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天神・桜木⑤
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さくらは禿に連れられ、空き部屋に入った。ここは普段、明里をはじめとする遊女たちが客を取る部屋だ。
部屋までさくらを支えるふりをしてついてきた歳三は、一緒にきた禿を外で待たせるとさらに誰にも聞かれように声を落とした。その顔には、明らかに怒りの色が浮かんでいた。
「話はあとでゆっくり聞かせてもらう。宴が終わるまで、絶対ここにいろよ」
トン、と襖の閉まる音を聞いて、さくらはへなへなとその場に座り込んだ。髪も着物もかさばっていて横にはなれない。とは言え、後にも先にもこんなに着飾ることはないだろうと思うと、すぐに脱いでしまう気にもなれなかった。
――山南さんは、本当に明里さんのお馴染みさんなんだなあ。しかも、ただの遊女と客などではない。
今回の明里の申し出、本気で断ろうと思えば断れた。それでも、今日あの時間をああして迎えてしまったのは、ほんの少しの出来心――下心ともいう――からに他ならなかった。
――山南さんは、私を見ただろうか。私だと、気づいただろうか。
鐘が鳴って、さくらは目覚めた。こんな格好でも、気が抜けたせいか眠ってしまったようである。一刻は経っている。宴会は終わったのだろうか、と思った矢先、荒々しく襖が開いた。
「歳三……」
「明里さんからだいたいの事情は聞いた」
歳三はツカツカとさくらの前に歩いてくると、どっかと腰を落とした。
「み、みんなは……?」
「先に帰ってもらっている」
「そ、そうか。源兄ぃと山南さん、なんか言ってたか」
「どうして引き受けた。お前、自分が何したかわかってんのか」
質問を無視して凄む歳三に、さくらはたじろいだ。
「す、すまなかった、とは思っている。軽はずみだった。諸士調役として失格だし……切腹と言われても仕方がない」
言ってから、より強い後悔の念が押し寄せた。こんなことで、こんなくだらない見栄のようなもののために、ここで自分は死ぬのかと。
歳三は、これ見よがしにハアとため息をついた。
「とりあえず、ここでの任務はもともともうすぐ終わる予定だったんだ。早めに戻って来い」
歳三の手が伸びてきた。さくらは叩かれるような気がして、咄嗟に目を瞑った。だが、頬に温かい感触がしただけだった。歳三が、さくらの頬をその手で包んでいた。
「にしても、化けるもんだな。谷と武田は気づいてなかったぜ」
それを聞いて、さくらはほっと胸を撫でおろした。女であること自体は知られているが、”桜木”に変装しているとは知られたくなかった。
「サンナンさん、言ってたぞ。短い間に舞を覚えて披露するなんて大したもんだと」
「そ、そうか――」
「まだ、想っているか。サンナンさんは――」
「わかっている」
さくらは、歳三の手首を掴んで、そっと下ろした。歳三の目を直視できず、俯く。部屋は薄暗いが、行燈の光を反射した着物の派手な色が目についた。
「わかっているが、そう簡単に消えるものでもない。そも、私は、どうこうなりたいとも思っておらぬ。ただ同志として傍で、上様のために、京の治安のために働く。それが私の使命だ」
「じゃあ、泣くな」
「な、泣いてなどおらぬ。少し眠ってしまっていたから、そのせいで少し目元が湿っているだけだ」
「ふん、そうかい」
歳三はスッと立ち上がった。帰るのか?とさくらは尋ねた。
「桜木天神を一晩買うと言って武田たちを撒いてるからな。屯所には戻れねえ。馴染みのとこにでも行くさ」
「そ、そうか。すまないな。いろいろと気を使わせて」
「いつまでそれ着てるんだ」
「お前が帰ったらすぐに着替えるさ。もう、着ている意味もないし」
歳三はそうか、と返事をするといくつか隊務の用件を告げて部屋を出て行った。襖を閉める直前、さくらをじっと見つめたかと思うと、ふっと笑みを浮かべた。
「天神・桜木、悪くなかったぜ。馬子にも衣裳ってのはよく言ったもんだ」
おい、どういう意味だ、とさくらが食って掛かる前に、歳三は姿を消してしまった。
一人残されたさくらは、しばらくぼんやりと歳三が閉めていった襖を見つめていた。
「静かだなぁ」
やがてさくらは、名残惜しそうに帯を解き始めた。
