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新たな一歩①
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歳三は、女を抱いていた。
「なんや、上の空やおへんか?」
うちのことだけ見たらええし、と甘ったるい声で囁きながら、女はそうっと歳三の頬を撫でた。
「言われなくても、俺の目に写るのはお前だけだ」
歳三はさらりとそんなことを言う。そこに恥じらいや照れはない。慣れたものだ。
歳三は女に口づけを落とし、そのまま自身の体を女に沿わせた――
「羨ましおすなぁ」
女は身なりを整えながら、ぽつりと呟いた。
「何が」歳三はぶっきらぼうに言う。肘枕をして寝転び、女に背を向けている。
「土方はんが見とるのはうちやない。本命のお方がおるんやろ?」
「何が」
「けど、それでも構しません。ここは殿方に夢を見てもらうところ」
「ああ、いい夢見させてもらったぜ」
女はくすりと笑った。だが、目には憂いを帯びている。
「羨ましおすなぁ。その女が」
女は、歳三の背中を見つめながら、再び呟いた。
歳三は、きちんと代金を払って見世を後にした。
上洛して間もない頃から、島原や祇園、上七軒といった花街で様々な女と遊んできた。人数だけで言えば、あの女好きの芹沢よりも多いかもしれない。何せ、芹沢は最期の数ヶ月、梅という「馴染み」がいたのだから。
資金に乏しい壬生浪士組で、なぜそんなに女遊びができたかといえば、それはひとえに歳三が実にもてたからである。
切れ長の目、二十九歳にしてはハリツヤと白さのある肌。玄人の女たちも、放ってはおかなかった。その為、ツケでも構わないからと女たちの方から申し出たのである。それをいいことに、所構わず女遊びにふけっていた。
だが、八月十八日の政変での働きを認められ、新選組と名を改めた歳三たちには、会津藩から正式に給金が支給されるようになった。という話は京の町中にも広まっていたから、もうただでは遊べない。「お金、あるんでしょ?」というわけである。これからは、懐事情と相談しながら遊ばなければならない。
歳三は、見世の二階を見上げた。もう、会いに来ることはないだろう。
――どことなく似てやがるからな。
歳三は女の顔を刹那思い浮かべ、そして振り払った。
***
さくらは、祇園の芝居小屋近くにある小道具屋で品物をじっと見つめていた。
店先には簪や櫛、手鏡など、女性向けの小間物が並んでいるが、その少し奥に、歌舞伎用の鬘がある。
――あれをつけたら、たまには女の格好にも戻れるだろうか。
そんなことを、さくらは考えていた。
男の格好で過ごし始めてだいたい一年が経とうとしている。今やすっかり慣れてしまったし、動きづらい女物の着物など、着たところで転んでしまいそうな気さえする。
だが、男装していても、名前が朔太郎でも、三十路でも、たまには……という気持ちもないではない。
さくらは手近な簪を手に取り、うーんと唸った。
「贈り物どすか?」
女将と思しき、さくらよりやや年上に見える女性が声をかけてきた。
「えっ、ああ、えーと」
贈り物、と言われてさくらはいささか狼狽した。もっとも、自分の見た目を思えば無理もない。「まあ、そんなところです」と言葉を続け、簪を元の場所に戻した。
「今日のところは……少し考えます。また」
さくらは小道具屋を出ようとしたが、恥はかき捨てとばかりに勇気を出して女将に尋ねた。
「あの、奥にあるかもじ(鬘のこと)は、歌舞伎役者ではなくても売ってもらえるのでしょうか?」
「へ?へえ、売り物ですさかい、欲しいと言われればそりゃあお売りしますけど」
「そうですか。教えてくださってありがとうございます」
女将は明らかに「どうしてそんなことを聞くんだ」という顔をしていたが、口に出されたわけではないのをいいことに、さくらは無視して店を出た。
往来に出ると、「さくら?」と声をかけられた。
「歳三……!」
さくらはあからさまに「げっ」と会いたくなかったという気持ちを顔に出した。小道具屋で簪を見ていたと知れたら、「色気づいてどうすんだ」などと嫌味を言われるに決まっている。
「何やってんだこんな所で」
「歳三こそ」
「俺は別に」
「私とて、別に」
どうやら歳三も言いたくないらしい。祇園を一人で歩いているという状況からして、女遊びをしていたのは明白だったが、そこをつつくとつつき返されるおそれがあったのでさくらはそれ以上何も言わなかった。
なんとなく気まずい沈黙が流れているまま二人は壬生方面に向かって四条通を歩いた。夕刻。あたりは徐々に暗くなってきている。
沈黙を先に破ったのは歳三だった。
「さくら」
「な、なんだ」
「お前、髪伸ばしたらどうだ。いや、伸ばせ」
「は?」
突然の話にさくらは面食らった。
「な、何故またそんなことを……?べ、別に私は髪を伸ばしたくて簪など見ていたわけではないぞ!」
「簪なんか見てたのか」
「あっ」
歳三はぷっと吹き出した。
「浪士組の時とは違って気兼ねすることもねえんだから、いつまでも月代でいる必要はねえだろ。今じゃ隊士のやつら、お前が女だって知ってるやつの方が多いくらいだしな」
「まあ、確かに……」
月代を剃っていても、さくらが女であるというのはほぼ周知の話であった。もっとも、「あんなに強いのが女のはずがない」「女が月代を入れるわけがない」と頑なに信じない隊士も一定数おり、幸か不幸か「島崎朔太郎が女かどうか」というのは「幽霊は存在するかどうか」と同じ次元の話になっていた。
