183 / 205
勇の思い②
しおりを挟む
***
勇は、針のむしろに座る思いでいた。
容保から、至急黒谷の会津藩本陣に来るようにとお達しがあったのは、昼時のことであった。
何か、よい知らせだと、漠然と、しかし確信していた。最近の働きを認められて、ついに仕官なのでは……?いやはや、先日報奨金ももらったばかりだし。はたまた、馬に次ぐ何か武器でも支給されるのだろうか。
しかし、呼ばれた理由を聞いて、勇は自分の楽観的思考を恥じた。
内容は、勇に近頃の態度を正してほしいという旨の建白書が提出されたというものだった。寝耳に水だった。しかも、面子を聞いてさらに驚いた。葛山や尾関は、先だっての天王山の一件で恨まれているのは想像できた。後から思えば、確かにあれは少しやりすぎた。
しかし、だ。古参の斎藤や島田が。ましてや江戸からの仲間である新八と左之助が。
容保の前で、勇は動揺の色を隠すのが精一杯だった。
「近藤」
「はっ」
容保に名を呼ばれ、勇は頭を垂れた。
「今からここへ彼らを呼ぶことになっている。そちは隣の間で控えておれ。仲間の声を聞くがよい」
「はっ」
そうして、勇は隣の部屋に移動した。やがて、複数人の足音が聞こえてきた。それが止まると、容保が話し始めた。
「面をあげよ。永倉、原田、斎藤、島田、尾関、葛山」
「はっ」
「永倉と斎藤は昨年試合を見せてくれたな。そちらに会うのはあの時以来か。書状を読んだぞ。書いてあることは、まことか」
再び「はっ」と返事をしたのは新八だった。
「申し上げます。我らが新選組局長、近藤勇の近ごろの振る舞いは目に余るものがあります。我々の主君はあくまでも殿、そして公方様、帝でございます。近藤勇ではございません。近藤の態度にはそのような前提をわかっていないような節が随所に感じられます。本件に関し、殿のご裁断を仰ぎたく存じます。近藤に非がある場合は近藤に切腹してもらう所存です。反対に、近藤に非はないと殿がご判断されたならば、我々が隊を抜け、腹を切る覚悟にございます」
襖の向こうで、勇はじっと新八の話を聞いていた。怒りなのか悲しみなのかもはやよくわからなかったが、心の臓がざわざわとかきむしられるような心地だ。容保の前だから当然と言えば当然だが、新八が近藤、近藤と自分の名を呼び捨てにするのも、胸のざわつきに拍車をかけているようだった。
勇は、握っていた拳を開き、自分の膝を叩いた。ひとつ、深呼吸。
――飲まれては駄目だ。
新八も、左之助も、江戸にいた頃から共に切磋琢磨した仲間だ。切腹させるわけにはいかない。たとえ自分が切腹するとしても、それは彼らに許してもらってから――許してもらうのが無理でも、せめて納得してもらってから――でないといけない。
襖の向こうから、再び容保の声が聞こえた。
「そなたらの訴えはよくわかった。しかし、この建白書をそのまま受け入れるとなると、近藤か、そなたらか、どちらかが腹を切らねばならぬな」
「はっ、もとよりその覚悟でございますゆえ」
「その覚悟も見上げたものだ。だがな、余はこの件では誰にも腹を切ってほしくはないのだ」
「しかし……」
「永倉、原田。特にそなたらは近藤とは旧知の仲だったそうではないか。新選組を立ち上げた近藤も、永倉も原田も、そしてその志のもとに集まった斎藤たちも、失うにはあまりに惜しい。それにだ。このような問題が浮かび上がったからには、責任の一端は新選組を預かる余にもあるように思う」
「め、滅相もございません……!」
新八が慌てた様子で否定した。
「どうだ。ここはひとつ、余に免じて和解とはいかぬか。彼の者も、反省しておると思うぞ」
勇は再び深呼吸した。
――来た。ここでおれの誠意を伝えねば、せっかく殿が作ってくださった機会が台無しになる。
勇の傍で控えていた侍が、襖を開いてくれた。
新八たちから見れば、まるで舞台の緞帳が開くような光景だったろう。襖が開いた向こうの部屋には、真っ直ぐに彼らを見据える勇がいたのだから。
「近藤さん……」
「新八、左之助、斎藤君に島田君。尾関君、葛山君。本当にすまなかった。君たちをそこまで追い詰めてしまったのは、おれの責任だ……!」
