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大坂力士乱闘事件②
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無事に住吉楼という揚屋に到着した芹沢たちは、例によって二階の大部屋で芸妓の酌を受けながら酒を飲みふけった。
「斎藤さん、もう大丈夫なんですか?」芹沢らの様子を眺めながら、総司は斎藤に声をかけた。もとはといえば、船酔いした斎藤のために皆で上陸しこの住吉楼に上がってきたのだった。
「ええ。ご心配おかけしました」
「でも、お酒はやめといた方がいいですよ?また気分が悪くなるかもしれないし」
「もう平気です。どちらにせよ酒を飲んでいる場合ではないようですが」
斎藤はそう言うと、窓の外をくいっと顎で指した。総司もハッとして、窓際に駆け寄った。
外を見ると、先ほど橋の上で出会った力士たちが――人数は昼間の数倍であったが――八角棒を手にこちらを睨んでいた。
「あらら、よくここがわかりましたねえ」総司は動じる様子もなく、呑気な調子で言った。
「降りてこいや、壬生なんとかか知らんが、たかだか浪人風情にやられた藤吉の無念、晴らしてくれる!」
「お前らのせいで、藤吉は今度の興行に出られねえんだ!」
力士らは口々に叫んだ。藤吉とは先ほど芹沢に鉄扇で叩かれた力士のことであろう。鉄扇の当たり所が悪く、”今度の興行”の欠場を余儀なくされてしまったらしい。
なんだなんだ、と新八も近づいてきて窓の外を見た。
「相当殺気立ってるぞ。まずいんじゃないのか」
「ふん、あれくらいで怪我とは、大した力士じゃねえな」
総司と新八が振り返ると、ゆらりと芹沢が立ち上がっていた。
芹沢はそのままゆったりとした足取りで階段の方に向かっていった。平山と野口は「よっしゃ、いっちょ行きますかあ」と陽気に言いながら後を追っていった。
新八は再び窓の外に目をやると、「まあ、こういうのは受けて立つのが男ってやつだな」と言って立ち上がった。
「俺も行く」斎藤も続いた。
残された山南、総司、島田は一瞬黙り込んだが、すぐに山南が冷静な意見を述べた。
「確かに、このままだと彼らは店の中に押しかけてくる。店にも迷惑だ。島田君、万が一のために近藤先生たちに知らせてきてくれませんか。もう京屋さんに着いている頃でしょう。沖田君は、私と一緒に川原の方面に逃げるふりをして、なるべく店から彼らを引き離そう」
「さすが、山南さん。優しい」総司はいたずらっぽく微笑むと、窓から飛び降りた。山南も続いた。
「あれ、山南さん、一番乗りですよ」
「ならばちょうどいい。あちらへ」
揚屋のしきたりで、刀は玄関先で預けることになっている。その刀を回収するのに時間がかかっているのであろう、芹沢らはまだ往来に出ていなかった。
丸腰の山南と総司は、川原の方に向かって走り出した。
「なんや、あいつら逃げよったぞ!」
「追え!」
意外にもすばしっこい力士たちはあっという間に二人に追いついた。にやりと笑う顔が提灯に照らされる。
「丸腰の私たちをその棒で叩きのめそうっていうんですか。ひどい話ですね」総司が挑発すると、「何を!」と力士が向かってきた。
総司はさっとしゃがみ込むと、力士の腕に頭突きを食らわせ、八角棒を奪った。
「沖田くん、大丈夫か」山南が声をかけた。彼もまた、すでに八角棒を奪っていた。
「もちろん。試衛館の木刀の方が重いですし」
「言い得て妙だな」
多勢に無勢だったが、すでに住吉楼からは離れて広い場所に出ていたから、二人はぶんっと八角棒を振り回した。
普段の稽古と違うのは、相手が分厚い肉布団を身にまとった力士であることだった。通常の打撃も、突きも、あまり効いていない。
形勢は不利になっていた。山南と総司は今、七、八人はいようかという力士に囲まれている。
「鉄扇一本で大けがさせた芹沢さんってやっぱりすごいや」総司は少し息を上げながらも、そんなことを呟いた。
「沖田君、そっちの四人を頼むよ」
「山南さんこそ、そっち、お願いしますよ」
襲い掛かってくる二人の力士を、総司は八角棒で薙ぎ払った。しかし、想像以上に素早い動きで力士に間合いに入られ、肩に一撃を食らった。
「沖田君!」
「はは、私もまだまだですね。真剣なら死んでいました」
一瞬にしてその眼差しは鋭くなり、総司は棒を平晴眼に構えた。得意の突き技が複数人相手には向いていないのは十分承知していた。が、それを繰り出そうと力を込める。複数同時よりも、一人一人確実に仕留めることに方針を転換したのだ。
その時であった。
「総司!山南さん!」
力士たちに視界を塞がれ見えなかったが、新八の声であった。次の瞬間、総司の目の前にいた力士らが二人、「ぐっ」とうめき声を上げて倒れた。肩から血を流している。
「まったく、無茶をする」新八は右手に抜き身の刀を持ち、左手には総司の刀を持っていた。斎藤も同じく、片手で自分の刀、もう片方の手で山南の刀を持っている。
二人はそれぞれの刀を持ち主に手渡した。
「ありがとうございます、永倉さん」
「斎藤君、芹沢さんたちは」
