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壬生浪士組捕物帖④
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一方、少し時間を遡る。
さくらに同行を断られた歳三は、先ほど芹沢に絡まれていた芸妓を捕まえて、「今夜、あんたを買わせてもらう」と耳打ちした。
歳三の切れ長の目尻と、唇の薄い口角がきゅっと上がると、たいていの女は顔を赤らめつつ、「へえ。構しまへんえ」と同意を示す。この女も、例外ではなかった。
「おっと、買うのは俺じゃねえ。さっき出てった島崎ってのがいただろう。あいつに添ってやってくれ」
女は明らかに不服そうな顔をした。さくら、もとい島崎朔太郎は好みではないらしい。
「安心しろ。あいつは女相手に無体なことはしない。ただ布団を並べて寝るだけだ」
「そないな殿方がおるんですか…?」
「まあ、厳密に言えば殿方じゃねえけどな」
意味がわからない、というような芸妓をよそに、歳三は立ち上がった。
「どこ行かはるんですか?」
「野暮用だ。一時(二時間)のうちには戻る」
部屋を出ようとすると、通りすがりにいた山南に声をかけられた。
「島崎さんを、追いかけるのですか?」
「悪いか」
「いえ。私も、島崎さん一人で芹沢さんのお供に行かせるのは大変だろうと思っていました。一緒に行きましょう」
「俺一人で十分だ」
歳三は吐き捨てるように言うと、山南に有無を言わせる間もなく部屋を出て行った。
――芹沢の考えそうなことはだいたい想像がつく。酔っているから、なおさらだ。
さくらがそうやすやすと屈するとは思えねえが、あいつは芹沢に借りがある。そこにつけ込まれて、万が一のことが起こる懸念も捨て切れねえ。
間に合うか…?
間に合えば、救い出す。間に合わなきゃ、慰める。どっちにしたって俺がやる。サンナンさんに譲ってたまるか。
途中、駕篭かきとすれ違った。その軽やかな足取りから、中には誰も乗っていないと推測できた。歳三はちっと舌打ちすると、歩を早めた。
京屋に着き、主人の忠兵衛にさくらの居所を聞く。
「なんや、一人でぴゅーっと走っていきよりましたで」
指し示された方角を見て、歳三はその方向に向かった。
「さくら!」
声がした方をさくらが振り返ると、土手の上に歳三が立っていた。こちらへ駆け下りてくる歳三を、ただ見つめる。
「歳三……どうして?」
「大丈夫か」
「な、何が…」
珍しく率直に人を心配する「大丈夫か」などという言葉を歳三からかけられたことに、さくらは戸惑った。
「芹沢の考えそうなことだろ。そんなナリでも、お前は女だ」
さくらは黙りこくった。歳三は、知っている、とまでは行かずとも、察しているのだ。歳三の勘に「当たっている」と答えるべきか、迷った。体面や、気恥ずかしさ、そういうものが邪魔をする。
それでも、誰かに話して楽になりたい気持ちが沸き起こり、それが勝った。
「本当に、どうしてお前のそういう勘の鋭さときたら……」明言は避けつつも、さくらは歳三の勘を肯定した。それでも伝わっているのは、素直にありがたかった。
それにしても、同じ「女扱い」でも芹沢のそれと、歳三のそれではこんなにも違うものかと、さくらは驚いた。思わず、笑みがこぼれる。
そして、想定外の「味方の登場」に安堵したのか、さくらは涙腺が緩んでくるのを感じた。
あたりが暗いのをいいことに、いそいで背を向けて目を袖で拭うと、歳三に向き直った。
「だから俺はついてこうとしたんだ。二人きりにしたら何しでかすかわからねえからな」
「お前にそんな心配をされるようでは私もまだまだだな」
