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恩返し④
しおりを挟むわいわい、がやがや、と各々楽しく酒を飲んでいるうちにすっかり夜も更けた。
芹沢は顔を赤くして上座に鎮座している。
さくらは、白湯を持って芹沢の前に歩み寄った。
「芹沢さん、飲み過ぎですよ。これで少し酔いを冷ましてください」
「別に、冷ます必要はねえ」
「そういうわけには」
「今日は無礼講だといっただろう。いいんだ」
芹沢は、さくらに鋭い視線を投げかけた。だがそれはほんの一瞬で、酔いつぶれた人間が放つものとは到底思えなかったから、さくらは見間違いかと思った。
その時、頭上から歳三の声が降ってきた。
「芹沢さん、それ以上飲んではお体に障ります。駕籠を呼びますから、屯所に帰りましょう。平山さん、平間さんも一緒に」
歳三は芹沢の隣に座っていた二人に声をかけた。
「なんだあ、俺はまだ飲み足りないぞ」平山はそう言うものの、すでに呂律は回っていない。
「では、屯所で飲み直してはいかがでしょう。このすし詰めの中で飲むより、美味いでしょうよ」
「おお、それもいいな。そしたら、吉栄も連れていこう。平間さん、あんたも糸里連れてったらいい」
「うん、そうだな、そうしよう」
「では、そちらも手配しましょう。斎藤くん、頼む」
いつの間にか来ていた斎藤はこくりと頷いた。
吉栄と糸里というのは、それぞれ平山、平間が贔屓にしている遊女である。
江戸・吉原の遊女は吉原の外に出ることは固く禁じられていたが、島原の遊女は多少の外泊は許されていた。さくらは、「これは面倒なことになったのではないか」と思った。歳三も斎藤も、同じことを思っているのか、少しばかり動揺の色が浮かんでいる。
もう一人の標的・野口は、離れたところで平助と談笑していた。歳三はわざわざ声をかけに行くのも不自然と思ったのか、平助に感づかれるのを恐れたのか、芹沢、平山、平間の三人だけを立たせて、部屋の外へと連れ出した。
歳三は一瞬だけさくらを振り返ると、冷たい、射るような眼差しを向けた。芹沢に白湯を飲ませて酔いを冷まそうとしたことへの怒りなのかもしれない。
さくらは、睨み返した。
――私も、行くぞ。
外泊が解禁されていたから、馴染みの女のもとに行ったり、京都に実家のある者は里帰りをしたりと、隊士らは三々五々角屋を去っていた。残っているのは、半分程度。
その頃合いに、いかにも「厠へ」「酔い冷ましの散歩」といった感じですっと立ち上がった面々がいた。
総司、山南、左之助の三人である。
――山南さんも、か。
さくらは一人ふっと息をつくと、立ち上がった。
部屋を出る時、勇の前を通りかかった。源三郎と、談笑している。否、作戦会議なのか。
さくらは二人の前に片膝をついた。
「勇、源兄ぃ、私も行くぞ」
二人は、一瞬ぽかんと口を開けていたが、やがて意味を理解したらしく、慌てて、だが誰にも聞かれないように小声で、「お前まで行くことはない」「ここにいなさい」と忠告した。
「私が、行かねばならぬのだ」
さくらはそれだけ言って、その場を去った。
「サク……!」
止めようとする勇の声は、宴の喧騒にかき消された。
****
夕方に空を覆っていた雲は、雨となって京の町に降り注いでいた。
さくらは、前川邸と八木邸の間の道に立っていた。
背後から、足音。
「さくら……?」
「姉先生……」
振り返ると、そこにいたのは歳三、総司、山南、左之助、斎藤の五人。
皆、襷で袂を縛り、袴は稽古用の丈が短いものに履き替えている。さらに、ほっかむり。額には鉢金。
いかにも、これから暗殺をします、というような恰好だ。
「なるほど、そういう人選か。手堅いな」
「さくらさん、なぜ……?」山南があんぐりと口を開けていた。
「私も行く。これは、私の役目だ」
さくらは、ふわりと微笑んだ。
男たちは、ごくりと唾を飲みこんだ。
「何言ってんだ。ここは俺たちに任せて、島原に戻れよ」左之助が声を荒げた。
「左之助、ここで押し問答している時間はねえ」歳三が制した。
歳三は、さくらの目をまっすぐに見た。
「後悔はねえな」
「ああ。武士に二言はない」
「よし。斎藤、お前外れろ。島原に戻れ」
「しかし、副長……」
「こっちの人数が増えれば、その分同志討ちの危険が大きくなる。頼めるな」
斎藤は「承知」と短く言った。被っていた手ぬぐいと鉢金を外し、さくらに差し出した。
「島崎さん、そのまま行くつもりだったのですか」
「はは、考えてなかった」
「無茶はしないでください」
もちろんだ、と言いながらさくらは斎藤から渡された手ぬぐいと鉢金を受け取り、身に着けた。
「では、ご武運を」
斎藤はそう言い残すと、島原方面に向かって走り去った。
雨脚が強くなった。あっと言う間に、ずぶ濡れになってしまいそうだ。
「行きましょう」山南が声をかけた。さくら達は頷き、八木邸の敷地内に入っていった。
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