山南の問いに、斎藤は自らの背後を指し「あちらにも十人程。芹沢さんたちが応戦しています」と答えた。
壬生浪士組側が全員武器を得て場に揃ったところで、形勢は一気に逆転した。
「斎藤さん、もう大丈夫なんですか?」芹沢らの様子を眺めながら、総司は斎藤に声をかけた。もとはといえば、船酔いした斎藤のために皆で上陸しこの住吉楼に上がってきたのだった。
「ええ。ご心配おかけしました」
「でも、お酒はやめといた方がいいですよ?また気分が悪くなるかもしれないし」
「もう平気です。どちらにせよ酒を飲んでいる場合ではないようですが」
斎藤はそう言うと、窓の外をくいっと顎で指した。総司もハッとして、窓際に駆け寄った。
外を見ると、先ほど橋の上で出会った力士たちが――人数は昼間の数倍であったが――八角棒を手にこちらを睨んでいた。
「あらら、よくここがわかりましたねえ」総司は動じる様子もなく、呑気な調子で言った。
「降りてこいや、壬生なんとかか知らんが、たかだか浪人風情にやられた藤吉の無念、晴らしてくれる!」
「お前らのせいで、藤吉は今度の興行に出られねえんだ!」
力士らは口々に叫んだ。藤吉とは先ほど芹沢に鉄扇で叩かれた力士のことであろう。鉄扇の当たり所が悪く、”今度の興行”の欠場を余儀なくされてしまったらしい。
なんだなんだ、と新八も近づいてきて窓の外を見た。
「相当殺気立ってるぞ。まずいんじゃないのか」
「ふん、あれくらいで怪我とは、大した力士じゃねえな」
総司と新八が振り返ると、ゆらりと芹沢が立ち上がっていた。
芹沢はそのままゆったりとした足取りで階段の方に向かっていった。平山と野口は「よっしゃ、いっちょ行きますかあ」と陽気に言いながら後を追っていった。
新八は再び窓の外に目をやると、「まあ、こういうのは受けて立つのが男ってやつだな」と言って立ち上がった。
「俺も行く」斎藤も続いた。
残された山南、総司、島田は一瞬黙り込んだが、すぐに山南が冷静な意見を述べた。
「確かに、このままだと彼らは店の中に押しかけてくる。店にも迷惑だ。島田君、万が一のために近藤先生たちに知らせてきてくれませんか。もう京屋さんに着いている頃でしょう。沖田君は、私と一緒に川原の方面に逃げるふりをして、なるべく店から彼らを引き離そう」
「さすが、山南さん。優しい」総司はいたずらっぽく微笑むと、窓から飛び降りた。山南も続いた。
「あれ、山南さん、一番乗りですよ」
「ならばちょうどいい。あちらへ」
揚屋のしきたりで、刀は玄関先で預けることになっている。その刀を回収するのに時間がかかっているのであろう、芹沢らはまだ往来に出ていなかった。
丸腰の山南と総司は、川原の方に向かって走り出した。
「なんや、あいつら逃げよったぞ!」
「追え!」
意外にもすばしっこい力士たちはあっという間に二人に追いついた。にやりと笑う顔が提灯に照らされる。
「丸腰の私たちをその棒で叩きのめそうっていうんですか。ひどい話ですね」総司が挑発すると、「何を!」と力士が向かってきた。
総司はさっとしゃがみ込むと、力士の腕に頭突きを食らわせ、八角棒を奪った。
「沖田くん、大丈夫か」山南が声をかけた。彼もまた、すでに八角棒を奪っていた。
「もちろん。試衛館の木刀の方が重いですし」
「言い得て妙だな」
多勢に無勢だったが、すでに住吉楼からは離れて広い場所に出ていたから、二人はぶんっと八角棒を振り回した。
普段の稽古と違うのは、相手が分厚い肉布団を身にまとった力士であることだった。通常の打撃も、突きも、あまり効いていない。
形勢は不利になっていた。山南と総司は今、七、八人はいようかという力士に囲まれている。
「鉄扇一本で大けがさせた芹沢さんってやっぱりすごいや」総司は少し息を上げながらも、そんなことを呟いた。
「沖田君、そっちの四人を頼むよ」
「山南さんこそ、そっち、お願いしますよ」
襲い掛かってくる二人の力士を、総司は八角棒で薙ぎ払った。しかし、想像以上に素早い動きで力士に間合いに入られ、肩に一撃を食らった。
「沖田君!」
「はは、私もまだまだですね。真剣なら死んでいました」
一瞬にしてその眼差しは鋭くなり、総司は棒を平晴眼に構えた。得意の突き技が複数人相手には向いていないのは十分承知していた。が、それを繰り出そうと力を込める。複数同時よりも、一人一人確実に仕留めることに方針を転換したのだ。
その時であった。
「総司!山南さん!」
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「まったく、無茶をする」新八は右手に抜き身の刀を持ち、左手には総司の刀を持っていた。斎藤も同じく、片手で自分の刀、もう片方の手で山南の刀を持っている。
二人はそれぞれの刀を持ち主に手渡した。
「ありがとうございます、永倉さん」
「斎藤君、芹沢さんたちは」
山南の問いに、斎藤は自らの背後を指し「あちらにも十人程。芹沢さんたちが応戦しています」と答えた。
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