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最期のつとめ、恋のおわり③
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宿に戻ると、さくら、総司、山南は隣り合った部屋の広い方で膝を突き合わせていた。総司が、待ってましたとばかりに山南に詰め寄った。
「なぜ、隊を抜けたのです」
「沖田君。それは、聞かないでくれるか」
「では、なぜ、まだこんなところにいるのですか」
「それはさっきも言っただろう。疲れてしまったから、ここで少し休んでいたんだ。そうしたら、君たち二人を見つけた。……覚えてるかい?沖田君とさくらさんは、私が試衛館で初めて勝負した二人だ。最後に少し顔を見たいと思ってね」
「覚えているに決まっているじゃないですか」
と、総司が発した声は震えている。怒っているような、今にも泣きだしそうな、そんな顔をして山南を見つめていた。
「山南さん。なぜ私たちが二人だけで来たのか、わからないわけじゃないですよね。近藤先生も土方さんも、私も島崎先生も、考えていることは同じです。今日、私たちは会わなかった。このまま明日には山南さんを探しに草津に発って、そして見つけられませんでした、と屯所に戻ります。それだけです。多少謹慎か何かの罰は受けるでしょうが、安いものです」
「沖田君。君が私のために罰を受けるなんてことがあってはならない。私は、隊規に背いて脱走した。そして、追っ手である君たちに見つかった。これは紛れもない事実だ。明日には三人で壬生へ戻ろう」
「駄目です」
総司は、懇願するような視線を今度はさくらに向けてきた。その目は「加勢してくれ」と言っていた。しかし、さくらは何も言えなかった。何を言えば、山南は心を変えてくれるのか。
「山南さん……私」
「さあ、風呂にでも入ってきなさい。ここは湯殿が広くてゆっくり浸かれるのが売りらしい」
さくらが言いかけたのを、山南は遮った。取り付く島もない、といった様相で、総司もそれ以上何も言葉を発せられないようだった。総司はもう一度ちらりとさくらと見やると、何かを思い出したような顔をして、すっと立ち上がった。
「それでは、お言葉に甘えて。私が風呂から帰ってきたら、島崎先生しかいなかった。そう思うことにします」
さくらは、ぽかんとして総司が出ていった方向を見つめていた。総司は本当にこの場を離れてしまった。こんな時に、こんなところで、山南と二人きりになってしまった。
しかし、もはや何を言えばいいのかと躊躇している場合ではないとさくらは腹を決めた。総司が言ったことの繰り返しになったとしても、とにかく説得し続けるしかない。
「山南さん。私からもお願いです。今日、私たちは会わなかったことにしてください」
「聞いていたでしょう。それはできません」
ならばとばかりに、さくらは続けた。
「明里さんは、どうなるんですか」
なりふり構っている場合ではない。明里のためでもいい。逃げて、生きて欲しい。
「身請けしたんでしょう。明里さんからも、頼まれているんです。必ず助けてくれって」
「明里には、すでに文を出しておきました。彼女は天涯孤独で売られてきたというわけじゃないんです。ご家族が故郷でご健在だそうで。ですから、故郷でのんびり過ごしてくれればそれで私は幸せだと」
「そんなの、明里さんが納得するはずありません……!」
「いいや、きっとわかってくれると思います」
そんなはずがない、と言うのは簡単だったが、これ以上言っても不毛な押し問答になるであろうことも目に見えていた。
さくらはわずかに膝を進めた。山南との距離は、ほんの四・五寸しかない。
よく見れば、山南はひどくやつれた顔をしている。それでも、その目は、憑き物の落ちたような、澄み切った目をしていた。
――これが、山南さんの選んだ道だというのか……?あんまりだ……。このようなこと、誰も納得せぬ……
「私は……自分が情けなくて、不甲斐ないです……山南さんが脱走する程思い詰めていること……慮ることもできなくて……」
「さくらさんが、自分を責めることはないですよ。私は私の意思で、隊を抜けた。そして、嬉しかった。あなたと沖田君が遣わされてきたことが。本当ですよ?」
「いいえ。私が、気づかなければいけなかった。山南さんのことを、ちゃんと見て、気にかけていなければいけなかった。それが一番できるのは私しかいなかった。だって私は……私は……」
さくらは、そのまま自らの体を山南の胸に埋めるようにしてしなだれかかった。
「ずっと、山南さんを、お慕い申していたんですから」
驚いたのだろう、山南が息を飲むのがわかった。そして、その手がぎこちなく自分の背中に触れるのを、さくらは感じた。山南の心の臓は確かに規則正しく音を立てているのがわかる。こんなに近くでその音を感じるのは初めてだ。それなのに、もうすぐ消えてなくなるなんて。やはりさくらには信じられなかった。信じたくなかった。阻止したかった。
「私のために、なんておこがましいことは言いません。けれど。生きてください。山南さんに、死んで欲しい人なんかいません」
「さくらさん……」
山南の小さな声に応えるように、さくらはゆっくりと体を起こした。山南は穏やかな表情でさくらを見た。
