浅葱色の桜

初音

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恩返し②

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 さくらは、状況を理解した。
「そうか。私は、蚊帳の外。そういうわけだな。芹沢さんは私の恩人。新八は同門。平助は……おおかた目くらましといったところか」
 歳三が、ふんっと鼻を鳴らした。
「そこまでわかってんなら話は早え。サク、この話は聞かなかったことにしろ。胸三寸に収めておけ」
「なぜだ。なぜ田中さんを殺した。なぜ芹沢さんを斬る必要がある。これでは、芹沢さんが佐伯を殺した時と一緒だ。ただの仲間殺しじゃないか」
「さくらさん」山南が落ち着いた口調で言った。
「上様の命なのです。芹沢さんを、なんとかしろ、と」
「いいかさくら、これは殿内を殺った時と一緒だ。生かしておけば、浪士組のためにならない。だから、斬る」畳みかけるように歳三が言った。
 これでいいのだ。正しいのだ。こうするしかないのだ。
 さくら以外の全員が、そういう目をしていた。
「私が、芹沢さんにこのことをばらして、逃がしたらどうする」
 居心地の悪い間が空く。最初に口を開いたのは、勇だった。
「さくら。その時は、お前には壬生浪士組を離れてもらうことになる。最悪、お前のことも斬らねばならなくなる。そのくらい、おれ達は心を鬼にして今回のことを計画してるんだ。さくらには悪いが、お前がなんと言おうとこの計画を止めるわけにはいかない」
 他でもない、大将たる勇がそう発言することの重みを、さくらは無視できなかった。
「わかった」
 さくらは、それだけ言って部屋を出た。

 勇たちの言い分もわかる。 
 芹沢が方々に迷惑をかけ、壬生浪士組の評判を落とし、活動をやりにくくさせているのも、これからそれがより過激になる可能性があることも、わかる。
 何より、容保の命令とあれば、従うしかないのだ。
 主君の指示は絶対。武士として働くためには、避けることはできない。
 それでも、さくらはこの計画を阻止できないものかと、考えていた。
 あまり時間はない。
 悩んでいるうちに、夜を迎えた。
 この折に芹沢から飲みに誘われているのは、好機か否か。
 さくらは、島原に向かった。

 芹沢と落ち合うと、二人はとある揚屋の一室に入った。揚屋といえば芸妓が酌をしてくれるのが常だが、今日はそういう女は呼んでいない。個室に、二人きりだ。
「なんだ、俺を警戒しているのか」
 芹沢は、さくらが自身の左側に置いている大刀を見て言った。
「警戒していないと言えば嘘になります。お忘れかもしれませんが、芹沢さんは一度私を手籠めにしようとしましたから」
 さくらはそう言って、鞘に触れた。いつでも抜ける位置に、あえて置いてあるのだ。
 だが、芹沢はくっくっと笑った。
「お前みたいに女だか男だかわかんねえやつに手出す程俺は落ちぶれちゃいねえよ」
 どの面下げて、と喉まで出かかったが、さくらはぐっと飲みこんだ。確かに、あの後梅が八木邸に出入りするようになり、芹沢の女癖の悪さは少しだけ、収まっていた。本当に、少しだけ。
 膳と酒が運び込まれてきた。
 さくらは酔い過ぎぬよう、ちびちびと口をつける。
 芹沢は、話したかったことであろうことを単刀直入に切り出した。
「田中……新見を殺したのは、土方たちだろう。背後には間違いなく近藤がいる。お前、本当に知らなかったのか?」
 さくらは、「知らなかった」と首を振った。
「次は、俺だ」
「そんなこと……」さくらは否定してみせたが、説得力はない。
「まあ、近藤たちもお前のことは巻き込めねえだろうな。俺はお前の命の恩人だ」
 芹沢は不敵な笑みを漏らすとくいっと杯を傾けた。
「にしても驚いたぜ……昔助けたガキが、女だってのに剣術の腕を身に着けて、浪士組の一員として俺の前に現れたんだ」
「それはそうでしょうね……」
「俺はな、水戸にいた時訳あって牢に入れられた。新見も一緒だった。せっかく拾った命、面白おかしく使ってやろうと思って浪士組に参加したし、こっちに残った。こんな形で再会したのも何かの縁だ。お前と、ひと暴れしてみてえって気もあった」
 いつになく、芹沢は饒舌だ。さくらは内心驚きながらも黙って続く言葉を待った。
「俺は俺のやりたいようにやってきたつもりだが、潮時のようだ」
「ど、どうしてそんな、落ち着いていられるんですか……!」
 さくらは声を荒げた。芹沢は可笑しそうに笑った。
「遅かれ早かれ、壬生浪士組に俺の居場所はなくなる」
「何を言ってるんですか。芹沢さんは、壬生浪士組の局長ですよ」
「その局長を差し置いて、この前黒谷に呼ばれたのは土方と山南だって話じゃねえか」
 それに関しては、何も言えなかった。何せ、事実である。さくらは話を逸らした。
「私は……私は、芹沢さんに死んで欲しいなんて思っていません。これからも、壬生浪士組のために一緒に戦ってもらえれば……」
「島崎。それは本心か?俺のせいで、お前はいろいろと余計な苦労や尻拭いをしているだろう。だのに、そんなことが言えるのか?」
「確かに、いろいろありました。ですが、芹沢さんがいなければ今の私はありません。この半年間で芹沢さんから得たものだけじゃない。遡れば、十八年前のあの時に助けていただかなければ、母と一緒に斬られてあの世行き。命の恩人に、死んで欲しいはずがありません。私はまだ芹沢さんに恩返しもできていません」
「そうか。そりゃあ随分恩を売っちまったな」
 芹沢は空の杯をさくらに向けた。「酌をしろ」という意味だと思い、さくらは芹沢の目の前に移動すると、徳利を手に取り酒を注いだ。
 近づいたせいか、酒のにおいが鼻をつく。だが、芹沢は正気を保っているようだった。
「なあ、島崎。お前が俺を斬れ。お前への貸しは、それで手打ちだ」
 芹沢は、ぽんと片手をさくらの頭に載せた。頭皮がむき出しになった月代の頭は、ぺちっと音を立てた。
 さくらは、目を丸くして芹沢を見た。芹沢は、疲れたような、それでいて憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。
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