうしたんですか。島崎さんが飲みに誘うなんて珍しい。嫌な予感がするんですが……」
「よいではないか。飲みたい気分なのだ。この辺で時を稼げるならその方がラクだし」
「時を稼ぐ……?」
「その辺りも、ゆっくり話そうではないか。お前を口の堅い男と見込んでのことだ」
斎藤は、んーと唸り困ったような顔をしたがやがて「わかりました」と頷いた。
「よーし、そう来なければな」
こうして、珍しい二人組で飲み屋に繰り出したのであった。
***
「島崎さん、もうその辺にしておいた方が」
斎藤は肩身狭そうにあたりをキョロキョロと見回した。幸い、他の客も酔いが回っていて二人の様子を気に留める者はほとんどいない。だが、給仕の女中は怪訝な顔をしている。無理もない。男女が二人で居酒屋で飲んでいて、女の方がへべれけになっているなど、かなり目立つ。
「でもお、もうこんな夜分にタミさんのところにいけないし、この格好じゃ屯所には帰れないし、家には歳三がいるしい」
「意外と口と頭は回るんですね……しかし、さすがに土方さんもそろそろ屯所に戻ってるんじゃないですか。断りなく外泊するような人ではないですから」
斎藤の言う通り、無断外泊は禁じられている。切腹になるほどではないが、そのまま脱走という展開に直結するので、謹慎させて事の重大さをわからせることが多い。隊規の生みの親・土方歳三が禁を破るはずがなかった。
「確かに。そう考えると歳三も窮屈なやつだな。はっはっは」
「笑ってる場合じゃないですよ。とにかく、俺も行きますからいったん妾宅に戻ってみましょう。もしまだ土方さんがいたら、屯所に戻ってもいいじゃないですか。もう暗いし、裏から入ればなんとかなります」
「うん……それもそうだな」
さくらは、支払をするべくごそごそと財布を探した。
夏が過ぎたとはいえ、鬘で頭が蒸れて気持ち悪い。さっさと外して頭も体も拭いてしまいたい。
今回は、疲れた。重大なことを聞いてしまった。これを踏まえて新選組としてどう動くべきか。早く相談しなければ。
疲労に加え、あれこれ考えていたせいか、思っていたよりも妾宅に着くまでに時間がかかってしまった。
土間はがらんとしており菊の姿はなかった。夕餉の支度でもしている頃合いだと思ったが、部屋にいるのだろうか。さくらは早く休みたかったので框に腰掛けて草鞋を脱ごうとした。すると、置いてある下駄に目が留まった。大きさからして男ものだ。
ここに来る男として真っ先に思い浮かぶのは、歳三である。
――なんだ、私が連れてくるまでもなかったな。
と思ったのもつかの間、さくらは聞こえてきた声にピタリと全身の動きを止めた。
菊が、歳三の名を呼ぶ声。物音。
これまた昨年の遊郭潜入経験で得た勘がこう言っている。今、まさに、お取込み中であると。
さくらは脱ぎかけた草鞋を履き直し、音を立てずにそっと家を出た。不思議と、疲労感がすーっと消えていった。代わりに、ぞわりと胸に何かがうごめくような心地がした。
――別に、もともとお菊さんは歳三の馴染みだったわけだし、そういうことをするのも、まあ、不思議ではないのだが……何も私の家でせずとも……いや、他に場所はないか。仕方ないか。って、「私の家」とかすっかりそんな……まあ、今はそれについてはどうでもよくて……しかし、場所を変えるという手もあるだろう……いや、変えないか……
さくらはあてもなく歩いた。日も暮れかかっているし、いっそ屯所に直行しようかとも思ったが、今の自分は女の姿だ。この時間は巡察の交代にかかる頃合いで、屯所には大勢の隊士がいる。こっそり帰営することを試みたところで、見つかる危険性が高い。
仕方なく、久しぶりにタミの髪結屋で変装を解こうとさくらは方向転換した。少し遠いが、やむを得ない。
すると、目の前の商家から見慣れた人影が出てきた。
「斎藤っ」
思わず駆け寄ってしまったが、考えてみれば、斎藤に女の姿を見せるのは初めてだった。斎藤は不思議そうな顔をして、目を凝らしてさくらを見た。
「島崎さん……?」
「一人か? こんなところで何してる」
「俺は、所用で少し。巡察で気になったこともあったので。ですが、もう用件は済みました。島崎さんこそ、その格好……本当に女子だったのですね」
「今更言うことか。この格好だから屯所に戻れなくて難儀していたところだったのだ」
さくらは袂を広げて見せ、あっ、と何かを思いついたように斎藤を見た。
「そうだっ、斎藤、飲みに行こう!」
「どうしたんですか。島崎さんが飲みに誘うなんて珍しい。嫌な予感がするんですが……」
「よいではないか。飲みたい気分なのだ。この辺で時を稼げるならその方がラクだし」
「時を稼ぐ……?」
「その辺りも、ゆっくり話そうではないか。お前を口の堅い男と見込んでのことだ」
斎藤は、んーと唸り困ったような顔をしたがやがて「わかりました」と頷いた。
「よーし、そう来なければな」
こうして、珍しい二人組で飲み屋に繰り出したのであった。
***
「島崎さん、もうその辺にしておいた方が」
斎藤は肩身狭そうにあたりをキョロキョロと見回した。幸い、他の客も酔いが回っていて二人の様子を気に留める者はほとんどいない。だが、給仕の女中は怪訝な顔をしている。無理もない。男女が二人で居酒屋で飲んでいて、女の方がへべれけになっているなど、かなり目立つ。
「でもお、もうこんな夜分にタミさんのところにいけないし、この格好じゃ屯所には帰れないし、家には歳三がいるしい」
「意外と口と頭は回るんですね……しかし、さすがに土方さんもそろそろ屯所に戻ってるんじゃないですか。断りなく外泊するような人ではないですから」
斎藤の言う通り、無断外泊は禁じられている。切腹になるほどではないが、そのまま脱走という展開に直結するので、謹慎させて事の重大さをわからせることが多い。隊規の生みの親・土方歳三が禁を破るはずがなかった。
「確かに。そう考えると歳三も窮屈なやつだな。はっはっは」
「笑ってる場合じゃないですよ。とにかく、俺も行きますからいったん妾宅に戻ってみましょう。もしまだ土方さんがいたら、屯所に戻ってもいいじゃないですか。もう暗いし、裏から入ればなんとかなります」
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