浅葱色の桜

初音

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さくらの乱入③

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 ***

 この建白書騒動には、続きがあった。
 勇たちが全員無事に黒谷から帰営して、やきもきと待っていた歳三や源三郎が胸をなでおろしてからわずか数日後のことである。日が沈んでからしばらく経った頃、山崎からの報告を聞き、歳三は斎藤、島田と連れ立って屯所を飛び出した。
 数名の隊士も使いに出し、夜巡察に出ている者に連絡をとって加勢するように伝えてある。
 要件は、脱走隊士・葛山武八郎の追跡、捕縛である。
「葛山のやつ、どうして……!」
 島田がそう言うのを、歳三は苦々し気に聞いていた。
 例の騒ぎについては、歳三は完全に蚊帳の外だった。もちろん、蚊帳の中に入って建白書を書きたかったわけではないが、自分のあずかり知らぬところで発生し、解決していたのがなんとなく癪だった。今回ばかりはさくらに一本取られた、という思いであると同時に、さくらが容保に正体をばらすという諸刃の刃を繰り出したことに、驚いたやら肝が冷えたやら。
 とにかく、これ以上の面倒ごとは御免だと思っていたところに、建白書に名を連ねていたうちの一人、葛山が脱走したという報が入ったのだった。
 ――よりによって勝っちゃんがいねえ時によ……
 歳三は走って切れた息を整えるふりをして、溜息をついた。
 もともとの予定であったこともあり、すでに勇と新八は江戸へ旅立ってしまっていた。急遽ではあったがさくらも同行している。二人のかすがい役として歳三が差し向けたことになっているが、裏事情としては、勇が「さすがにちょっと気まずい」と泣き言を言ったことに端を発する。
 すなわち今、葛山をどうするか、という判断は歳三の手にゆだねられているのだった。
 葛山は、存外あっさり見つかった。東海道だか中山道だか知らないが、人混みに紛れ、あえて王道の行程を辿って江戸方面まで逃げるつもりだったらしい。もちろん、新選組としてもそこは抑えてある。三条大橋のたもとで発見した。
「見つけたぞ、脱走は隊規で禁じられている。話は屯所で聞こう」
 歳三が言うと、葛山は「くそっ」と言って踵を返した。しかし、この状況から逃げられる程甘くはない。斎藤が一足飛びに葛山に近づき、背後から手刀を食らわせた。急所を叩かれた葛山はうっと呻き声をあげてその場に崩れ落ちた。島田が堪りかねたように尋ねた。
「葛山、なんで逃げた。あの建白書のことは容保公の執り成しで手打ちになったはずだ」
「うう、うるさい!みんなうまい事絆されやがって!俺はな、近藤局長を許したわけじゃねえ!」
 歳三は憐れむような目で葛山を見た。確かに、天王山での一件があった時、勇が葛山たちを斬り捨てようとしたのを歳三は止めたが、こんなことならあの時斬られてしまってもよかったのではないかと思った。歳三も、葛山の行為を肯定しているわけではないのだ。
 あの日下山した時、燃え盛る小屋を見て勇は絶句していた。その顔が、歳三の印象に残っている。
『お前たち、何をしておるのだ!』
 勇が血相を変え、葛山の胸倉を掴んだ。
『きょ、局長……!仕方がなかったんです。人数で言ったらこちらが不利だったもんで』
 葛山は、しどろもどろになってそんな風に弁解していた。
『お前は、市中で何が起こっているのか見ていなかったのか!少しの火種が、風に乗って多くの罪なき民を苦しめるんだぞ』
 地面にたたきつけるように、勇は葛山から手を離した。そして、つい先ほど長州藩士を斬ったその刀を抜き、葛山に向けた。
 近藤さん、それ以上はやめろ!と歳三が飛び出して、その場は事なきを得たが――

「残念だ、葛山」歳三は、ポツリと言った。
「か、構うもんか!元より俺はもう新選組こんなところにはいたくねえ!局長だけじゃない、あの女も気にくわん!女のくせに威張り散らしてあんなところまでのこのこ現れて、偉そうな口利きやがって!」
「ほう。島崎がここにいなくてよかったな。顔の形が変わっていたかもしれん」歳三はにやりと笑った。
「な、なんだよ……斎藤さんも島田さんも悔しくねえのかよ!女なんかにあの場を収められたみたいになっててよお!」
「あの人は」
 斎藤は、手早く葛山の両手を縛りながら言った。
「ただの”女”で括れるような人ではない」
「そうだ。島崎さんは、女である前に新選組の副長助勤だ」
 島田も続いた。葛山は悔しそうに口を結んで、それきり何も言わなくなった。

 翌日、葛山武八郎は脱走の咎で切腹した。
 局中法度「隊を脱するを許さず」に違反して切腹を言い渡された、最初の隊士だった。
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