浅葱色の桜

初音

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江戸での出会い②

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 さくらが日野へ旅立ってから数日後、勇と平助は近藤家の客間でひとりの男を迎えていた。平助が声をかけていた伊東道場の主・伊東大蔵いとうおおくらである。色白の美丈夫で、気品すら漂わせている。
 伊東は水戸出身の文武に秀でた人物だというが、さすがに道場主本人を京に呼ぶわけにはいかないからと、師範代級の人間を何人か引き抜ければ御の字だと平助は勇たちに説明していた。ところが、禁門の変での長州の行いに思うところがあるのだとして、自らも新選組に加入したいと申し出てきたのだ。
「……というわけで、藤堂からもお聞き及びかとは思いますが、我々は会津藩のお預かりという立場で、市中の治安維持、公武合体での攘夷実現に向けて、日々働いております。京だけでなく大坂に出向くこともあります。此度の募集で人数が増えればますますその機会も増えるでしょう」
 勇がこれまでの活動を説明し終えると、伊東は「素晴らしい」と声を弾ませた。凛とした、通りのよい声だ。
「藤堂くんが徐々にこちらの道場に通うことが多くなって、近藤さんのお噂は耳にしておりました。僕も養子になって道場を継いだ身ですから、勝手ながらあなたには何か親近感のようなものも感じておりました」
 この人も「僕」って言った……!と胸中でどうでもいい突っ込みを入れつつ、勇は話を続けた。
「伊東さんは、確か婿養子になられたんでしたね。試衛館にも先代の娘がいるんですが、彼女は剣術を嗜みますのでいろいろあって私は弟として養子に入ったんです」
「ほう。そのような方がここにもいらしたとは」
「ここにも、とは」
「北辰一刀流の小千葉道場でも、娘御が師範代をしておりましてね。僕は直接立ち会ったことはないのですが、めっぽう強いらしい」
 いい流れだ、と勇は思った。”先代の娘”の話題をわざわざ出したのは、探りを入れるためである。勇は祈るような気持ちで伊東の表情に注目した。そこからは「小千葉道場の娘御」への否定的感情は読み取れない。
 島崎朔太郎は女子である、というのは新選組隊内ではもはや公然の秘密だが、「なぜ女子の下に付かなければいけないのだ」と不満に思う隊士は一人や二人ではないはずだ。それでも今日まで均衡が保たれてきたのは、最初は芹沢の目があったことが大きく、芹沢亡き後は、さくらへの反発からくる「脱走」やさくらの寝首を掻く「私闘」を法度でもって抑止してきたからだと言えよう。先だっての黒谷での一件でお咎めなしで帰ってきたことも追い風となった。
 だが、今回はそれに胡座をかくわけにはいかない。
 伊東が早々にさくらの正体を知ってしまった場合、「やっぱりやめます」という方向に転ぶことも十分予想できた。しかし、伊東やその門下生らの入隊は、今回の隊士募集の目玉人事でもある。さくらは、伊東が試衛館に来ることが決まるやいなや、勇と平助に提案をした。
「伊東さんが、”女隊士”を許容できる人かどうか探りを入れて欲しい。私ひとりのせいで平助の努力が水の泡になるのは耐えられぬ」と。
 さくらが全体の利を重んじてそう言っているのがわかったから、勇は申し出を受けた。ここで、伊東の胸中を探るだけでなく上手いこと「女隊士容認」の方向に持っていければと思っている。
「手前味噌ですが、私の姉もなかなかの使い手でして。私が養子になぞならなくても、十分道場を継げたのではないかと思う程で」
「左様ですか。しかし、こればかりはどうにもなりませんからな。女子がどれだけ剣術の腕を磨いたところで、それ以上を望むのは土台無理な話ですから」
「えっ、ええ、まあ。本当は新選組にも加わりたいと本人は申していましたが、今は門人の多い日野で師範代を続けております」
「そうでしょうとも。新選組のお仕事は、道場剣術とは違いますからね。そこに女子の入る余地はない」
 ――早速、トシに文を出さねばな……。
 勇は苦笑いを漏らさないよう、歳三の苦労に思いを馳せた。文には、こう書かねばならない。
 「今一度、島崎朔太郎について『天然理心流門人』以外の出自を口にすること罷りならぬ、と全隊士に周知すべし」。
 それから勇はあえてさくらの話題を逸らし、細かい実務や入隊までの段取りといった話に舵を切った。伊東はさくらの話を世間話のひとつと捉えたようで、特段気に留めている様子はなかった。


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