勇は深々と頭を下げた。
「おれからも、頼む。皆とは、まだまだ新選組で共に戦っていきたいんだ。どうしても許せないというなら、おれは腹を切ろう。だが、その前にわかってほしい。おれは、決して皆のことを踏みにじるつもりはなかったのだということを……!」
沈黙が流れた。勇は頭を下げたまま、新八らの反応を待った。着物と畳が擦れる音がした。皆がこちらに顔を向けているのだろう。
「頭を上げてください、近藤さん」新八の声がした。だが、勇は微動だにしない。
「近藤さん、俺らも、こんなやり方して悪かったよ。顔あげてくれよ」左之助も続いたので、勇はようやくおそるおそる体を起こした。
六人は、困ったような、でも優し気な目をして、勇を見ていた。
「皆……おれ……おれは……」
「お待ちくださーい!!」
「ま、待たれよー!!」
足音がする。二人分。聞き覚えのある声と、ない声。
新八らがいた方の部屋の後ろの襖がガラリと開いた。
視線が集まった先には。
「さっ……サク……!?」
「島崎さん!?」
勇は、針のむしろに座る思いでいた。
容保から、至急黒谷の会津藩本陣に来るようにとお達しがあったのは、昼時のことであった。
何か、よい知らせだと、漠然と、しかし確信していた。最近の働きを認められて、ついに仕官なのでは……?いやはや、先日報奨金ももらったばかりだし。はたまた、馬に次ぐ何か武器でも支給されるのだろうか。
しかし、呼ばれた理由を聞いて、勇は自分の楽観的思考を恥じた。
内容は、勇に近頃の態度を正してほしいという旨の建白書が提出されたというものだった。寝耳に水だった。しかも、面子を聞いてさらに驚いた。葛山や尾関は、先だっての天王山の一件で恨まれているのは想像できた。後から思えば、確かにあれは少しやりすぎた。
しかし、だ。古参の斎藤や島田が。ましてや江戸からの仲間である新八と左之助が。
容保の前で、勇は動揺の色を隠すのが精一杯だった。
「近藤」
「はっ」
容保に名を呼ばれ、勇は頭を垂れた。
「今からここへ彼らを呼ぶことになっている。そちは隣の間で控えておれ。仲間の声を聞くがよい」
「はっ」
そうして、勇は隣の部屋に移動した。やがて、複数人の足音が聞こえてきた。それが止まると、容保が話し始めた。
「面をあげよ。永倉、原田、斎藤、島田、尾関、葛山」
「はっ」
「永倉と斎藤は昨年試合を見せてくれたな。そちらに会うのはあの時以来か。書状を読んだぞ。書いてあることは、まことか」
再び「はっ」と返事をしたのは新八だった。
「申し上げます。我らが新選組局長、近藤勇の近ごろの振る舞いは目に余るものがあります。我々の主君はあくまでも殿、そして公方様、帝でございます。近藤勇ではございません。近藤の態度にはそのような前提をわかっていないような節が随所に感じられます。本件に関し、殿のご裁断を仰ぎたく存じます。近藤に非がある場合は近藤に切腹してもらう所存です。反対に、近藤に非はないと殿がご判断されたならば、我々が隊を抜け、腹を切る覚悟にございます」
襖の向こうで、勇はじっと新八の話を聞いていた。怒りなのか悲しみなのかもはやよくわからなかったが、心の臓がざわざわとかきむしられるような心地だ。容保の前だから当然と言えば当然だが、新八が近藤、近藤と自分の名を呼び捨てにするのも、胸のざわつきに拍車をかけているようだった。
勇は、握っていた拳を開き、自分の膝を叩いた。ひとつ、深呼吸。
――飲まれては駄目だ。
新八も、左之助も、江戸にいた頃から共に切磋琢磨した仲間だ。切腹させるわけにはいかない。たとえ自分が切腹するとしても、それは彼らに許してもらってから――許してもらうのが無理でも、せめて納得してもらってから――でないといけない。
襖の向こうから、再び容保の声が聞こえた。
「そなたらの訴えはよくわかった。しかし、この建白書をそのまま受け入れるとなると、近藤か、そなたらか、どちらかが腹を切らねばならぬな」
「はっ、もとよりその覚悟でございますゆえ」
「その覚悟も見上げたものだ。だがな、余はこの件では誰にも腹を切ってほしくはないのだ」
「しかし……」