「私を、最期くらいは武士にさせてください」
さくらは、それ以上何も言えなかった。
――総司。明里さん。もう駄目だ。勇、歳三、源兄ぃ、皆……ごめん。
「なぜ、隊を抜けたのです」
「沖田君。それは、聞かないでくれるか」
「では、なぜ、まだこんなところにいるのですか」
「それはさっきも言っただろう。疲れてしまったから、ここで少し休んでいたんだ。そうしたら、君たち二人を見つけた。……覚えてるかい?沖田君とさくらさんは、私が試衛館で初めて勝負した二人だ。最後に少し顔を見たいと思ってね」
「覚えているに決まっているじゃないですか」
と、総司が発した声は震えている。怒っているような、今にも泣きだしそうな、そんな顔をして山南を見つめていた。
「山南さん。なぜ私たちが二人だけで来たのか、わからないわけじゃないですよね。近藤先生も土方さんも、私も島崎先生も、考えていることは同じです。今日、私たちは会わなかった。このまま明日には山南さんを探しに草津に発って、そして見つけられませんでした、と屯所に戻ります。それだけです。多少謹慎か何かの罰は受けるでしょうが、安いものです」
「沖田君。君が私のために罰を受けるなんてことがあってはならない。私は、隊規に背いて脱走した。そして、追っ手である君たちに見つかった。これは紛れもない事実だ。明日には三人で壬生へ戻ろう」
「駄目です」
総司は、懇願するような視線を今度はさくらに向けてきた。その目は「加勢してくれ」と言っていた。しかし、さくらは何も言えなかった。何を言えば、山南は心を変えてくれるのか。
「山南さん……私」
「さあ、風呂にでも入ってきなさい。ここは湯殿が広くてゆっくり浸かれるのが売りらしい」
さくらが言いかけたのを、山南は遮った。取り付く島もない、といった様相で、総司もそれ以上何も言葉を発せられないようだった。総司はもう一度ちらりとさくらと見やると、何かを思い出したような顔をして、すっと立ち上がった。
「それでは、お言葉に甘えて。私が風呂から帰ってきたら、島崎先生しかいなかった。そう思うことにします」
さくらは、ぽかんとして総司が出ていった方向を見つめていた。総司は本当にこの場を離れてしまった。こんな時に、こんなところで、山南と二人きりになってしまった。
しかし、もはや何を言えばいいのかと躊躇している場合ではないとさくらは腹を決めた。総司が言ったことの繰り返しになったとしても、とにかく説得し続けるしかない。
「山南さん。私からもお願いです。今日、私たちは会わなかったことにしてください」
「聞いていたでしょう。それはできません」
ならばとばかりに、さくらは続けた。
「明里さんは、どうなるんですか」
なりふり構っている場合ではない。明里のためでもいい。逃げて、生きて欲しい。
「身請けしたんでしょう。明里さんからも、頼まれているんです。必ず助けてくれって」
「明里には、すでに文を出しておきました。彼女は天涯孤独で売られてきたというわけじゃないんです。ご家族が故郷でご健在だそうで。ですから、故郷でのんびり過ごしてくれればそれで私は幸せだと」
「そんなの、明里さんが納得するはずありません……!」
「いいや、きっとわかってくれると思います」
そんなはずがない、と言うのは簡単だったが、これ以上言っても不毛な押し問答になるであろうことも目に見えていた。
さくらはわずかに膝を進めた。山南との距離は、ほんの四・五寸しかない。
よく見れば、山南はひどくやつれた顔をしている。それでも、その目は、憑き物の落ちたような、澄み切った目をしていた。
――これが、山南さんの選んだ道だというのか……?あんまりだ……。このようなこと、誰も納得せぬ……
「私は……自分が情けなくて、不甲斐ないです……山南さんが脱走する程思い詰めていること……慮ることもできなくて……」
「さくらさんが、自分を責めることはないですよ。私は私の意思で、隊を抜けた。そして、嬉しかった。あなたと沖田君が遣わされてきたことが。本当ですよ?」
「いいえ。私が、気づかなければいけなかった。山南さんのことを、ちゃんと見て、気にかけていなければいけなかった。それが一番できるのは私しかいなかった。だって私は……私は……」
さくらは、そのまま自らの体を山南の胸に埋めるようにしてしなだれかかった。
「ずっと、山南さんを、お慕い申していたんですから」
驚いたのだろう、山南が息を飲むのがわかった。そして、その手がぎこちなく自分の背中に触れるのを、さくらは感じた。山南の心の臓は確かに規則正しく音を立てているのがわかる。こんなに近くでその音を感じるのは初めてだ。それなのに、もうすぐ消えてなくなるなんて。やはりさくらには信じられなかった。信じたくなかった。阻止したかった。
「私のために、なんておこがましいことは言いません。けれど。生きてください。山南さんに、死んで欲しい人なんかいません」
「さくらさん……」
山南の小さな声に応えるように、さくらはゆっくりと体を起こした。山南は穏やかな表情でさくらを見た。
「私を、最期くらいは武士にさせてください」
さくらは、それ以上何も言えなかった。
――総司。明里さん。もう駄目だ。勇、歳三、源兄ぃ、皆……ごめん。
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