浅葱色の桜

初音

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天神・桜木④

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 ――新選組の幹部の方たちがな、会津のお侍さんと一緒にお酒飲まはるんやて。
 宴会の内容を尋ねたさくらに、明里はそう答えたのだった。
 わかってはいたが、いざこの場に立つと、まだ何もしていないのに「もう帰りたい」という思いがよぎる。だが、明里に倣って体だけは動かし、正座で頭を下げる。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせるが、反面、お辞儀をしたまま二度と顔を上げたくないとも思った。
「明里でございます。本日はどうぞよろしゅう」
「桜木でございます。ゆっくりしていっておくれやす」
 最低限、ということで覚えた台詞を言うと、さくらはいよいよ顔を上げざるを得なかった。ゆっくりと正面を見ると、歳三と早くも目が合った。歳三は切れ長の目をこれでもかと開けて、口をぱくぱくとさせている。その様子を見て、さくらは笑いそうになった。おかげで、少し緊張が解けた。
 さくらは不自然にならない程度にさっと部屋の隅から隅まで見渡した。勇、歳三、山南の他に、源三郎、谷、武田もいる。それに、上座にはさくらの知らない男が二人いた。身なりがいい。あれが、件の会津藩士だろう。勇たちはいいとして、会津の人間にさくらの正体が知れるわけにはいかない。だが幸い、さくらが顔を知らないということは向こうも島崎朔太郎の顔は知らないに違いなかった。
「おお、これはこれは。近藤どの、よいおなごを選んでくださりましたな」一番奥に座っていた五十がらみの男が言った。すでにいくらかできあがっているようである。
「え、ええ、まあ、この店で最近評判のおなごだということで」勇は苦笑いしていた。当然、「桜木天神」が自分の義姉あねだと気づいての苦笑いである。
 そんな様子をよそに、明里が三味線を構えるとゆったりとした音楽が奏でられはじめた。
 さくらはゆっくりと立ち上がるとしなやかな足取り、もとい、転ばないようにと慎重な足取りで、踊り場に歩き出した。たった数歩の距離が、ひどく遠くに感じられた。
 踊り場に立つと、音楽は単調な前奏から、情緒的な主旋律に変わった。頭の中では必死に覚えた振り付けの記憶を呼び起こし、しかしそうとは悟られぬような表情で、しなやかに扇を振り、体をくねらせ、くるりと回転し、音楽に合わせ、舞った。途中、振り付けを忘れたら音楽に合わせてなんとなく剣術の型稽古を崩したような動きをして乗り切った。
 曲が終わり、さくらは正座して深々と頭を下げた。ひとまず、終わった。
「桜木といったか、独特な舞であったな。いやはや、楽しませてもらった」先ほどの男の声が聞こえてきた。どうやら、さくらの舞を斬新なものとして受け止めてくれたようだった。
 ほっとしたのもつかの間、”桜木”と明里は出席者一人ひとりに酌をして回らなければいけなかった。明里が会津藩士の方に率先していってくれたので、さくらは廓言葉で会話するという危険を冒さずに済んだが、この格好で仲間に酌をして回るという羽目になりこれはこれで地獄だった。さくらは、すぐ傍に座っていた源三郎のところに行きたかったが、立場的には歳三の隣に座る勇のところに行かざるを得ず、銚子を持ってすすす、と移動した。
 おひとつどうぞ、としとやかな声色で声をかけ、勇と歳三の間に腰を下ろしたさくらに、二人は同時に
「なんでお前が」
 とごくごく小さな声で言った。
「事情は後で説明する。事故だ事故」さくらは小声で返した。
「はあ、万に一つ違っていればと思ったが」
「サクか、やっぱりそうなのか」
「ああもうとにかく、あの方々はどちらがどちらだ」
「奥にいるのが最近ご上洛された会津藩の神保様だ。手前が同じく山浦様」勇の説明を受けてさくらは改めて二人を見た。先ほどさくらに声をかけた男・神保は、明里の酌を受けて上機嫌そうである。隣に座る山浦という藩士は総司や平助とそう変わらない年ごろの青年で、ぼんやりと明里に見とれているようだ。
 やがて、明里がさくらにちらりと目配せした。その目が「こっちへ」と言っていた。おそらく、神保たちに桜木を呼べと言われたのだろう。困ったことになった。練習してきたとはいえ、遊女に化けきれるほど廓言葉を使いこなしてるわけではない。どう乗り切ろうかと思っているうちに、明里はすっと場所を空けて、向かい側に座っている山南のもとへ酌をしに行った。
 つい、さくらは二人を凝視してしまった。見なければよかった、と後悔した。胸の中でなにかがぐにゃりと音もなく崩れていくような心地がする。明里も山南も、互いを見るその表情はさくらが今まで一度も見たことのないものだった。
 ――私は、どうしてこんな格好で、こんなところにいるのだ。何をしているのだ。
「サク」
 歳三が小さく名を呼び、さくらの着物の袖をわずかに引っ張った。
「立ち上がったら、ふらつけ」
 さくらは意味がわからなかったが、歳三に言われるまでもなく狭いところで立ち上がったら着慣れない打掛に足を取られて転びそうになった。
「おっと」歳三はすかさず立ち上がると、よろめいたさくらの肩をがしっと掴んだ。
「いけない、顔色がよろしくありませんな。立派な舞を見せてくださったのですから、もう十分です。そこの禿殿、桜木殿をどこか別室で休ませてやってほしい」
 さくらは目を丸くして歳三を見た。長居すればするほど諸士調役として使い物にならなくなってしまうのだから、唯一さくらの事情を知る者として機転を利かせたに違いなかった。どちらにせよ、一刻も早くこの宴会が終わればいいと願っていたさくらには渡りに船だった。

 
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