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入洛②
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将軍が上洛するまでの間、基本的には「京の地理に慣れるため」という名目で同じ宿の者同士で観光をしたり、八木邸や前川邸からほど近い壬生寺の境内で稽古をしたりと、思い思いの時間を過ごしてよいということになっていた。
旅の道中、ろくに稽古ができていなかったさくら達は、早速木刀を持ちより壬生寺に向かった。まずは素振りを、と構えたところに、見知った顔が現れた。
「島崎殿」
村上であった。彼もまた木刀を持ち、苦々しげな目でさくらを見ていた。
山南との一件は謝罪し解決したものの、さくらのことを認めたわけではない、とその目が言っていた。
「手合わせ願いたい」
さくらは二つ返事で同意した。
なぜ女子などがこんなところに、と言う村上を黙らせるには実力で捻じ伏せるしかない。
二人が木刀を構え、いざ勝負をしようとした頃には、同じく寺の境内で稽古でもしようかと集まった浪士たちによって、人だかりができていた。
「あれが例の女か」
「お手並み拝見といこうじゃないか」
「これで負けたら、即刻江戸へ帰ってもらわねばな」
浪士たちは口々にそう言った。女子が勝てるわけない、とその場の誰もが思っていた。
そんな観衆をよそに、さくらと村上は木刀を構え、互いの目線を読もうと見つめ合った。
村上の視線が動いた。
その時、先に動いたのはさくらだった。
「ハッ!」
村上の視線の先に、すでにさくらはいなかった。彼の想定外の場所から、さくらは相手の間合いに入り、木刀で思い切り村上の手首を打った。
お互い防具をつけていなかったので、その痛みやいかばかりか。村上は木刀を取り落とし、さくらは木刀の切っ先を村上の喉元に突きつけた。
その場に沈黙が訪れた。
「ま、参った……」村上はタジタジになって、さくらを見上げた。そんな彼を、さくらは鋭い視線で射抜いた。
「嘘だろ……本当にあいつ女なのか?」
「つ、強ぇ……」
「他に手合わせしたい者はいるか。受けて立つぞ」
さくらはニッと笑って見物人を見回した。
すぐに名乗り出る者はいなかった。が、殿内、家里を含む四人の浪士が名乗りを上げ、結果はさくらの四勝であった。
試合をするごとに増える見物人の中に、芹沢が混じっていた。
「俺には勝てるか」
そう言うと、芹沢は手にしていた鉄扇を隣に立っていた新見に手渡し、今し方勝負に負けて肩で息をしている家里から木刀を受け取った。
「嬉しいです、芹沢さん。まさかあなたと手合わせできる日が来るなんて」
さくらはすっと木刀を構えた。
村上を含めて連続五戦。さすがに息が上がり、額には汗が浮かんだが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
芹沢の気迫は、剣を取れば数倍強くなるようであった。
さくらは芹沢の目に視線を向けながらも、目の端で彼の持つ木刀の切っ先を捉えていた。その切っ先が、わずかに動いた瞬間、地面を強く蹴り、一足飛びに芹沢との距離を縮める。
勝負は、一瞬でついた。さくらが振りかぶった木刀を芹沢は圧倒的な力でなぎ払うと、さくらのむき出しの頭頂部に自身の木刀でパシンと音を響かせた。
「痛ー」
しゃがみ込んださくらは取り落とした木刀を右手で拾い、左手で頭を抑えた。
だが、そのまま地べたに正座すると、両手をついてお辞儀した。
「さすが、お強い。参りました」
勝負には負けたものの、満足げな表情を浮かべて芹沢を見た。
「まさか、あの時の娘がな」芹沢は僅かに口角を上げた。一滴の酒も入っていない芹沢の顔は精悍で、勇猛な武士然としていた。
このようなことがあったから、その後「なぜ女子が混じっている」などと悪態をつく声はぱったりと聞こえなくなった。むしろ、さくらが女である、ということこそ嘘ではないのか、という声が上がったくらいだ。
順調な滑り出しに見えた浪士組の一員としての生活であったが、早くもさくら達の行く手には暗雲が垂れ込めていた。
「山南さん、どう思います?」
そう尋ねたのは勇だ。
市井の様子を見に町へと繰り出したさくらたちは、休憩がてら甘味処に立ち寄り、ぜんざいを頬張っていた。
「あの清川さんの建白書」
それがどうした、とさくらは勇を見た。
総司や平助に至ってはぜんざいに夢中で話も聞いていないようである。
「やはり、近藤先生も思いましたか」山南が答えた。
「ええ。清川さんは、我々が無事到着したということと、改めて上様警護の隊を作る旨を報告すると言ってましたよね。それを伝えるためだけに、わざわざ建白書なんて出すでしょうか」勇が続けた。
「おいなんだよ、わかるように話してくれよ」左之助が割って入った。左之助の前にだけ、すでに空になったお椀と、二杯目のぜんざい椀が置かれている。
山南は箸を置くと、左之助の目を見据えた。
「建白書というのは、本来何かを朝廷にお願いする時に奉るもの。帝の命のもと、成し遂げたいことがあったりする時にお伺いを立て、お許しを乞うといった性格が強い。つまり、寄せ集めの浪士集団である我々が、ただ京に到着し、帝ではなく上様のために働くと言ったところで、いちいち報告する必要もなければ、帝の知ったことでもない、というわけだ」
「えっ、それなら何故……」さくらも箸を持つ手を止めた。
「恐らく、清川さんは何か企んでいる。私たちに建白書の紙を遠目に見せただけで、詳細な内容を読ませなかったというのが、今思えば怪しい」
さくら達は、鵜殿と山岡に話を聞きに行った。さくらの浪士組参加を許してくれたこの二人が、結局一番信用のおける男たちであり、こうした相談をするにはもってこいの人物であった。
「内密にお願いしたいのですがね」
山岡が声を潜めた。
彼が話した内容は、衝撃的なものであった。
旅の道中、ろくに稽古ができていなかったさくら達は、早速木刀を持ちより壬生寺に向かった。まずは素振りを、と構えたところに、見知った顔が現れた。
「島崎殿」
村上であった。彼もまた木刀を持ち、苦々しげな目でさくらを見ていた。
山南との一件は謝罪し解決したものの、さくらのことを認めたわけではない、とその目が言っていた。
「手合わせ願いたい」
さくらは二つ返事で同意した。
なぜ女子などがこんなところに、と言う村上を黙らせるには実力で捻じ伏せるしかない。
二人が木刀を構え、いざ勝負をしようとした頃には、同じく寺の境内で稽古でもしようかと集まった浪士たちによって、人だかりができていた。
「あれが例の女か」
「お手並み拝見といこうじゃないか」
「これで負けたら、即刻江戸へ帰ってもらわねばな」
浪士たちは口々にそう言った。女子が勝てるわけない、とその場の誰もが思っていた。
そんな観衆をよそに、さくらと村上は木刀を構え、互いの目線を読もうと見つめ合った。
村上の視線が動いた。
その時、先に動いたのはさくらだった。
「ハッ!」
村上の視線の先に、すでにさくらはいなかった。彼の想定外の場所から、さくらは相手の間合いに入り、木刀で思い切り村上の手首を打った。
お互い防具をつけていなかったので、その痛みやいかばかりか。村上は木刀を取り落とし、さくらは木刀の切っ先を村上の喉元に突きつけた。
その場に沈黙が訪れた。
「ま、参った……」村上はタジタジになって、さくらを見上げた。そんな彼を、さくらは鋭い視線で射抜いた。
「嘘だろ……本当にあいつ女なのか?」
「つ、強ぇ……」
「他に手合わせしたい者はいるか。受けて立つぞ」
さくらはニッと笑って見物人を見回した。
すぐに名乗り出る者はいなかった。が、殿内、家里を含む四人の浪士が名乗りを上げ、結果はさくらの四勝であった。
試合をするごとに増える見物人の中に、芹沢が混じっていた。
「俺には勝てるか」
そう言うと、芹沢は手にしていた鉄扇を隣に立っていた新見に手渡し、今し方勝負に負けて肩で息をしている家里から木刀を受け取った。
「嬉しいです、芹沢さん。まさかあなたと手合わせできる日が来るなんて」
さくらはすっと木刀を構えた。
村上を含めて連続五戦。さすがに息が上がり、額には汗が浮かんだが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
芹沢の気迫は、剣を取れば数倍強くなるようであった。
さくらは芹沢の目に視線を向けながらも、目の端で彼の持つ木刀の切っ先を捉えていた。その切っ先が、わずかに動いた瞬間、地面を強く蹴り、一足飛びに芹沢との距離を縮める。
勝負は、一瞬でついた。さくらが振りかぶった木刀を芹沢は圧倒的な力でなぎ払うと、さくらのむき出しの頭頂部に自身の木刀でパシンと音を響かせた。
「痛ー」
しゃがみ込んださくらは取り落とした木刀を右手で拾い、左手で頭を抑えた。
だが、そのまま地べたに正座すると、両手をついてお辞儀した。
「さすが、お強い。参りました」
勝負には負けたものの、満足げな表情を浮かべて芹沢を見た。
「まさか、あの時の娘がな」芹沢は僅かに口角を上げた。一滴の酒も入っていない芹沢の顔は精悍で、勇猛な武士然としていた。
このようなことがあったから、その後「なぜ女子が混じっている」などと悪態をつく声はぱったりと聞こえなくなった。むしろ、さくらが女である、ということこそ嘘ではないのか、という声が上がったくらいだ。
順調な滑り出しに見えた浪士組の一員としての生活であったが、早くもさくら達の行く手には暗雲が垂れ込めていた。
「山南さん、どう思います?」
そう尋ねたのは勇だ。
市井の様子を見に町へと繰り出したさくらたちは、休憩がてら甘味処に立ち寄り、ぜんざいを頬張っていた。
「あの清川さんの建白書」
それがどうした、とさくらは勇を見た。
総司や平助に至ってはぜんざいに夢中で話も聞いていないようである。
「やはり、近藤先生も思いましたか」山南が答えた。
「ええ。清川さんは、我々が無事到着したということと、改めて上様警護の隊を作る旨を報告すると言ってましたよね。それを伝えるためだけに、わざわざ建白書なんて出すでしょうか」勇が続けた。
「おいなんだよ、わかるように話してくれよ」左之助が割って入った。左之助の前にだけ、すでに空になったお椀と、二杯目のぜんざい椀が置かれている。
山南は箸を置くと、左之助の目を見据えた。
「建白書というのは、本来何かを朝廷にお願いする時に奉るもの。帝の命のもと、成し遂げたいことがあったりする時にお伺いを立て、お許しを乞うといった性格が強い。つまり、寄せ集めの浪士集団である我々が、ただ京に到着し、帝ではなく上様のために働くと言ったところで、いちいち報告する必要もなければ、帝の知ったことでもない、というわけだ」
「えっ、それなら何故……」さくらも箸を持つ手を止めた。
「恐らく、清川さんは何か企んでいる。私たちに建白書の紙を遠目に見せただけで、詳細な内容を読ませなかったというのが、今思えば怪しい」
さくら達は、鵜殿と山岡に話を聞きに行った。さくらの浪士組参加を許してくれたこの二人が、結局一番信用のおける男たちであり、こうした相談をするにはもってこいの人物であった。
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