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その女、島崎朔太郎➀

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 京の町が物騒になったと言われて数年が経った。
 人々は、怖い怖いと言いながらも逃げ出すわけではなく、諦めたように、それでも暗くなりすぎることもなく、日々を営んでいた。町には活気があり、往来には元気な挨拶や会話が飛び交っている。

 その中を、ひとりの女が歩いていた。数歩先には、二本差しの男。女は少し小走りになって、声をかけた。
「お武家さま、落とさはりましたえ」
 と、手ぬぐいを男に差し出した。
「なんや? わてのもんやないで」
 男は怪訝そうな顔で女を見た。
「ほんまどすか? いややわあ、見間違えてしもた。そやったらほんまの落とし主はんどこ行ったんやろ。あっ」
 女は、何かに気づいたように手ぬぐいに目をやった。手ぬぐいの端には文字が染め抜かれていた。
「なんやこの手ぬぐい、川辺のとこにある加茂屋さんのやわ。届けはったらええんやけど、少ぉし遠いわなあ」
 女は困ったような顔をして男を見た。男も困ったなあ、と言わんばかりに頬を掻いたがやがて「わてに貸しや」と手を出した。
「今、加茂屋に泊まっとるんや。わてが届けたる」
「あれま。ほなちょうどよかったわあ。お武家さま、この辺のお人やあらへんのどすか?」
「ああ。大坂から用向きで来とるんや」
「そやったんどすか。ほな、お言葉に甘えて。よろしゅうお頼申します」
 女は手ぬぐいを男に渡した。男はそれを受け取ると、ほな、と言って去っていった。
 声が聞こえないところまで男との距離が空いたところで、女は低い声で呼びかけた。
「総司」
「はい」
 すぐ横の路地裏から、ぬっと出てきたのは沖田総司おきたそうじ。会津藩御預の浪士集団・新選組の一番隊を束ねる。二人は決して顔を見合わせずにそのまま話した。
「聞いていたな。あの男で間違いなさそうだ。井上三番隊に知らせて体制を整えろ。私はもう少し奴を見張る」
「承知しました」
 総司が姿を消すと、女――近藤さくらは、再び男の後ろをつけて歩いた。するとどこからともなく、配下の山崎丞やまざきすすむが現れて、さくらとつかず離れずの距離を保ちながら歩き始めた。さくらは進行方向を向いたまま小さな声で言った。
「どや。なかなか言葉使い上達したと思わへんか」
「なんや遊女っぽいですけどねえ、まあええんやないですか」
「そら仕方あらへんわ。島原は木津屋仕込みの言葉使いやさけ」
 さくらはわずかに口角を上げてほほ笑んだ。山崎の「まあええんやないですか」はそれなりに喜んでいい評価だろう。だが山崎が「そないなことより」というので、さくらは笑みを消した。
「間違いあらへんのですな」
「ああ、人相書きの特徴と一致するし、真正面から顔を見たら思い出した。この前捕縛した浪士と一緒にいた奴だ。今度は逃がさぬ」
 さくら達が目をつけて追っている男は、不逞浪士の間で連絡役や金の融通をしている疑いがもたれていた。加茂屋という旅籠に出入りしているところまでは掴んでいたが、立ち寄っただけということであればあまり意味がない。そこに逗留している証拠が欲しかったので、一か八かではあったが、今回の手ぬぐい作戦に踏み切った。
「せやけど、気をつけなあきまへんで」
 山崎が声を潜めた。
「あの流暢な大坂弁、振りやのうてほんまに地元のもんな可能性が高いと思います。島崎先生が言葉使い無理してるて、向こうは気づいとるかもわかりません」
「ちっ、まだ通じぬか」
「ちっ、とか言いなや。今は女子姿なんやから」
「お生憎様。私は女子姿だった頃からこんな喋り方なのだ」
 とにかく、どの道これから捕まえるのだから偽京都弁がバレるかも、なんて気にしていても仕方がない。そんなことを告げると、さくらは歩を速めて山崎と距離を開けた。

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