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不穏な動き②
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今日の目的地は、伏見。大坂と京を結ぶ舟の発着地になっているため、町はいつも賑わっている。さくらは「寺田屋」という旅籠の前に到着した。
一見すると何の変哲もない旅籠。しかしここに最近、長州の人間が出入りしているという噂がある。
さくらは大坂へ向かう宿泊客を装っていた。考えてきた設定を脳内で反芻し、心の準備ができたところで、のれんをくぐった。
「いらっしゃいまし。まあ、おなごはんが一人で大変どしたやろ」
女将に言われ、さくらは「へえ」と笑ってみせた。
「うちは足が遅うて、一緒に来よった兄さん先にいかせてゆっくりきたんどす。このまま舟乗ったら酔ってしまいそうやさけ、今日はここに泊めとくれやす」
すらすら言ってのけると、女将は特段疑問に思った様子もなく近くにいた女中を呼んだ。
「お龍、こんお方、二階にお通しして」
「へえ」
お龍と呼ばれた女中は、「こっちゃへどうぞ」とさくらを手招きした。そのまま階段を上がっていくので、さくらは慌ててついていった。
二階の、こぢんまりとした部屋を宛てがわれた。さくらがお礼を言うと、龍は「ごゆっくり」と言って去っていった。
襖が閉まるのを確認するとさくらは荷ほどきもそこそこに窓から外を覗いた。建物の周囲がどうなっているかをまずはざっと見ておきたかった。
どうやら、中庭の脇が渡り廊下になっていて離れの建物に繋がっているようだった。もし、隠れるなら。何か密会をするなら。あちらの建物の方が都合がいいはずだ。
夕餉が出てくるまでにまだ少し時間がある。イチかバチか、さくらは離れに向かってみることにした。
近くまで行ってみると、中庭に面した部屋から声が聞こえてきた。さくらは周囲に誰もいないのを確かめてから、縁側の下に入り込んで耳をそばだてた。
「なあ西郷さん、考えてくれんかがえ。もう後には引けん。長州にはもう薩摩名義の鉄砲が何百も入りゆう。あとはのう、桂さんの心次第なんじゃき」
「ないごてそいを俺に言いもんそ。桂さんに言えばよか」
「桂さんが自分から言い出しづらいちわからんかあ? 去年薩摩にボコボコにやられたきのう、助けてくれとは言えんき」
――西郷? 薩摩? 桂と何がどうしたって? それに、この土佐弁は誰だ……?
桂、というか長州の人間には行き当たらなかったが、これはこれでなんだかすごい会話を聞いてしまった。さくらは身じろぎもせず聴覚に全神経を集中させる。
「そいは言いもすけんど坂本さん、長州は未だ約束ん兵糧米を送り渋っちょるじゃらせんか」
「そんことは儂がこれから長州に行って説得するぜよ」
「そいたら、そん話が終わったら考えもす」
「わからんお人じゃのお。ええか? どっちかが先に手え差し伸べんと、こん話はまとまらんきに」
西郷と思しき薩摩弁の男と、坂本と呼ばれた土佐弁の男。二人はしばらく同じような押し問答を続けていた。
俄かには信じがたいが、昨年禁門の変で共に戦った薩摩藩と、朝敵として京から追い出したはずの長州が、何か交渉をしているようだ。
さくらは、逸る心の臓をぐっと抑えた。
――どうする? すぐに山崎に連絡を取って、歳三に報告……いや、山崎は今日医術の勉強の方で用事があると言っていた。そうだ、総司の隊が近くを巡察することになっていたはずだ。なんとか他の隊士に見られないように総司に……
ああでもないこうでもないと考えているうちに、さくらは物音を立ててしまっていた。
「誰かおるんか」
坂本の声がした。まずい、とさくらは微動だにせず縁側の下で息を潜めた。障子がカラカラと開く音がしたかと思うと、さくらの目の前を影が覆った。男の足が見える。どちらかが縁側から庭に降りたらしい。冷や汗が首筋をつたうのを感じながら、さくらは男の動きに注視した。
一見すると何の変哲もない旅籠。しかしここに最近、長州の人間が出入りしているという噂がある。
さくらは大坂へ向かう宿泊客を装っていた。考えてきた設定を脳内で反芻し、心の準備ができたところで、のれんをくぐった。
「いらっしゃいまし。まあ、おなごはんが一人で大変どしたやろ」
女将に言われ、さくらは「へえ」と笑ってみせた。
「うちは足が遅うて、一緒に来よった兄さん先にいかせてゆっくりきたんどす。このまま舟乗ったら酔ってしまいそうやさけ、今日はここに泊めとくれやす」
すらすら言ってのけると、女将は特段疑問に思った様子もなく近くにいた女中を呼んだ。
「お龍、こんお方、二階にお通しして」
「へえ」
お龍と呼ばれた女中は、「こっちゃへどうぞ」とさくらを手招きした。そのまま階段を上がっていくので、さくらは慌ててついていった。
二階の、こぢんまりとした部屋を宛てがわれた。さくらがお礼を言うと、龍は「ごゆっくり」と言って去っていった。
襖が閉まるのを確認するとさくらは荷ほどきもそこそこに窓から外を覗いた。建物の周囲がどうなっているかをまずはざっと見ておきたかった。
どうやら、中庭の脇が渡り廊下になっていて離れの建物に繋がっているようだった。もし、隠れるなら。何か密会をするなら。あちらの建物の方が都合がいいはずだ。
夕餉が出てくるまでにまだ少し時間がある。イチかバチか、さくらは離れに向かってみることにした。
近くまで行ってみると、中庭に面した部屋から声が聞こえてきた。さくらは周囲に誰もいないのを確かめてから、縁側の下に入り込んで耳をそばだてた。
「なあ西郷さん、考えてくれんかがえ。もう後には引けん。長州にはもう薩摩名義の鉄砲が何百も入りゆう。あとはのう、桂さんの心次第なんじゃき」
「ないごてそいを俺に言いもんそ。桂さんに言えばよか」
「桂さんが自分から言い出しづらいちわからんかあ? 去年薩摩にボコボコにやられたきのう、助けてくれとは言えんき」
――西郷? 薩摩? 桂と何がどうしたって? それに、この土佐弁は誰だ……?
桂、というか長州の人間には行き当たらなかったが、これはこれでなんだかすごい会話を聞いてしまった。さくらは身じろぎもせず聴覚に全神経を集中させる。
「そいは言いもすけんど坂本さん、長州は未だ約束ん兵糧米を送り渋っちょるじゃらせんか」
「そんことは儂がこれから長州に行って説得するぜよ」
「そいたら、そん話が終わったら考えもす」
「わからんお人じゃのお。ええか? どっちかが先に手え差し伸べんと、こん話はまとまらんきに」
西郷と思しき薩摩弁の男と、坂本と呼ばれた土佐弁の男。二人はしばらく同じような押し問答を続けていた。
俄かには信じがたいが、昨年禁門の変で共に戦った薩摩藩と、朝敵として京から追い出したはずの長州が、何か交渉をしているようだ。
さくらは、逸る心の臓をぐっと抑えた。
――どうする? すぐに山崎に連絡を取って、歳三に報告……いや、山崎は今日医術の勉強の方で用事があると言っていた。そうだ、総司の隊が近くを巡察することになっていたはずだ。なんとか他の隊士に見られないように総司に……
ああでもないこうでもないと考えているうちに、さくらは物音を立ててしまっていた。
「誰かおるんか」
坂本の声がした。まずい、とさくらは微動だにせず縁側の下で息を潜めた。障子がカラカラと開く音がしたかと思うと、さくらの目の前を影が覆った。男の足が見える。どちらかが縁側から庭に降りたらしい。冷や汗が首筋をつたうのを感じながら、さくらは男の動きに注視した。
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