浅葱色の桜

初音

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最期のつとめ、恋のおわり⑤

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 その後、さくらは屯所を出た。向かう先は、島原だ。
 ――伝えなければ。明里さんに。
 事の顛末と、心からの謝罪を。
 花街特有の賑やかな声と、においがしてきた。もうすぐだ――というところで、さくらは「お初――島崎はん!?」と声をかけられた。
 明里だった。昨日と同じ、質素な着物で息を切らせている。
「あ、明里さん、どうしてここに」
「なあ島崎はん、山南はんに、最期に会わせとおくれやす」
「最期って、まさか……」
 明里は、懐から文を取り出した。
 ――そうだ、山南さん、明里さんに文を出したって……
「自分は、武士として死ぬから、君は故郷で幸せに暮らしてくれって、そう書いてあったんどす」
 明里は声を絞り出すようにそう言った。さくらは明里の両腕をぐっと掴んだ。
「明里さん、本当に申し訳ない。……行きましょう。まだ、間に合いますから……!」
 さくらは明里の手を引いて走り出した。明里も裾を絡げて必死についてきた。傍から見れば駆け落ちの様相にも見えたかもしれないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
 息を切らせて壬生に到着すると、明里は「山南はん!山南はん!」と何度も名を呼んだ。さくらは山南がいる部屋の前に立つと、「山南さん。窓を、開けてください」と声をかけた。
 しかし、窓は開かない。
「山南さん!」
「島崎さん。帰ってもらってください。もう、私が会う資格はない」
「山南はん、そないなこと言わんといて!」
「明里、すまない……」
「すまない、じゃないですよ!」
 さくらは一喝した。
「好いた人がこれから死ぬのです。最期に一目会いたいという女子のわがままくらい聞いてやってください。私には……明里さんの気持ちが、わかります。私からも、お願いします」
 カラリ、と格子窓の向こうの障子が開いた。山南は力なく微笑んだ。
「山南はん、なんでなん?うちのこと置いていかんといて……!」
 明里は、腕を伸ばして格子の向こうの山南の頬に触れた。
「すまない、明里。武士として、新選組の副長として、最期の仕事を全うすることを許して欲しい。君は、故郷で幸せに……」
「幸せになんかなれへん!山南はんがいなかったら、うち……!」
「明里、頼む。どうか、わかってほしい」
 明里がすうっと流した涙を、さくらは美しいと思った。明里は目を見開いてただただ山南を見つめるばかりであった。
「ありがとう。君の存在は、私の大きな支えだった」
 山南は、明里の手を取ると、そのまま格子の外にそっと出した。そして、静かに障子を閉めた。
「山南はん……山南はん……」
 泣き崩れる明里の背中を、さくらは何も言わず優しく撫でた。かける言葉は、見つからなかった。

 その頃、総司は庭で素振りをしていた。
 山南の切腹は、もう決定事項で。覆せない事実で。
 昨日の夜は、逃げて欲しい、見つからなかったことにして欲しい、と切に願ったが、それはもう叶わないと悟った。
 芹沢たちを襲った時のことを思い出した。あの時は、無我夢中なところもあった。あの底知れぬ強さを持つ芹沢は、立ち向かい、越えなければいけない壁だった。だから、必死だった。
 山南も、総司にとっては憧れであり、永遠に越えられない存在である。
 あの時と違うのは、今度は、自分がたった一回刀を振り下ろせば、山南はいなくなるということだ。
 その瞬間を、任された。光栄なことだと、そうして前に進めなければ、自分は武士になれない。そう思った。
 トン、と音がした。いつの間にか、縁側に斎藤が立っていた。
「お疲れ様です」
 斎藤は、昨日も一昨日もそうしていたかのような調子で声をかけてきた。手を止めた総司は、「斎藤さん」と名を呼ぶと荒れた息を整えた。
「斎藤さんも、助命嘆願して土方さんに怒られたクチですか」
「いや、俺は……土方さんのやり方に従うだけだと思っていますから」
「斎藤さんは大人だなァ。とても私より二つも下には見えませんよ」
「山南さんには世話になりました。惜しいと思う気持ちは、皆さんと一緒です」
 総司は、僅かに微笑んだ。思えばこんな風に斎藤と話すのは、珍しいことだと気づいた。
「ご武運を、というのも変ですが、お勤め頑張ってください」
「ふふ、ありがとうございます」
 斎藤は、軽く頷くと立ち去っていった。総司は「よし」と小さく声を出し、再び素振りを始めた。



    
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