浅葱色の桜

初音

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天神・桜木②

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 ――どういう意味だ。
 さくらは部屋の隅にかけられていた打掛をぼんやりと眺めた。

 さくらは知っていた。揚屋で明里を待っているのが、山南であるということを。
 これも、情報源は台所での会話であった。明里から聞いたわけでも、山南から聞いたわけでも、新選組の誰かから聞いたわけでもなかった。

 話は半月ほど前に遡る。
 明里がよその揚屋に呼ばれていってしまい、他にめぼしい宴会もなかったので、さくらは皿洗いだけさっと済ませてタミの店に戻ろうとしていた。
 そんな時、志乃が話しかけてきた。
「お初ちゃん、今日は早くあがるんやて?」
「ええ、これだけ洗ったら。明里姐さんも今日は外やし」
「最近明里姐さん、よう呼ばれとるなあ。どんな顔した人だかいっぺん見てみとおすわ」
「呼んでるのは、同じ人なん?」
「そうや。なんでも、新選組の偉いお人なんやて」
「えっ!?」
 さくらは素っ頓狂な声を上げてしまった。初耳だった。偉い人ということは助勤以上だろうか。
「なんて言うたかな。副長はんやて」
 歳三のやつ、この前屯所に寄った時は何も言っていなかったじゃないか、とさくらは心の中で悪態をついたが、言う筋合いもないかと思い直して「ふうん」と気のない返事をし、言葉を続けた。
「副長って人の話なら少しだけ聞いたことがあるわ。結構もてるとか」
「それは土方歳三はんのことやろ?」
「ああ、そう、そんな名前……」
「いややわお初ちゃん、土方はんのこと知らんの?島原のおなごの間では専らの評判やで。正直、壬生浪は柄の悪いお人も多くて迷惑することもままあるけどな」
 ――なんか、スイマセン……。
「土方はんは別や。あんなに綺麗な顔した殿方うちは見たことあらへん」
「へ、へえ、そうなんや。さすが明里姐さん、そんな人とお馴染みやなんて」
 なんだかすごいことになっているな、と思いながらもさくらは話を合わせようと必死だった。
「ちゃうちゃう、明里姐さんのお馴染みさんは、もう一人の副長はん」
 ――え?
 さくらは危うく皿を取り落としそうになった。もう一人の副長といえば、彼しかいない。
 ――聞いてない。誰からも、一言も。
 さくらは、必死に平静を装って、しかし怖いもの見たさのような気持ちで志乃に質問した。声が、少しだけ震えている気がした。
「そうやったん。明里姐さん何も言わないから……お、お志乃ちゃんはどうしてそんなこと知ってるん?」
「うちかて直接聞いたわけやあらへん。お馴染みさんの内情をぺらぺら喋るようなお人やあらへんやろ、明里姐さんは。うちな、たまに姐さんについて鼓叩きよるやろ。この前、新選組の原田はんと永倉はんのお相手した時に言うてたんや。『ああ、やっぱりあんたか。なんとかさんのイロは』って。なんやったかな。さ、さ、」
「サンナンさん、いうてなかった?」
「そうそう、そんな名前やった。なんやお初ちゃん知ってるんやないの」
「へえ、まあ、ちょっとだけ。……えっと、皿、洗い終わったから、今日はこれで」

 何かの間違いであって欲しかった。だが、間違いにしてははっきりしすぎている。明里の馴染みが山南であること自体もちろん驚愕の事実であり心が抉られるような話だが、その事実が今まで自分の耳に全く入ってこなかったことにも、なんだか浦島太郎になったような疎外感があった。裏口から店を出たさくらは、何も考えず、ただ無意識に足を動かしてなんとか島原の大通りまで出てきた。その時、知った声が聞こえてきた。
「――サンナンさん、今日も足繁く通ってんだろなあ。覗きにいってみるか」
「やめとけ。本人は隠してるんだから」
 表玄関から出てきたのは、新八と左之助だった。隠れなければ、と踵を返したが、すでに二人は視線を感じたらしく、さくらに気づいた。
「さく、島崎さん!?どうしたんですか、そんな恰好で」新八が聞いた。さくらはシーッと指を立てると、少し離れて人気のない路地裏に二人を連れ込んだ。
「ちょっと仕事でな。私に会ったことは誰にも言うなよ。それよりもだ、その、今の話……」
「今の話?」左之助がきょとんとした顔で聞いてきた。さくらは「えっと、だからその」と口ごもった。山南の馴染みの女について根掘り葉掘り聞いたりしたら、明らかに不自然だ。しかし、乗りかかった船である。
「山南さんがどうのこうのっていう」
「なんださくらちゃん知らねえのかよ?まあしばらく屯所にいなかったしな。実はサンナンさんってばよお」
「おい左之助」
「大丈夫だろー。さくらちゃんは監察方なんだぜ?口の堅さは天下一品ってなわけだ」
「だとしたらお前は日本一監察には向いてないな」
「なんだよ新八っつぁん、自分だけ善人ぶって。サンナンさんに女ができたって言いふらしてたじゃねえか」
「言いふらしてはいない。口の堅そうな斎藤と島田にちょっと話しただけだ」
「それを俺が聞いてたのが運の尽きだったな。ひっひっひ。だってよお、サンナンさんに女なんて酒の肴にもってこいな話だろ」
「女……」さくらはそれだけポツリと呟いた。
「そうそう。木津屋の明里って天神だ。でもよ、木津屋は新選組俺たちもよく出入りするだろ?だからサンナンさん、目撃されねえようにわざわざ向こうの桔梗屋に呼びつけて遊んでんだ」
 ここまで言われてしまえば決定的だった。
「そうか。山南さんが見込んだおなごだ。さぞかし器量の良いお方なんだろう」
「おうよ、俺たちも一度見たことはあるけどよ、そりゃあ別嬪でさあ」
 そうか、ともう一度さくらは言うと「私はもう、行かねばならぬ」と踵を返した。

 その次の日は、さくらは仮病を使って仕事を休んだ。
 とても人前に出られる顔ではなかった。
 こんなことは初めてだった。こんな気持ちになるのは初めてだった。



 半月経って、今は事実を受け入れ、達観しようとしている。

 ――私は、武士だ。新選組の、副長助勤だ。それに、三十過ぎの大年増だ。恋心など、持っていても何にもならないのだ。

 さくらはふう、とひと息着くと、台所に向かった。
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