浅葱色の桜

初音

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謀略③

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 壬生村には、この土地に伝わる「壬生狂言」という伝統芸能がある。
 八木邸のすぐ隣にある壬生寺に舞台が設置され、七日に渡って披露される台詞の一切ない狂言だ。
 七百年の歴史を持つこの壬生狂言を取り仕切っていたのは、他でもない八木家の当主・源之丞げんのじょうである。
 さくら達の残留を快く思っていなかった八木夫妻であったが、少なくともこの源之丞だけは少しずつ心を開いてきていた。「会津の預かり」という箔がついたのも手伝っていたが、勇や山南、源三郎、総司といった試衛館派の中でも「第一印象の人当たりがいい者」が営業を行ったことも大きい。特に、総司は今まで周囲より年少だったが故に表に出ることのなかった新たな能力――子供を手なづける力――を発揮し、八木家の子供たちとすっかり仲良くなっていた。そうなると、八木夫妻も総司やその仲間を無碍に扱うこともできず、当初のような刺々しい態度も幾分和らいでいた。

 そうした中で、会津藩士との親睦を深めるために、壬生狂言に招待したいと勇が打診したことに対しても、源之丞は快諾した。
「お武家はんに見てもらえるなんて、初めてのことや。なんや緊張してまうわなあ」
 そう言いながらも、源之丞は嬉しそうに頭を掻いた。「八木」という苗字を名乗り帯刀も許されているが、武士というよりは半士半農の身分であったから、生粋の武士らに狂言を見てもらうのは光栄であったに違いない。

 かくして、着々と準備が進められ、当日を迎えた。
 壬生寺の境内にしつらえられた舞台の前にはすでに一般の見物客が集まっていた。
 広沢をはじめとした会津藩士たちも本堂の裏手から入り、殿内や家里の案内でいわゆる特等VIP席に着いた。
 殿内らにこの役目を譲った、というよりも与えたのは他でもない勇である。彼らに花を持たせ、会津藩士の前で良好な関係を見せておくことが大事だ、というのがさくら達の作戦であった。まさか、内部での殺し合いなどあるはずがない、と。
 もっとも、もう少し時が経てば事情も変わり「内部の殺し合い」も会津藩の知るところとなるわけだが、今はとにかくこれが最善という結論に至ったのである。
「いやはや、本日は誠にお日柄もよく、絶好の観劇日和ですな」
 はっはっは、と陽気に笑う殿内を後目しりめに、さくら達はやや後ろの座席を陣取った。勇と芹沢だけは広沢らに呼ばれ前の席に共に腰を下ろした。その時の、殿内の苦虫を噛み潰したような顔をさくらはしかと見た。
 やがて壬生狂言の演舞が始まると、さくら達は色々なしがらみも暗殺計画のことさえ忘れ舞台に見入った。江戸で歌舞伎を見たことはあったが、台詞のない壬生狂言は新鮮そのものに写り、ぜひまた見たいと心から源之丞に頼んだ程だ。

 狂言は昼の興行だったため、そのまま日の高いうちに会津藩士らとの宴席が設けられ、日の沈む頃にはお開きとなる運びになっていた。
 その宴席で、源三郎が殿内にこんな話をした。
「こうして会津の皆様をお呼びして一席設けられるなんて、ほんのひと月前には想像もしませんでしたね」にっこりと笑い、源三郎は杯に口をつけた。
「まあ、ひと月前はまさか清川がああして裏切り、大多数の者が江戸に帰るとは思っていませんでしたがね」殿内は朗らかに会話に応じた。源三郎に対しては幾分心を開いているようだ。それもそのはず、京に来るまでの道中で殿内がさくらに襲いかかった時、唯一その場にいなかった源三郎は、表面上は殿内とギクシャクとせずにいたのである。
「それもそうだ。これからは、会津の皆様のためにもしっかり働かなくてはいけませんね。仲間ももっと増やして、まずは浪士組を大きくしないと」
「そう、ですな」殿内の歯切れが悪くなった。
「実は、斎藤くんのいた道場の同門の仲間がこぞって入隊しようかという話が出ていましてね。もっとも、本格的な話をするのはこれからですが。それと、佐伯くんの知り合いが大津で道場をやっているらしく、そこからも何人か来ていただけそうなんですよ」
 これは、完全なハッタリである。
 近藤一派の息のかかった者がこれからどんどん入ってくる、と思わせるための作り話だ。
「その、大津の道場というのは」
 食いついた、と源三郎は内心安堵した。
「確か、宿場町を少し北に行ったところにある、玄天館という道場だとか」
「いつ来るのですか」
「詳しくはわかりませんが、明日明後日にも近藤先生と島崎、土方が出向いて話をつけにいくと言っていましたよ」
 ここまでで、源三郎による罠の設置は完了である。
 殿内は、斎藤のいた「吉田道場」か大津の「玄天館」なる架空の道場に出向き、浪士組に入った暁にはぜひ自分の手足となって欲しい、と頼みに行くはずだ。
 あとは、交代で彼の動きを見張るのみ。

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