浅葱色の桜

初音

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御前試合③

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 さすがに、勇は芹沢を睨み付けた。以前さくらが「芹沢さんは皆に私の正体をバラしては反応を楽しんでいるようなのだ」と言っていたことがあったが、まさか容保に対してもそんなことを言うとは思ってもみなかった。
「はっはっはっ。女子があの立派な月代を入れるか。それに、島崎の方が優勢に見えるぞ」
 事実、さくらと源三郎は鍔迫り合いにもつれ込んでいたが、さくらの振りかぶった竹刀をなんとか源三郎が受け止めた格好でそのようになっていたのだった。
「さくら、本当に強くなったな」
「ふふ、そうだろう」
 誰にも聞こえない程の小さな声で二人はそんな会話を交わした。源三郎はさくらの竹刀を振り払うと、一気に面を打とうとしたが、さくらは飛びのいてそれを避けた。一瞬で体制を立て直すと、平晴眼に構える。
「ヤッ!」
 さくらは一気に源三郎の喉元に竹刀を突きつけた。
 源三郎は応戦しようとしたが一歩遅かった。
「勝負あり!島崎殿!」
 審判がさくらの側に手を上げた。
 二人はすっと離れると、お辞儀をして「ありがとうございました」と言って退場した。
 トリを務めるのは総司と山南である。浪士組の中でも誰もが認める最強の二人だ。
 その二人の準備中、審判と共に検分役補佐を務めていた会津藩士・山本が容保たちのいる場所に馳せ参じた。
「近藤殿」
 勇は自分が声をかけられたことにひどく驚き、バッと振り返った。
「はい、私ですが」
 答えると、山本は勇の横にしゃがみ込み、小さな声で尋ねた。
「さくら、とは何のことでございますか」先ほど何気なく交された源三郎たちの会話を聞いてしまっていた山本はそう尋ねた。
 勇はもう顔面蒼白になってしまったが、そうだ、こういう時のためにさくらは「朔太郎」というのではないか、と思い直した。
「島崎"朔太郎"のことでしょう。皆江戸にいた頃はサク、と呼んでいましたから」勇は冷静に答えた。
「ほう。偶然ですな。私の母も佐久さくという名前でして。女子の名前と同じ呼び名とは、島崎殿は嫌がらなかったのですか」
 この場に歳三がいれば、と勇は思った。歳三ならああ言えばこう言うでこんな場を切り抜けられただろうに、と。
 勇はとっさにこう答えた。
「全く、偶然でございますね。ですが我々の周囲にはおサクさんという女子がいなかったものですから、そのような女子の名前があることも存じませんでした。故に島崎もあまり気に留めてはいなかった様子」
「なんだ山本、さてはあの者が女子だと疑っておるのか」話を聞いてしまっていた容保が割って入った。勇は内心「終わった」と思った。そして、絶対に余計な事を言わないよう、芹沢に目で合図した。さすがの芹沢も下諏訪宿の時とは違い今は素面で判断力もある。先ほどはスレスレな発言をしたものの、決定的なことを言いそうな様子はなかった。
「そのようなつもりでは」山本は少し慌てたように言った。
「ここであの者の身ぐるみを剥ぐわけにもいかぬからな。山本、お主の妹は確か、男勝りで鉄砲の心得もあるような女子だと申しておったな」
「はっ。お恥ずかしゅう話でございますが」
「勇ましい女子というのはどこにでも一人はいるものだな。面白い試合を見せてもらった故、あの者が男なのか、女なのか、考えるのはまたの機会にしよう」
「はあ…」
 その時、別の藩士が山本を呼びにきたので話はそれきりとなった。
 勇は「助かった…」と内心安堵し、先ほどよりは落ち着いた気持ちで最後の試合を眺めた。
 総司は、天才だとか最強だとか言われながらここまでやってきた。
 試衛館にいた頃、門人に稽古をつけてもできない者の気持ちがわからないから、自然その教え方は厳しいものになる。
 その総司と手合わせをしてそれなりの確率で勝てるのは、勇と山南だけであった。
 特に、山南が試衛館に初めてやってきた時に負けて以来、総司は対山南となると明らかにいつもより闘志を燃やした。
 故に弟の成長を見守るがごとく、この試合の行方を一番楽しみに見ていたのは、他ならぬさくら、勇、歳三、源三郎の天然理心流生え抜きの面々である。
 始まると、すぐに動いたのは山南だった。
 八相の構えから袈裟懸けに振り下ろす。総司はそれをさっと交すと間合いを取った。そして、突き技を繰り出すための平晴眼に構えた。先ほどさくらが勝利した時と同じ流れで総司の勝利が決まるかに見えた。
 だが、繰り出した総司の突きを目にもとまらぬ速さで横に払うと、山南も間合いを取った。
 総司は渾身の突き技がかわされたとあって戸惑いの表情を一瞬浮かべたが、すぐに体制を立て直し、山南に向き直った。
 その場にいる全員が固唾を飲んで様子を見守る中、総司と山南はほぼ同時に動いた。
 総司の仕掛けた技はやはり突き技、対する山南は定石を外した下段からの攻撃。
「そこまで!勝負あり!沖田殿!」審判の声が響いた。
 子供のようににんまりと微笑む総司を見て、さくらも思わず笑みを零した。やはり弟分の清々しく嬉しそうな顔を見るのは気持ちがよいものだ。一方で、山南の鮮やかな剣さばきに見惚れてもいた。
 容保が立ち上がったので、全員そちらを向いて跪き、こうべを垂れた。
「壬生浪士組の諸君、各々良い試合を見せてくれた。余は感激したぞ。これからもその腕を磨き、公方様のために共に良く働いてくれることを期待しておる」
 その言葉を聞きながら、さくらは顔に力を入れて零れ落ちそうになる嬉し涙を必死に堪えた。
 女の身で、浪人の身で、江戸の小さな道場からやってきた身で、一国の主からこのように声をかけてもらったのだ。
 武士になる。
 その夢に向かって、確かな一歩を踏み出したのだと、さくらは思った。



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