浅葱色の桜

初音

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会津藩③

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「先日京に参りまして、今は壬生村に滞在しております、浪士組の近藤勇と申します」
「浪士組組頭の芹沢鴨だ」
 さりげなく自分だけ名乗る時に「組頭」をつけた芹沢に、歳三が小さく舌打ちをしたことには、誰も気づかなかった。
 面倒ごとが起きぬよう、芹沢が比較的酒を飲むことが少ない午前中を市中警邏の時間に選んだわけだが、素面しらふの芹沢は頭の回転が良く、それが裏目に出てしまった、と歳三は思った。
 すると、右端に立っていた男が、真ん中にいた男に何やら耳打ちをした。
 真ん中の男は合点がいった、という顔をすると少しだけ警戒を解いたような調子で言った。
「そうか。お前たちが、例の浪士組か。近々江戸へ戻ると聞いたが」
「ええ。ですが、我々は京に残り、上様の警護を続けていく所存です」
 勇があまりにきっぱりと言うので、男たちは驚きの色を見せた。
「失礼ですが、そちらは。我々のことをご存じなのですか?」勇が続けた。
「私は会津藩士、広沢富次郎。京都守護職・会津中将様にお仕えしている身である」
 これには、全員慌てて地面に跪いて頭を下げ、「これはこれは、そうとは知らず飛んだご無礼を」と芹沢が謝った。
「おやめなさい、このような往来でそんな真似をするものではない」広沢が促すと、一同は頭を上げた。
「浪士組か、覚えておくぞ」
 広沢はそれだけ言うと、踵を返して去っていってしまった。
「お咎めなし…ってことですかね?」平助が小さく言った。
「勝っちゃん、この好機を逃す手はねえ!行け!」歳三が勇の背中を押すと、勇はハッとしたように「そうだな!」と言って広沢を追いかけた。
「お待ちください!」
 振り向いた広沢の目を、勇はじっと見据えた。
「我ら浪士組を、会津藩のお預かりにしてはいただけないでしょうか。只今、幕臣の鵜殿鳩翁様づてで、会津侯松平容保様への嘆願書を提出する考えでおります」
「な、なんだと…?」
「嘆願書お受け取りの暁には、ぜひとも、前向きにご検討いただきたく、平によろしくお願い申し上げます!」
 そう言って折り目正しく頭を下げる勇に、広沢は戸惑いの色を隠さなかった。
「保証はできぬ。だが、話すだけは話してみよう」
 勇はその言葉を聞き、パッと顔を上げて満面の笑顔を見せ、「ありがとうございます!」と大きな声で礼を言った。

******

 京都御所の東に位置する金戒光明寺・通称黒谷。
 嘆願書に目を通すのは、会津藩主・松平容保である。
 その様子を、ずらりと並んだ会津藩士たちが見守っている。
「広沢。そちはこの浪士組に会ったと申しておったな」
「はっ。そちらにもございます組頭を名乗る芹沢、近藤両名と少し話をしました」
「やはりその者らが組頭であるか。この嘆願書を持ってきた殿内という男は、自分が組頭だと主張しておったのだが」
 容保は嘆願書に視線を戻した。書面の先頭には芹沢、近藤、の順で名前が並んでいる。
「それは存じ上げませんでしたが…」広沢は口ごもった。
「殿、誠にそのような怪しい連中を会津で預かるおつもりですか」苦言を呈したのは藩士の山本覚馬やまもとかくま。西洋式砲術の知識に長け、重用されている人物だ。
「確かにこの者らは素性の不確かな浪人たちだ。だが、広沢、そちの目で見た彼らは如何であった」
「はっ。彼らは徒党を組み、市中の警護と称して見回りをしておりました。危害が加えられたという報告もなく、その点については真かと思います。それに」 
 広沢は一息つくと、まっすぐに容保の目を見た。
「近藤勇という男。あの目には一点の曇りもございませんでした」
 その言葉を聞いて、容保は嬉しそうに頷いた。
「決めた。浪士組を京都守護職の預かりとしよう」
「しかし、殿…」まだ不服そうな山本は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「山本。京の治安維持に我らも想定より手を焼いていることは認めざるを得ないであろう。浪士組を預かることで、利害が一致するとは思わぬか?」
 そこまでおっしゃるのなら、と山本はそれ以上口ごたえをせず、頭を下げた。
「広沢。しばらくは浪士組の取次役を任せる。まずはこの嘆願書の返事だ」
 広沢は「はっ」と頭を下げた。
 容保はもう一度嘆願書を見た。
「近藤勇、か」
 そうつぶやいて微笑み、嘆願書を丁寧に折りたたんだ。

 こうして、壬生浪士組は晴れて会津藩の預かりという身分を得た。京に入ってから、十日足らずでの出来事であった。
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