浅葱色の桜

初音

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大坂力士乱闘事件④

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 内山が部屋を出ていき、ぱたんと襖が閉まると、さくらはすぐに「まずいぞ、勇」とつぶやいた。勇は「うむ」とわずかに頷き同意した。
 隣の部屋といっても、襖一枚隔てられているだけだったので、内山と、小野川と名乗った男の会話は容易に漏れ聞こえた。
「与力様。私は小野川部屋親方、小野川秀五郎と申します。うちの力士が、熊川熊次郎と言うんですが、ミブなんとかいう浪士に斬られましてん!」
「それは穏やかではないな。落ち着いて詳しく話してみよ」
 内山は、あえて今隣の部屋に「ミブなんとかいう浪士」がいるとは言わずに言い分を聞くということを選んだ。さくら達は針の筵に座るような気持ちで小野川の言葉を待った。
「ミブ、壬生浪士組、と名乗る浪人どもが、うちの藤吉という力士に殴り掛かったんです。それで、仇を討とうと徒党を組んで立ち向かいにいったら、こっぴどく返り討ちにあったいう顛末で……先に藤吉を叩いたのはあっちや。それに、こっちの得物《えもの》は棒。それなんに真剣で斬り捨てるなんて……」
 この話を聞けば、誰もが力士側に同情するだろう。だが、内山の着眼点は違った。
「なぜ、その藤吉とやらに斬りかかったのであろうな。壬生浪士組は」
 小野川はうっと声を詰まらせた。
 さくらは、最初に事の顛末を聞いた時に山南が言っていたことを思い出していた。
『身分から言えば、あの場で道を譲るべきだったのは確かに向こうでした。先に橋を渡り始めたのは我々でしたし。だが、向こうももし大名お抱えの力士だとしたら、いくら会津藩お預かりとはいえ、こちらの身分が霞む』
 そう、相手の身分によっては、風向きは一気に悪くなる。浪人も、力士も、ピンからキリまであるのだから。
 小野川はぽつ、ぽつと真実を話し始めた。つまり、発端は力士側が道を譲らなかったからだということだ。
「なぜ譲らなかった」
「そやかて与力様、相手は壬生浪士組なんて聞いたこともない浪人風情。会津?の預かりやなんや言うてましたけど、そんなもん口から出まかせやさかい」
「だ、そうだが。近藤殿」
 えっ、とまさかこの段になって話の矛先がこちらに振られるとは思っていなかったさくら達は面食らったが、勇は意を決したようにふう、と呼吸を整えると、つかつかと襖に近寄った。がらりと開け、小野川と思しき恰幅の良い男に向き直ると、勇は深々と頭を下げた。
「申し遅れましてあいすみませぬ。私は会津藩お預かり壬生浪士組局長、近藤勇と申します。私が居合わせたとあっては思いの丈をお話になれないであろうという内山様のご配慮もあり、隣室で黙ってお話を伺っておりました」
 小野川は言葉を失い、口をぱくぱくさせながら勇を見つめた。
「そ、そんなら、本物……?」
 内山はこくりと頷き、小野川にとうとうと話し始めた。
「いかにも。巡業で大坂や京を離れることも多い小野川さんたちは知らなんだでしょうが、この方々は京都守護職会津侯の下で働くれっきとした治安維持部隊、壬生浪士組の皆さんです。近藤殿の後ろに控えるは、副長の山南殿、副長助勤の島崎殿、沖田殿でございますぞ」
 これを聞いた小野川の顔は青ざめ、畳にこすりつけんばかりに深く頭を下げた。
「こ、これは、手前どもが飛んだご無礼を……!無礼打ちにされても仕方のないことでございます」
「頭をお上げください。我々とて非がないわけではない。熊次郎さんのことは残念、そして申し訳ないことをしました」
 勇も頭を下げた。
 会津の預かりになったことで身分としては今や士分の末端にある勇が、相撲部屋の親方に頭を下げるなど、本来なら異例中の異例の事態といえる。だが、勇はまだ、壬生浪士組として大して手柄も上げていないからと「私は武士だから云々」などと威張るようなことはしなかった。
「そ、そちらこそ頭を上げてくだせえ。怪我をした他の者らもじき回復しますよって」
 申し訳ない、いやいやこちらこそ、のやりとりが二往復したところで内山が間に入った。
「どうだ。この件は、双方和解。どちらともお咎めなし、ということで如何か」
 死傷者を出してはいたが、これ以上の揉め事で傷口に塩を塗られるのは御免だと考えていた両者は、この提案に二つ返事で同意した。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 勇と小野川は内山に礼を言い、この事件は解決を見た。

 こうした勇たちの尽力によって、今回の一件が直接会津藩の顔に泥を塗ることは免れたが、事実は事実として会津藩に伝えられた。
「うむ……芹沢か……」
 容保は、頭を抱えた。
 浪士組としては和解しているのだから、会津藩がさらに事をかき乱す必要はないという結論は出ていた。が、どうにも嫌な予感がした。その予感のまま、先手を打つよう指示を下そうかとも思ったが、現段階では「様子を見よう」と思いとどまった。

 一方で、まさに雨降って地固まる。壬生浪士組と小野川部屋はそれ以来、協賛して相撲興行を打とうという計画をする程に親密な関係を築いたのだった。
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