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潜入!島原遊郭③
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さくらは、本格的に宴席の場に居合わせるようになっていた。基本的には明里に、場合によっては他の遊女に付くこともあり、数人単位の小規模なものから十人以上の大所帯まで、給仕や雑用をする傍ら顔を出しては会話の内容に耳を傾けた。とは言え、開国だとか尊攘だとか、世間話的に政の話をするような人間ばかりで、敵でも味方でもない者がほとんどであった。だが、小さな世間話でもさくらはしっかりと聞き、頭の中で反芻し、控えの部屋に戻ると忘れないうちにと帳面に書き留めていった。どんな情報があとで役に立つかわからない。それに、「屯所を長期間空けて潜入したというのに、収穫なしか」などと嫌味の一つを言ってのける山崎や歳三の顔を想像したら、もう遮二無二やるしかない。さくらは些細な会話からも情報を拾おうと必死だった。
明里は、蓋を開けてみれば思いのほかさくらに協力的だった。さくらが直接客に話しかけることは立場上できなかったので、明里が代わりに「お国はどちらなんどすの?」とか「なんや、最近ええ事でもありましたんか?お顔に書いてありますえ」などと言って、客の基本情報や近況を聞き出してくれた。
そんな中で、さくらは気になる話を耳にした。
「へえ、ほな神戸におらはったんどすか」明里が酒を注ぎながら驚いたような調子で言った。この日は、二人組の少々みすぼらしい男が来ていた。みすぼらしい、といっても着古した着物がそう見せているだけで、きちんと髭を剃った顔には清潔感が感じられ、それがなんだかちぐはぐな印象を与えていた。中途半端な総髪も気にはなったが、さくらもついこの間まで似たようなものだったのだから、人のことはとやかく言えまい。月代にするのは一瞬だが、総髪にするには髪が伸びるのを待たなければならないのだ。
酒を注がれた男――さくらから見て右側、面長の方――は、「そうじゃき」とあまり聞き慣れない言葉で返事をした。
「わしら、海軍操練所ちゅうところで修行しちょったきに」
「勝先生は偉大なお方じゃあ。幕府にもあがいに骨のあるお方がまだおったとはちっくと驚いたがぜ」左側の、ぎょろりとした目が特徴的な男が続いた。
さくらは冷やの入った桶から出した徳利の水滴を拭っていたが、ピタリと手を止めた。
――勝海舟様のことか?この者たち、何の接点があって……?
さくらは、態度の変化を悟られぬよう、せっせと作業を続けた。だが、ほとんどの神経は耳に集中させている。
「へえ、どないなところだったんどすか?」さくらの心の内を代弁するかのように、明里が尋ねた。
「神戸っちゅうのはな、去年、開港のお達しが出たけんど、まあいろいろありゆうてまだ閉ざしたまんまなんじゃき。そこに目ぇつけてな。異国の船が万一大砲ぶっ放しに来よっても負けんような港作りをしとったんじゃあ。この亀は航海術の飲み込みも早くてのう、勝先生にも目をかけてもらっとったがぜ」左側の男は誇らしげな様子で語っていた。亀、と呼ばれた面長の男は照れくさそうに頭を掻いた。
「そらえらいことどすなあ。ほんまに異人さんが攻めてきはっても大事おへんの?」
明里がそう投げかけた質問の答えを最後まで聞きたかったが、いよいよさくらがこれ以上長居するのは不自然になってきた。酒がなくなったのだ。追加を取りに行くのは、さくらの役目である。
部屋を去り際に、さくらは二人の顔をもう一度しっかりと見た。海軍にいたとあって、二人とも浅黒く日焼けしている。
印象に残ったのは、きらきらと希望に満ち溢れた目だった。
明里は、蓋を開けてみれば思いのほかさくらに協力的だった。さくらが直接客に話しかけることは立場上できなかったので、明里が代わりに「お国はどちらなんどすの?」とか「なんや、最近ええ事でもありましたんか?お顔に書いてありますえ」などと言って、客の基本情報や近況を聞き出してくれた。
そんな中で、さくらは気になる話を耳にした。
「へえ、ほな神戸におらはったんどすか」明里が酒を注ぎながら驚いたような調子で言った。この日は、二人組の少々みすぼらしい男が来ていた。みすぼらしい、といっても着古した着物がそう見せているだけで、きちんと髭を剃った顔には清潔感が感じられ、それがなんだかちぐはぐな印象を与えていた。中途半端な総髪も気にはなったが、さくらもついこの間まで似たようなものだったのだから、人のことはとやかく言えまい。月代にするのは一瞬だが、総髪にするには髪が伸びるのを待たなければならないのだ。
酒を注がれた男――さくらから見て右側、面長の方――は、「そうじゃき」とあまり聞き慣れない言葉で返事をした。
「わしら、海軍操練所ちゅうところで修行しちょったきに」
「勝先生は偉大なお方じゃあ。幕府にもあがいに骨のあるお方がまだおったとはちっくと驚いたがぜ」左側の、ぎょろりとした目が特徴的な男が続いた。
さくらは冷やの入った桶から出した徳利の水滴を拭っていたが、ピタリと手を止めた。
――勝海舟様のことか?この者たち、何の接点があって……?
さくらは、態度の変化を悟られぬよう、せっせと作業を続けた。だが、ほとんどの神経は耳に集中させている。
「へえ、どないなところだったんどすか?」さくらの心の内を代弁するかのように、明里が尋ねた。
「神戸っちゅうのはな、去年、開港のお達しが出たけんど、まあいろいろありゆうてまだ閉ざしたまんまなんじゃき。そこに目ぇつけてな。異国の船が万一大砲ぶっ放しに来よっても負けんような港作りをしとったんじゃあ。この亀は航海術の飲み込みも早くてのう、勝先生にも目をかけてもらっとったがぜ」左側の男は誇らしげな様子で語っていた。亀、と呼ばれた面長の男は照れくさそうに頭を掻いた。
「そらえらいことどすなあ。ほんまに異人さんが攻めてきはっても大事おへんの?」
明里がそう投げかけた質問の答えを最後まで聞きたかったが、いよいよさくらがこれ以上長居するのは不自然になってきた。酒がなくなったのだ。追加を取りに行くのは、さくらの役目である。
部屋を去り際に、さくらは二人の顔をもう一度しっかりと見た。海軍にいたとあって、二人とも浅黒く日焼けしている。
印象に残ったのは、きらきらと希望に満ち溢れた目だった。
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