「永倉、原田。特にそなたらは近藤とは旧知の仲だったそうではないか。新選組を立ち上げた近藤も、永倉も原田も、そしてその志のもとに集まった斎藤たちも、失うにはあまりに惜しい。それにだ。このような問題が浮かび上がったからには、責任の一端は新選組を預かる余にもあるように思う」
「め、滅相もございません……!」
新八が慌てた様子で否定した。
「どうだ。ここはひとつ、余に免じて和解とはいかぬか。彼の者も、反省しておると思うぞ」
勇は再び深呼吸した。
――来た。ここでおれの誠意を伝えねば、せっかく殿が作ってくださった機会が台無しになる。
勇の傍で控えていた侍が、襖を開いてくれた。
新八たちから見れば、まるで舞台の緞帳が開くような光景だったろう。襖が開いた向こうの部屋には、真っ直ぐに彼らを見据える勇がいたのだから。
「近藤さん……」
「新八、左之助、斎藤君に島田君。尾関君、葛山君。本当にすまなかった。君たちをそこまで追い詰めてしまったのは、おれの責任だ……!」
勇は深々と頭を下げた。
「おれからも、頼む。皆とは、まだまだ新選組で共に戦っていきたいんだ。どうしても許せないというなら、おれは腹を切ろう。だが、その前にわかってほしい。おれは、決して皆のことを踏みにじるつもりはなかったのだということを……!」
沈黙が流れた。勇は頭を下げたまま、新八らの反応を待った。着物と畳が擦れる音がした。皆がこちらに顔を向けているのだろう。
「頭を上げてください、近藤さん」新八の声がした。だが、勇は微動だにしない。
「近藤さん、俺らも、こんなやり方して悪かったよ。顔あげてくれよ」左之助も続いたので、勇はようやくおそるおそる体を起こした。
六人は、困ったような、でも優し気な目をして、勇を見ていた。
「皆……おれ……おれは……」
「お待ちくださーい!!」
「ま、待たれよー!!」
足音がする。二人分。聞き覚えのある声と、ない声。
新八らがいた方の部屋の後ろの襖がガラリと開いた。
視線が集まった先には。
「さっ……サク……!?」
「島崎さん!?」
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―
馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。
新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。
武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。
ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。
否、ここで滅ぶわけにはいかない。
士魂は花と咲き、決して散らない。
冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。
あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
本所深川幕末事件帖ー異国もあやかしもなんでもござれ!ー
鋼雅 暁
歴史・時代
異国の気配が少しずつ忍び寄る 江戸の町に、一風変わった二人組があった。
一人は、本所深川一帯を取り仕切っているやくざ「衣笠組」の親分・太一郎。酒と甘味が大好物な、縦にも横にも大きいお人よし。
そしてもう一人は、貧乏御家人の次男坊・佐々木英次郎。 精悍な顔立ちで好奇心旺盛な剣術遣いである。
太一郎が佐々木家に持ち込んだ事件に英次郎が巻き込まれたり、英次郎が太一郎を巻き込んだり、二人の日常はそれなりに忙しい。
剣術、人情、あやかし、異国、そしてちょっと美味しい連作短編集です。
※話タイトルが『異国の風』『甘味の鬼』『動く屍』は過去に同人誌『日本史C』『日本史D(伝奇)』『日本史Z(ゾンビ)』に収録(現在は頒布終了)されたものを改題・大幅加筆修正しています。
※他サイトにも掲載中です。
※予約投稿です
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる