浅葱色の桜

初音

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見えない気持ち③

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 さくらはこういう、うじうじと悪い方に物事を考えてしまいがちな時には素振りで邪念を払うに限る、と道場に向かった。
 今の時間なら、誰もいないはずである。
 しかし、道場には、先客がいるようだった。
「山南さん……?」
 山南は素振りに集中しているようで、さくらには気づいていない。さくらも、声をかけたら悪いと思い、キリのいいところまで様子を見守ることにした。
 素振りの様子をまじまじと見ていると、さくらはある違和感を覚えた。やけに、木刀が左に傾いている。右腕に力が入りすぎている証拠だ。否、左腕の力が、入っていない。両手で木刀を持ってはいるが、左手はただ添えられているだけのようである。
 さくらは、嫌な予感がした。まさか。
 すると、鈍い音が道場に響き渡った。山南が、木刀を取り落とした。山南は、右手で左腕を抑えるような仕草を見せると、落ちた木刀を拾い上げた。そこで、さくらに気づいたようで振り返った。
「ああ、島崎さんも素振りですか。考え事をしていて煮詰まった時は、やはり体を動かすに限りますよね」
 すると、山南は拾い上げた木刀をそのまま壁にかけて、道場を去ろうとしてしまった。始めてからまだそんなに時間は経っていないはずだ。たったこれだけで稽古を終えてしまうなんて、真面目な山南らしくもない。
「あの、山南さん……」
「はい」
「腕、左腕、大丈夫なんですか?」
「もちろん、大丈夫ですよ」
「嘘」さくらは、即座に否定した。
「嘘など……」
「それなら、私と勝負してください」
 山南は、一瞬ためらった。だが、「いいでしょう」と笑った。
 勝負と言っても、審判もいないので防具はつけずに立ち会う。打ち込む時は、寸止め。先に打ち込んだ方が勝ち。
 さくらは、やや下段に構えた。対する山南は、中段。やはり、左――さくらから見て右――に剣先が傾いている。つまり、さくらから見て左ががら空きである。
 定石通り、そこを狙った。さくらが振り上げた木刀を、山南は素早く払ったが、左側を守り切れなかった。そのまま、山南の腰のあたりにさくらの木刀が触れた。
「参りました」山南は素直に負けを認めた。
「やっぱり……腕が……山南さん、どうして……」
「関係ありません。さくらさんが腕を上げただけのこと」
「違う。山南さんは、こんなにあっさり私に勝ち星をくれたことなんてなかったじゃないですか。いつだって、私より強くて、それで……」
 山南は力なく笑った。
「すみません。あまり、嘘をつき続けるのもよくないですね。おっしゃる通りです。左腕が、使い物になりません。生活するうえで物を持ったり運んだりする分には支障ありませんが、いざ剣術となると、まったく力が入らない」
 さくらは、自分の体がわなわなと震えるのがわかった。
 あの時だ。あの騒動で腕を斬られてしまったことが引き金になったのだ。
 ――目の前で、また大切な人を守れなかった。何をやっているのだ。何のために、私は修行をしてきたというのだ。
「わ……」
「私のせいだ、なんて言わないでくださいね」
 言おうとしたことを言い当てられて、さくらは山南の目を見ることができなかった。代わりに、見た目には何も異変のない彼の左腕に視線をやった。
「いつか話してくれましたね。母御を目の前で斬られてしまったのをきっかけに剣術を始めたのだと」山南はさくらの心を見透かしたように言った。
「だから、あなたには知られたくなかった。知れば、自分を責めるでしょう。ですがもちろん、あなたのせいじゃない。私の未熟が招いたこと」
「や、山南さんは未熟なんかじゃありません!やはりあの時――」
 山南は、わずかに口角を上げた。
「ありがとうございます。やはり、あなたに話すべきではありませんでした。……近藤局長と土方副長には、黙っていてください」
「でも、そういうわけにもいきません……!いろいろ隊務で難儀することもあるでしょうし……」
 さくらは、それ以上言葉を続けられなかった。淡々とした、感情の読み取れない山南の顔を見たら、何も言えなくなった。山南は無言で木刀を片付けると、道場を出た。入り口側に立っていたさくらの横を通る時、山南が小さな声で、だが確かにこう言ったのがわかった。
「私も甘くみられたものだ」
 残されたさくらは、自分でもどう説明すればいいのかわからないもやもやとした気持ちに包まれながら、立ち尽くしていた。
 山南の気持ちを害してしまった。ただそれだけは、痛いほどわかった。
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