204 / 205
壬生を発つ時②
しおりを挟む
パチンパチンと歳三が爪を切る音を聞きながら、総司は不貞腐れた顔をした。
「なんだか、ああ、島崎先生って、そうだったんだあ、ってそういう風に見ちゃいますよこれから。どうしてくれるんですか」
「どうもこうもないだろ。盗み聞きしたお前が悪い。それに、里江の時といい、女が誰に惚れてるかってのに気づかなさすぎるお前が悪い。剣術以外のそういうとこ、お前はからきし駄目だな」
「お、お里江ちゃんのことは今はいいじゃないですか……!土方さんも意地の悪い!」
里江の名を出されて、総司は狼狽した。かつて好意を告げられたのを総司が断ったら、未遂に終わったとはいえ自害を図った。そんな里江の気持ちが、今でも完全には理解できていない。
「お前も少しは女に慣れろ。大人になれ。そうすりゃわかるようになる。引っ越したら島原は目と鼻の先だ」
そう言われましても……と不服そうな目を向けると、歳三は
「いいから早く引っ越しの用意をしろ」
と総司を睨みつけた。
***
「ああもう、引っ越しの!日程が!早い!」
さくらは文句を言いながらも、押入れから荷物を引っ張り出しては乱雑に行李に詰めていった。変装することも多い仕事ゆえ、着物や雑多な小物もおそらく普通の隊士よりは多いはずだ。むろん、比べたわけではないのでわからぬが。
「私はもうできたぞ」源三郎が得意げに言った。
「源兄ぃは今日出立なんだからむしろできてないとまずいだろう」
「なあ、これ。懐かしくないか」
そう言って、源三郎が出してきたのは袖にだんだら模様が染め抜かれた浅葱色の羽織だった。もともと夏物の羽織だったこともあり、昨年の池田屋出動の時に着たきり誰も着てはいない。昨秋大勢入隊した新入りたちに配られてもいないから、この羽織の存在は徐々に忘れられていくだろう。
「そうだなあ。私も、なんとなく捨てられないし、持っていこうかな」
さくらは浅葱の羽織はどこにしまったのだっけ、と押入れや箪笥を探したが、どこにも見当たらない。
「なんだ、ないのか?」
「うん……しばらく使ってなかったから、奥の方にしまいすぎてしまったのかもしれない……でなければ、あとは……あっ」
怪訝そうな顔をする源三郎に、さくらは気まずそうにへらりとした笑顔を向けた。
「山南さんの部屋かも」
さくらは、誰もいない山南の部屋の襖をそっと開けた。
がらんとした部屋には、まだ山南が使っていた文机や本の束が残っている。これはいったい誰がどう処分するんだろう、ということを思ってしまったら、この部屋に来たことを少し後悔した。
まだまだ、残しておきたい。山南の息遣いが聞こえるような、彼の物たちを。しかし、数日のうちにはすべて引き払ってこの前川邸は明け渡すことになっている。こういうことは、あえて山南と親交の薄かった新入りの隊士に任せてしまおう。さくらは勝手に結論付けると、文机の傍に積まれている本のうちの一冊を手にとってみた。『難波軍記』。大坂夏の陣で活躍した真田幸村の軍記だ。
「真田幸村は徳川様から見れば敵ですが、軍記物の主人公としてこれほど面白い人物もなかなかいませんよ。さくらさんも読んでみては」
――そんな風に、薦めてくれたこともあったっけ。結局全部は読めなかったが、山南さんと感想を話すのは、楽しかったな。
さくらは意を決したように立ち上がった。感慨に浸ったら涙が出てしまいそうだ。本来の目的を果たさねば。
あるとしたら、押入の奥の方だ。さくらは手前の荷物を順に下ろしていき、奥に手をやった。これかもしれない、という風呂敷の感触がしたので、ぐいと引っ張った。同時に、小さな籐の箱がごとっと音を立てて落ちてきた。
「なんだか、ああ、島崎先生って、そうだったんだあ、ってそういう風に見ちゃいますよこれから。どうしてくれるんですか」
「どうもこうもないだろ。盗み聞きしたお前が悪い。それに、里江の時といい、女が誰に惚れてるかってのに気づかなさすぎるお前が悪い。剣術以外のそういうとこ、お前はからきし駄目だな」
「お、お里江ちゃんのことは今はいいじゃないですか……!土方さんも意地の悪い!」
里江の名を出されて、総司は狼狽した。かつて好意を告げられたのを総司が断ったら、未遂に終わったとはいえ自害を図った。そんな里江の気持ちが、今でも完全には理解できていない。
「お前も少しは女に慣れろ。大人になれ。そうすりゃわかるようになる。引っ越したら島原は目と鼻の先だ」
そう言われましても……と不服そうな目を向けると、歳三は
「いいから早く引っ越しの用意をしろ」
と総司を睨みつけた。
***
「ああもう、引っ越しの!日程が!早い!」
さくらは文句を言いながらも、押入れから荷物を引っ張り出しては乱雑に行李に詰めていった。変装することも多い仕事ゆえ、着物や雑多な小物もおそらく普通の隊士よりは多いはずだ。むろん、比べたわけではないのでわからぬが。