「わかってんじゃねえか。恩義があるんだか知らねえが、そこにつけ込まれるようなドジ踏んでんじゃねえ」
「な、そんな言い方…!」
声を荒げかけた時、さくらはハタと提灯に照らされた歳三の顔に目を留めた。
その表情は怒り、心配、悲しみ、そんなものが入り混じったようなものだった。
それはいつものような、勝ち気で、獲物を狙う鷹のような目をした、鋭い表情とはまるで違った。
歳三が本当に自分のことを心配して来てくれたのだと思うと、さくらは「お前の言うとおりだな」と小さく呟いた。
「俺があの場を抜けようとしたらよ、サンナンさんもついて来るなんて抜かしやがったが置いてきた」
「な、なぜ……!」
山南に、会いたかった。こんな時こそ、あの柔和な笑顔に癒やされたい、あの優しさに飛び込みたい。
だが、同時にもやもやとした感情もこみ上げてくる。
――芹沢さんに手籠めにされそうになったなんて、山南さんに知られたくない……
「来たのが、”俺だけ”でよかっただろ」
認めざるを得なかった。こういう時、歳三にはまったく敵わない。ひしひしとそう感じていたが、口にするのはどうしても悔しくて、さくらは「知ったような口を利くな」と憎まれ口を叩いた。
「だが、礼を言う」
「ふん、一つ貸しだな」
「ったく、私は借りばかりで割に合わぬ」
「とにかく、いいから戻るぞ。話は含めてあるからお前も女と寝ろ。その方がむしろ安全だ」
そう言って、歳三は歩き出した。
あまりの切り替えの早さにさくらは一瞬戸惑ったが、ハッとして後を追った。
「そんなこと言って、早く戻りたいのはお前だろう。馴染みの女たちが歳三さまをお待ちだからな」
「うるせえっ。普段規格外の女の相手ばっかりしてんだ。たまには普通の女の酒くらい飲むさ」
「おい、規格外とは私のことか!?」
「わかってんじゃねえか」
今のは聞き捨てならぬ!と言葉尻には怒りを滲ませていたが、事実、先ほどの一件で味わった嫌な気持ちがいくぶんは薄らいでいたのだから、さくらはくすりと顔を綻ばせて先を歩く歳三を追った。
三日月の優しい光が、二人を照らしていた。
さくらに同行を断られた歳三は、先ほど芹沢に絡まれていた芸妓を捕まえて、「今夜、あんたを買わせてもらう」と耳打ちした。
歳三の切れ長の目尻と、唇の薄い口角がきゅっと上がると、たいていの女は顔を赤らめつつ、「へえ。構しまへんえ」と同意を示す。この女も、例外ではなかった。
「おっと、買うのは俺じゃねえ。さっき出てった島崎ってのがいただろう。あいつに添ってやってくれ」
女は明らかに不服そうな顔をした。さくら、もとい島崎朔太郎は好みではないらしい。
「安心しろ。あいつは女相手に無体なことはしない。ただ布団を並べて寝るだけだ」
「そないな殿方がおるんですか…?」
「まあ、厳密に言えば殿方じゃねえけどな」
意味がわからない、というような芸妓をよそに、歳三は立ち上がった。
「どこ行かはるんですか?」
「野暮用だ。一時(二時間)のうちには戻る」
部屋を出ようとすると、通りすがりにいた山南に声をかけられた。
「島崎さんを、追いかけるのですか?」
「悪いか」
「いえ。私も、島崎さん一人で芹沢さんのお供に行かせるのは大変だろうと思っていました。一緒に行きましょう」
「俺一人で十分だ」
歳三は吐き捨てるように言うと、山南に有無を言わせる間もなく部屋を出て行った。
――芹沢の考えそうなことはだいたい想像がつく。酔っているから、なおさらだ。
さくらがそうやすやすと屈するとは思えねえが、あいつは芹沢に借りがある。そこにつけ込まれて、万が一のことが起こる懸念も捨て切れねえ。
間に合うか…?
間に合えば、救い出す。間に合わなきゃ、慰める。どっちにしたって俺がやる。サンナンさんに譲ってたまるか。
途中、駕篭かきとすれ違った。その軽やかな足取りから、中には誰も乗っていないと推測できた。歳三はちっと舌打ちすると、歩を早めた。
京屋に着き、主人の忠兵衛にさくらの居所を聞く。
「なんや、一人でぴゅーっと走っていきよりましたで」
指し示された方角を見て、歳三はその方向に向かった。
「さくら!」
声がした方をさくらが振り返ると、土手の上に歳三が立っていた。こちらへ駆け下りてくる歳三を、ただ見つめる。
「歳三……どうして?」
「大丈夫か」
「な、何が…」
珍しく率直に人を心配する「大丈夫か」などという言葉を歳三からかけられたことに、さくらは戸惑った。
「芹沢の考えそうなことだろ。そんなナリでも、お前は女だ」
さくらは黙りこくった。歳三は、知っている、とまでは行かずとも、察しているのだ。歳三の勘に「当たっている」と答えるべきか、迷った。体面や、気恥ずかしさ、そういうものが邪魔をする。
それでも、誰かに話して楽になりたい気持ちが沸き起こり、それが勝った。
「本当に、どうしてお前のそういう勘の鋭さときたら……」明言は避けつつも、さくらは歳三の勘を肯定した。それでも伝わっているのは、素直にありがたかった。
それにしても、同じ「女扱い」でも芹沢のそれと、歳三のそれではこんなにも違うものかと、さくらは驚いた。思わず、笑みがこぼれる。
そして、想定外の「味方の登場」に安堵したのか、さくらは涙腺が緩んでくるのを感じた。
あたりが暗いのをいいことに、いそいで背を向けて目を袖で拭うと、歳三に向き直った。
「だから俺はついてこうとしたんだ。二人きりにしたら何しでかすかわからねえからな」
「お前にそんな心配をされるようでは私もまだまだだな」
「わかってんじゃねえか。恩義があるんだか知らねえが、そこにつけ込まれるようなドジ踏んでんじゃねえ」
「な、そんな言い方…!」
声を荒げかけた時、さくらはハタと提灯に照らされた歳三の顔に目を留めた。
その表情は怒り、心配、悲しみ、そんなものが入り混じったようなものだった。
それはいつものような、勝ち気で、獲物を狙う鷹のような目をした、鋭い表情とはまるで違った。
歳三が本当に自分のことを心配して来てくれたのだと思うと、さくらは「お前の言うとおりだな」と小さく呟いた。
「俺があの場を抜けようとしたらよ、サンナンさんもついて来るなんて抜かしやがったが置いてきた」
「な、なぜ……!」
山南に、会いたかった。こんな時こそ、あの柔和な笑顔に癒やされたい、あの優しさに飛び込みたい。
だが、同時にもやもやとした感情もこみ上げてくる。
――芹沢さんに手籠めにされそうになったなんて、山南さんに知られたくない……
「来たのが、”俺だけ”でよかっただろ」
認めざるを得なかった。こういう時、歳三にはまったく敵わない。ひしひしとそう感じていたが、口にするのはどうしても悔しくて、さくらは「知ったような口を利くな」と憎まれ口を叩いた。
「だが、礼を言う」
「ふん、一つ貸しだな」
「ったく、私は借りばかりで割に合わぬ」
「とにかく、いいから戻るぞ。話は含めてあるからお前も女と寝ろ。その方がむしろ安全だ」
そう言って、歳三は歩き出した。
あまりの切り替えの早さにさくらは一瞬戸惑ったが、ハッとして後を追った。
「そんなこと言って、早く戻りたいのはお前だろう。馴染みの女たちが歳三さまをお待ちだからな」
「うるせえっ。普段規格外の女の相手ばっかりしてんだ。たまには普通の女の酒くらい飲むさ」
「おい、規格外とは私のことか!?」
「わかってんじゃねえか」
今のは聞き捨てならぬ!と言葉尻には怒りを滲ませていたが、事実、先ほどの一件で味わった嫌な気持ちがいくぶんは薄らいでいたのだから、さくらはくすりと顔を綻ばせて先を歩く歳三を追った。
三日月の優しい光が、二人を照らしていた。
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