浅葱色の桜

初音

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初陣①

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 大和屋が市井の人々に迷惑をかけたのは間違いない。壬生浪士組が、それを取り締まるのは至極まっとうなことである。
 だが、やり方が悪かった。
 この件について話がある、と勇、山南、歳三が呼ばれたのは、火災から半月後のことであった。
 半月空いたのには訳があった。
 火災の翌日、八月十三日。会津藩は大和屋での一件にかまけている場合ではなかった。
 長州藩の動きが、いよいよきな臭くなってきていた。自藩に同情的な公卿を味方につけ本格的に攘夷を押し進めようとしている。さらにその最終手段として、帝に直接指揮を執ってもらい、外国勢力を追い払わんと企てていたのだ。
 だが、時の帝・孝明帝こうめいていは外国との戦は避けたい考えだった。あくまで、ここまで幕府が結んできた外国との不平等条約を破棄し、鎖港を行うことによる穏便な攘夷を望んでいた(それが穏便かどうかはさておき、だが)。
 事態は、拡大していく長州の過激な尊攘派、そして長州派の公家を駆逐せねばなるまい、というところまで来ていた。


 八月十七日夜半。
 前川邸の面々は、夜巡察に出た者以外はほとんど皆床につくところだった。
 そこへ、ドタドタと足音が聞こえてきた。
「近藤!近藤いるか!」
 芹沢の声だった。
 さくらは自室の障子をガラリと開け、欠伸をかみ殺した顔で隙間から顔を覗かせた。
 芹沢と平山が立っていた。いつものごとく酒は入っていたようだが、その目ははっきりと意思を持っている目であった。
「お前じゃない、近藤勇の方だ」
「そんなことはわかっていますよ。近藤局長なら夜巡察です。土方副長も」 
 さくらは言いながら、障子の端をしっかりと握った。また手籠め未遂、なんてことになれば面倒だ。庭を挟んだ斜向かいにある部屋をちらと見やれば、明かりがついている。総司と平助はまだ起きているようだ。いざとなったら加勢してもらおう。さくらは警戒心を剥き出しにして芹沢を見た。
「なんだその目は。まあさくらの方でもいい。全員に伝えろ。出陣の用意だ」
「出陣の用意?」
 やはり酔っているのか。出陣といっても大方島原にでも繰り出すことを指しているのだろうと思い、さくらはまともに取り合おうとしなかった。が、芹沢はしゃがみこんで床に立て膝をつくと、さくらに目線を合わせ、ニヤリと笑った。
「さっき、会津から使いが来た。御所の警備だ。長州の連中をいよいよ追っ払うんだとよ」
「ほ、本当ですか?」
 聞けば、軍備を整え指示を待て、ということであった。
 さくらは眠そうな顔をパッと輝かせた。
 会津に頼まれて大坂に行った時は、どちらかといえば面倒事を押し付けられたような性格が強かったが、御所の警備ともなれば「加勢して欲しい」と頼られたのだと考えて差し支えないだろう。
 慌てて部屋を出ると、仲間たちを起こして回っていく。
「総司!平助!山南さん!源兄ぃも!みんな起きろ!出陣だー!」
 夜更けにこだまするさくらの弾んだ声に、皆何事かと部屋から出てきた。
「起きろって、今何時だと思っているんだ。もう寝ようとしていたところだぞ」源三郎が呆れたように言った。
「これが寝ていられるか!ついに長州のやつらに一泡吹かせる絶好の機が巡ってきたのだぞ!」
「どういうことですか?」総司が驚きにぽかんと口を開けた。
 状況が飲み込めていない、と言わんばかりの総司たちにさくらは得意気に説明した。
「そういうわけだ。今すぐ全員を起こして出陣の準備!源兄ぃ、山南さん、とりあえずよろしくお願いします!私は勇と歳三を呼び戻してきますから!」
「あっ、私も行きますよ!」
 勇たちはどちらにせよ間もなく戻るのでは、などと源三郎らに言わせる隙もないままに、さくらと総司は屯所を飛び出した。
 風圧で提灯の火が消えない限界の速さで走る。いつもの巡察路を逆走すれば、勇たちに会えるはずだ。
 一刻も早く、二人に伝えたかった。
 ご公儀のお役に立てるのだと。
 会津候が、お殿様が自分たちの作った壬生浪士組を頼ってくれたのだと。
 武士になれるのだと。
「いた!いさ…近藤局長!土方副長!」
 向こうの角から勇、歳三を筆頭に隊列を組んだ浅葱羽織の一団が歩いてきていた。
「どうした島崎、こんなところまで出てきて」勇がキョトンとした顔で言った。
「会津から、我々に、出陣の命が下った。御所の警備だ。軍備を整えて待てと」
 提灯に照らされた勇の表情が、一瞬で変わった。
「本当か?」
「ああ。だからすぐに屯所に戻って……」
「言われなくてももう帰り道だ」
 後ろに立っていた歳三がふんと鼻を鳴らした。が、口調とは裏腹に歳三もこの知らせを喜んでいるに違いないと、さくらは確信していた。

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