浅葱色の桜

初音

文字の大きさ
上 下
153 / 205

跡を継ぐもの②

しおりを挟む
 食事時を外れた台所は、誰もおらずひっそりとしていた。さくらはぼんやりと考えながら、しかし手はてきぱきと動かして土瓶を火にかけた。
 ――もうとっくに、近藤家の主は勇なのだ。本来、私が養子の問題に口出しできる立場ではない。だがそれでも、勇は、私に一言言ってくれた。私を、近藤家の身内として……
 父・周斎の顔が思い浮かんだ。病がちで臥せっているという。今すぐ命がどうこうというわけではないらしいが、歳も歳だしどうなるかわからない。
 ――父上、どうしましょう。私は、どこに向かっているのでしょう。
 島崎姓を名乗り、跡継ぎの心配もせず、新選組という場で男なのか女なのかよくわからない立ち位置で剣を奮っている自分は、随分遠くまで、近藤家の蚊帳の外まで、来てしまったような気がした。だが、普通に考えて自分が子供を産まない以上、結局勇の子供が跡を継ぐことになるわけで。それが、養子か実子かの違いというだけだ。
 ――総司は?
 総司は、どう思うのだろう。自分よりも、さくらが相応しいと言ってくれた。それなのに、ぽっと出の谷千三郎がその座に納まると知ったら。
 さくらは、お盆に土瓶を乗せ、少し迷ったが、空の湯飲みを三つ乗せて台所を出た。

 総司の部屋の前を通ると襖が開け放されていて、中で総司が一人で刀の手入れをしていた。ちょうどいいとばかりにさくらは声をかけた。
「姉先生、戻ってたんですか」総司は屈託のない顔で笑った。さくらが「入っていいか?」と尋ねると、総司はどうぞどうぞと言うので中に入って座った。
「総司。勇から聞いたか。その――お前を養子にしたいという話」谷千三郎の名は出さずに、どこまで話せるだろうかと思いながらも、さくらは切り出した。
「ああ、その話ですか。お断りしましたよ。だって姉先生が適任ですから」
「それは知っている。だが、私は勇の姉だ。あやつの次の代として生きていくことはできぬ。それに――」さくらはなんとなく総司の刀に遣っていた視線を、総司の顔に向けた。
「お前たちと共に戦い、新選組の一員として京の町の人たちや公方様をお守りしたい」
 口にすると、その思いは、決意は、さくらの中にすとんと収まるような心地がした。
「だから、それを踏まえて、もう一度考えないか?」
「二言はありませんよ。それを聞いて『じゃあやっぱり』なんてカッコ悪いじゃないですか」
「で、では……私でも総司でもない誰かが、近藤家の養子になるとしたら?」
「近藤先生が決められたのなら、私がとやかく言う筋合いはありませんよ」総司は柔らかく微笑んだが、一瞬その目から笑いが消えた。その次の総司の台詞を聞いて、さくらはニヤリと笑った。
「よし、行くぞ総司。勇のところへだ」
「え、ちょっと、何かあったんですか?」
 さくらがすっくと立ちあがると、総司は慌てて刀を鞘にしまって付いてきた。

 さくらは勇の部屋の前に到着すると、「入るぞ」という声をかけるやいなや襖を勢いよく開けた。
「なんだ、時間かかったな。って、総司?どうした」
「さあ。島崎先生に連れてこられただけで」
「勇。先ほどの話は、総司も聞くべき話だと思う。独断ですまぬが、連れてきた」
 さくらはお盆を置くと湯飲みにお茶を入れ始めた。それぞれを手渡したが、勇はきょとんとした顔でさくらを見つめるだけだった。
「なんだ。さっき私に話したことをそのまま総司に話せばよい」
「え、ああ、そうだな」
 さくらがずずっとお茶を飲んでいる間に、勇は総司に話して聞かせた。養子として、谷千三郎を考えていると。総司は驚いたような表情を見せたものの、黙って話を聞いていた。
 話が終わると、さくらが口を開いた。
「勇。近藤家の主はお前だ。私も総司も、今や新選組の副長助勤として公方様や会津公のお役に立つことを務めとしている。勇が決める跡継ぎに、とやかくは言わぬ。だが」
 さくらは、勇の目を真っすぐに見た。
「近藤家の名に泥を塗るようなことをしたら、私か総司が、斬ってしまうかもしれぬ。そのこと、肝に銘じておけ」

 総司が、先刻さくらにこう言ったのだった。
『近藤家の恥となるようなことをしたら、斬ってしまうかもしれません。いいですよね?私は十年以上近藤家を見てきたんですから』

 勇は、さくらの目を見ると、「うむ。わかった」と頷いた。
「さくら、総司も、ありがとう。早速、本人にも話してみようと思う」
「それと、私からは頼みがある」
「頼み?」
「勇の息子にするのは勝手だが、私が私の甥として認めるのはやつの人となりをこの目で見極めてからにしたい」

 それは、ほんの少しのさくらの意地だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

紫苑の誠

卯月さくら
歴史・時代
あなたの生きる理由になりたい。 これは、心を閉ざし復讐に生きる一人の少女と、誠の旗印のもと、自分の信念を最後まで貫いて散っていった幕末の志士の物語。 ※外部サイト「エブリスタ」で自身が投稿した小説を独自に加筆修正したものを投稿しています。

庚申待ちの夜

ビター
歴史・時代
江戸、両国界隈で商いをする者たち。今宵は庚申講で寄り合いがある。 乾物屋の跡継ぎの紀一郎は、同席者に高麗物屋の長子・伊織がいることを苦々しく思う。 伊織には不可思議な噂と、ある二つ名があった。 第7回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞しました。 ありがとうございます。

新撰組のものがたり

琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。 ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。 近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。 町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。 近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。 最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。 主人公は土方歳三。 彼の恋と戦いの日々がメインとなります。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

北武の寅 <幕末さいたま志士伝>

海野 次朗
歴史・時代
 タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。  幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。  根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。  前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...