浅葱色の桜

初音

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恩返し⑦

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 梅は、沖田総司という男を甘く見ていたのだろう。
 この優しげで飄々とした男は、女が命乞いをすれば助けてくれる、と。
 だが、総司は梅を蹴り飛ばすと、胸をひと突きに貫いた。
「姉先生の正念場なんです。邪魔しないでくださいね」
 総司は部屋の反対側から援護をするべく、平山の亡骸がある方へ向かい、いったん現場を離れた。
 
 一方で、追撃から逃げる芹沢は、もはや隙だらけであった。歳三の一振りが背中に入る。だが、浅い。転げるように隣の部屋の前まで移動すると、歳三は二撃目を繰り出そうと刀を振り上げた。
 が、振り下ろした刀が鴨居に引っかかった。
「くそっ!」
 刀を手放せば丸腰。丸腰になるわけにはいかない。だが刀はきれいに鴨居に食い込み、取れない。
 その焦りが隙となって出た。
 芹沢はふらつく脚で刀を構えた。
「歳三!」
 すかさず後ろからさくらが飛び出し、臨戦態勢をとる。
 だが芹沢は体勢を崩し、背後に置いてあった文机につまずき、倒れ込んだ。
「きゃあああ!」
 悲鳴の主は、八木邸の内儀・松だ。息子の為三郎、勇之助を両手に抱き、腰を抜かしている。
「八木さん、こっちへ!」
 反対から回り込んでいた総司と、平間の部屋からやってきた山南と左之助が八木親子を安全な場所に非難させた。
 芹沢は、立ち上がろうとしたが、脚がもつれてバタバタとその場でもがくだけであった。
「はっ、俺の……負けだ。あの世で待ってるぜ」
「芹沢さん。感謝いたします」
 さくらは芹沢の胸に思い切り刀を突き立てた。

 はあ、はあ、と荒い息遣いで、さくらは芹沢を見つめた。
 顔は、汗と、返り血と、涙で、ぐちゃぐちゃになっていた。
「終わったな」
 ガッと音を立て、歳三はようやく鴨居に引っかかった刀を抜いた。
「歳三」さくらは芹沢を見つめたまま言った。
「壬生浪士組を、大きくする。日の本一の組にする。芹沢さんの死を、無駄にはさせぬ」
「壬生浪士組じゃねえ。新選組さ」
 さくらは振り返った。久しぶりに歳三の顔を見た気がした。
「しんせんぐみ……?」
 雷が鳴った。雨脚はさらに強まっていた。

***

 今回の事件に関わった八人以外は皆、芹沢暗殺は長州過激派の仕業によるものと思い込んでいた。
 あの日の雨が嘘のような晴天の下で、芹沢と平山の葬儀が行われた。
 梅の遺体は、いろいろと揉めた結果西陣の親戚の家に引き取られることとなったが、無縁仏として葬られたという話もあり、その成れの果ては詳らかではない。
 左之助が追った平間は、逃げ足だけは随一であったようだ。左之助の槍を肩に受けたが、同衾していた遊女・糸里と共に逃走したという。

「芹沢局長を失ったことは、我が隊にとって痛恨の極みである。我々は芹沢局長のご遺志を継ぎ、尽忠報国の志を遂げるべく益々をもって隊務にまい進する所存である」
 勇が、時々涙と鼻水をすする音を立てながら弔辞を読み上げた。
「おい。ありゃあ演技か?」左之助が勇の様子を見て誰にも聞こえないような小声でさくらに尋ねた。
「いや。恐らく本気だろう」
 さくらがそう答えると、左之助は「そっか」と呟いた。左之助とて心から勇の涙を演技だと思っているわけではないのだろう。
 壬生浪士組のこれからのために必要なことだったとはいえ、人として、一個人として、芹沢を失った悲しみがないわけではないのだから。
 それは、歳三も、総司も、山南も、源三郎も、斎藤も、同じであろうとさくらは思っていた。

 葬儀が終わると勇は「皆に話さなければならないことがある」と切り出した。
 本当はあの宴会の時に発表する予定だったが、と前置きした上で一枚の紙を掲げる。
 そこには、「新選組」と書かれていた。
「先月の出動で、我々の迅速な行動、そして芹沢局長の勇猛果敢さが評価され、賜った名前だ。本日をもって、壬生浪士組は『新選組』と名を改める」
 ぱらぱらと、「承知」という声が聞こえてきた。皆、まだ動揺から立ち直れず、新しい名前どころではないとでも言わんばかりだ。
 さくらは勇の掲げる紙と、二つの棺から目を逸らさなかった。
 目を閉じれば、今わの際の芹沢の顔が思い浮かぶ。
 ――芹沢さんは、最後まで芹沢さんの志を、信念を貫いたのだ。ならば私も、己の信じた道を行こう。

 壬生浪士組の歩みは、ここまで。
 明日から、新選組として、さくら達は新たな道を歩き出す。


 






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