「考えがあるんだ。明日、俺の部屋に来い」
「なんや、上の空やおへんか?」
うちのことだけ見たらええし、と甘ったるい声で囁きながら、女はそうっと歳三の頬を撫でた。
「言われなくても、俺の目に写るのはお前だけだ」
歳三はさらりとそんなことを言う。そこに恥じらいや照れはない。慣れたものだ。
歳三は女に口づけを落とし、そのまま自身の体を女に沿わせた――
「羨ましおすなぁ」
女は身なりを整えながら、ぽつりと呟いた。
「何が」歳三はぶっきらぼうに言う。肘枕をして寝転び、女に背を向けている。
「土方はんが見とるのはうちやない。本命のお方がおるんやろ?」
「何が」
「けど、それでも構しません。ここは殿方に夢を見てもらうところ」
「ああ、いい夢見させてもらったぜ」
女はくすりと笑った。だが、目には憂いを帯びている。
「羨ましおすなぁ。その女が」
女は、歳三の背中を見つめながら、再び呟いた。
歳三は、きちんと代金を払って見世を後にした。
上洛して間もない頃から、島原や祇園、上七軒といった花街で様々な女と遊んできた。人数だけで言えば、あの女好きの芹沢よりも多いかもしれない。何せ、芹沢は最期の数ヶ月、梅という「馴染み」がいたのだから。
資金に乏しい壬生浪士組で、なぜそんなに女遊びができたかといえば、それはひとえに歳三が実にもてたからである。
切れ長の目、二十九歳にしてはハリツヤと白さのある肌。玄人の女たちも、放ってはおかなかった。その為、ツケでも構わないからと女たちの方から申し出たのである。それをいいことに、所構わず女遊びにふけっていた。
だが、八月十八日の政変での働きを認められ、新選組と名を改めた歳三たちには、会津藩から正式に給金が支給されるようになった。という話は京の町中にも広まっていたから、もうただでは遊べない。「お金、あるんでしょ?」というわけである。これからは、懐事情と相談しながら遊ばなければならない。
歳三は、見世の二階を見上げた。もう、会いに来ることはないだろう。
――どことなく似てやがるからな。
歳三は女の顔を刹那思い浮かべ、そして振り払った。
***
さくらは、祇園の芝居小屋近くにある小道具屋で品物をじっと見つめていた。
店先には簪や櫛、手鏡など、女性向けの小間物が並んでいるが、その少し奥に、歌舞伎用の鬘がある。
――あれをつけたら、たまには女の格好にも戻れるだろうか。
そんなことを、さくらは考えていた。
男の格好で過ごし始めてだいたい一年が経とうとしている。今やすっかり慣れてしまったし、動きづらい女物の着物など、着たところで転んでしまいそうな気さえする。
だが、男装していても、名前が朔太郎でも、三十路でも、たまには……という気持ちもないではない。
さくらは手近な簪を手に取り、うーんと唸った。
「贈り物どすか?」
女将と思しき、さくらよりやや年上に見える女性が声をかけてきた。
「えっ、ああ、えーと」
贈り物、と言われてさくらはいささか狼狽した。もっとも、自分の見た目を思えば無理もない。「まあ、そんなところです」と言葉を続け、簪を元の場所に戻した。
「今日のところは……少し考えます。また」
さくらは小道具屋を出ようとしたが、恥はかき捨てとばかりに勇気を出して女将に尋ねた。
「あの、奥にあるかもじ(鬘のこと)は、歌舞伎役者ではなくても売ってもらえるのでしょうか?」
「へ?へえ、売り物ですさかい、欲しいと言われればそりゃあお売りしますけど」
「そうですか。教えてくださってありがとうございます」
女将は明らかに「どうしてそんなことを聞くんだ」という顔をしていたが、口に出されたわけではないのをいいことに、さくらは無視して店を出た。
往来に出ると、「さくら?」と声をかけられた。
「歳三……!」
さくらはあからさまに「げっ」と会いたくなかったという気持ちを顔に出した。小道具屋で簪を見ていたと知れたら、「色気づいてどうすんだ」などと嫌味を言われるに決まっている。
「何やってんだこんな所で」
「歳三こそ」
「俺は別に」
「私とて、別に」
どうやら歳三も言いたくないらしい。祇園を一人で歩いているという状況からして、女遊びをしていたのは明白だったが、そこをつつくとつつき返されるおそれがあったのでさくらはそれ以上何も言わなかった。
なんとなく気まずい沈黙が流れているまま二人は壬生方面に向かって四条通を歩いた。夕刻。あたりは徐々に暗くなってきている。
沈黙を先に破ったのは歳三だった。
「さくら」
「な、なんだ」
「お前、髪伸ばしたらどうだ。いや、伸ばせ」
「は?」
突然の話にさくらは面食らった。
「な、何故またそんなことを……?べ、別に私は髪を伸ばしたくて簪など見ていたわけではないぞ!」
「簪なんか見てたのか」
「あっ」
歳三はぷっと吹き出した。
「浪士組の時とは違って気兼ねすることもねえんだから、いつまでも月代でいる必要はねえだろ。今じゃ隊士のやつら、お前が女だって知ってるやつの方が多いくらいだしな」
「まあ、確かに……」
月代を剃っていても、さくらが女であるというのはほぼ周知の話であった。もっとも、「あんなに強いのが女のはずがない」「女が月代を入れるわけがない」と頑なに信じない隊士も一定数おり、幸か不幸か「島崎朔太郎が女かどうか」というのは「幽霊は存在するかどうか」と同じ次元の話になっていた。
「考えがあるんだ。明日、俺の部屋に来い」
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