自分は遊女ではないけれど、遊女が着物の帯を自分で解くことほど空しいことはないのではないかと、そんなことを思った。
部屋までさくらを支えるふりをしてついてきた歳三は、一緒にきた禿を外で待たせるとさらに誰にも聞かれように声を落とした。その顔には、明らかに怒りの色が浮かんでいた。
「話はあとでゆっくり聞かせてもらう。宴が終わるまで、絶対ここにいろよ」
トン、と襖の閉まる音を聞いて、さくらはへなへなとその場に座り込んだ。髪も着物もかさばっていて横にはなれない。とは言え、後にも先にもこんなに着飾ることはないだろうと思うと、すぐに脱いでしまう気にもなれなかった。
――山南さんは、本当に明里さんのお馴染みさんなんだなあ。しかも、ただの遊女と客などではない。
今回の明里の申し出、本気で断ろうと思えば断れた。それでも、今日あの時間をああして迎えてしまったのは、ほんの少しの出来心――下心ともいう――からに他ならなかった。
――山南さんは、私を見ただろうか。私だと、気づいただろうか。
鐘が鳴って、さくらは目覚めた。こんな格好でも、気が抜けたせいか眠ってしまったようである。一刻は経っている。宴会は終わったのだろうか、と思った矢先、荒々しく襖が開いた。
「歳三……」
「明里さんからだいたいの事情は聞いた」
歳三はツカツカとさくらの前に歩いてくると、どっかと腰を落とした。
「み、みんなは……?」
「先に帰ってもらっている」
「そ、そうか。源兄ぃと山南さん、なんか言ってたか」
「どうして引き受けた。お前、自分が何したかわかってんのか」
質問を無視して凄む歳三に、さくらはたじろいだ。
「す、すまなかった、とは思っている。軽はずみだった。諸士調役として失格だし……切腹と言われても仕方がない」
言ってから、より強い後悔の念が押し寄せた。こんなことで、こんなくだらない見栄のようなもののために、ここで自分は死ぬのかと。
歳三は、これ見よがしにハアとため息をついた。
「とりあえず、ここでの任務はもともともうすぐ終わる予定だったんだ。早めに戻って来い」
歳三の手が伸びてきた。さくらは叩かれるような気がして、咄嗟に目を瞑った。だが、頬に温かい感触がしただけだった。歳三が、さくらの頬をその手で包んでいた。
「にしても、化けるもんだな。谷と武田は気づいてなかったぜ」
それを聞いて、さくらはほっと胸を撫でおろした。女であること自体は知られているが、”桜木”に変装しているとは知られたくなかった。
「サンナンさん、言ってたぞ。短い間に舞を覚えて披露するなんて大したもんだと」
「そ、そうか――」
「まだ、想っているか。サンナンさんは――」
「わかっている」
さくらは、歳三の手首を掴んで、そっと下ろした。歳三の目を直視できず、俯く。部屋は薄暗いが、行燈の光を反射した着物の派手な色が目についた。
「わかっているが、そう簡単に消えるものでもない。そも、私は、どうこうなりたいとも思っておらぬ。ただ同志として傍で、上様のために、京の治安のために働く。それが私の使命だ」
「じゃあ、泣くな」
「な、泣いてなどおらぬ。少し眠ってしまっていたから、そのせいで少し目元が湿っているだけだ」
「ふん、そうかい」
歳三はスッと立ち上がった。帰るのか?とさくらは尋ねた。
「桜木天神を一晩買うと言って武田たちを撒いてるからな。屯所には戻れねえ。馴染みのとこにでも行くさ」
「そ、そうか。すまないな。いろいろと気を使わせて」
「いつまでそれ着てるんだ」
「お前が帰ったらすぐに着替えるさ。もう、着ている意味もないし」
歳三はそうか、と返事をするといくつか隊務の用件を告げて部屋を出て行った。襖を閉める直前、さくらをじっと見つめたかと思うと、ふっと笑みを浮かべた。
「天神・桜木、悪くなかったぜ。馬子にも衣裳ってのはよく言ったもんだ」
おい、どういう意味だ、とさくらが食って掛かる前に、歳三は姿を消してしまった。
一人残されたさくらは、しばらくぼんやりと歳三が閉めていった襖を見つめていた。
「静かだなぁ」
やがてさくらは、名残惜しそうに帯を解き始めた。
自分は遊女ではないけれど、遊女が着物の帯を自分で解くことほど空しいことはないのではないかと、そんなことを思った。
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