「私はもうできたぞ」源三郎が得意げに言った。
「源兄ぃは今日出立なんだからむしろできてないとまずいだろう」
「なあ、これ。懐かしくないか」
そう言って、源三郎が出してきたのは袖にだんだら模様が染め抜かれた浅葱色の羽織だった。もともと夏物の羽織だったこともあり、昨年の池田屋出動の時に着たきり誰も着てはいない。昨秋大勢入隊した新入りたちに配られてもいないから、この羽織の存在は徐々に忘れられていくだろう。
「そうだなあ。私も、なんとなく捨てられないし、持っていこうかな」
さくらは浅葱の羽織はどこにしまったのだっけ、と押入れや箪笥を探したが、どこにも見当たらない。
「なんだ、ないのか?」
「うん……しばらく使ってなかったから、奥の方にしまいすぎてしまったのかもしれない……でなければ、あとは……あっ」
怪訝そうな顔をする源三郎に、さくらは気まずそうにへらりとした笑顔を向けた。
「山南さんの部屋かも」
さくらは、誰もいない山南の部屋の襖をそっと開けた。
がらんとした部屋には、まだ山南が使っていた文机や本の束が残っている。これはいったい誰がどう処分するんだろう、ということを思ってしまったら、この部屋に来たことを少し後悔した。
まだまだ、残しておきたい。山南の息遣いが聞こえるような、彼の物たちを。しかし、数日のうちにはすべて引き払ってこの前川邸は明け渡すことになっている。こういうことは、あえて山南と親交の薄かった新入りの隊士に任せてしまおう。さくらは勝手に結論付けると、文机の傍に積まれている本のうちの一冊を手にとってみた。『難波軍記』。大坂夏の陣で活躍した真田幸村の軍記だ。
「真田幸村は徳川様から見れば敵ですが、軍記物の主人公としてこれほど面白い人物もなかなかいませんよ。さくらさんも読んでみては」
――そんな風に、薦めてくれたこともあったっけ。結局全部は読めなかったが、山南さんと感想を話すのは、楽しかったな。
さくらは意を決したように立ち上がった。感慨に浸ったら涙が出てしまいそうだ。本来の目的を果たさねば。
あるとしたら、押入の奥の方だ。さくらは手前の荷物を順に下ろしていき、奥に手をやった。これかもしれない、という風呂敷の感触がしたので、ぐいと引っ張った。同時に、小さな籐の箱がごとっと音を立てて落ちてきた。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
紫苑の誠
卯月さくら
歴史・時代
あなたの生きる理由になりたい。
これは、心を閉ざし復讐に生きる一人の少女と、誠の旗印のもと、自分の信念を最後まで貫いて散っていった幕末の志士の物語。
※外部サイト「エブリスタ」で自身が投稿した小説を独自に加筆修正したものを投稿しています。
庚申待ちの夜
ビター
歴史・時代
江戸、両国界隈で商いをする者たち。今宵は庚申講で寄り合いがある。
乾物屋の跡継ぎの紀一郎は、同席者に高麗物屋の長子・伊織がいることを苦々しく思う。
伊織には不可思議な噂と、ある二つ名があった。
第7回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞しました。
ありがとうございます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
新撰組のものがたり
琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。
ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。
近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。
町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。
近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。
最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。
主人公は土方歳三。
彼の恋と戦いの日々がメインとなります。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
毛利隆元 ~総領の甚六~
秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。
父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。
史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる