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恩人①
しおりを挟む浪士組一行は現在の埼玉県に入り、一日目の夜を迎えた。
道中は宿場町に泊まり、居酒屋や宿の食事処で夕食・朝食を取り、宿で用意した握り飯や兵糧丸のようなものを昼食としながら進んでいくものだった。最初に言われた支度金の十両の他に約二百四十人分のこれら経費を賄うのだから、金というのはあるところにはあるものだ、とさくらは思った。
「まずは一日目、お疲れ様でした」
さくら達六番組の面々は、親睦を深める意味もこめて、同じ居酒屋で酒を酌み交わしていた。
しばらくはお互いの出自や、京の情勢に関する噂話についての話題だった。しかし、詳細な時勢の話となると、ついていけるのは山南や平山など一部の人間だけとなり、置いてけぼりを食らってあぶれた者らは新たな固まりを形成しながら酒を酌み交わした。
そうしているうちに、勇と芹沢が顔を出した。二人は役職付同士の懇親会に出ていたが、きりのいいところでこちらに来たのだという。
さくら達は再び杯を掲げ、勇や芹沢を入れた六番組の浪士たちはこれからの任務の話に花を咲かせた。
「島崎といったな。お前、人を斬ったことはあるか」
たまたま隣に座っていた芹沢に酌をしたさくらはそう聞かれてハタと手を止めた。
「いいえ」
「なんだ、ないのか」
芹沢は拍子抜けしたように言った。その声に見下すような色が見て取れたので、さくらはムッとして反論した。
「おかげさまで、人を斬らねばならぬ局面に合ったことがございませぬもので」
「そうか。そんなことで京でやっていけるのか」
「いざとならば、やっていけるでしょう。そも、私は人を斬るために京に行くわけではございませぬ。飽くまでもご公儀のお役に立つためでございます」
芹沢はほう、と興味深そうにさくらの顔を見た。一瞬だけ、その表情が変わったような気がしたが、さくらは深く考えず芹沢に質問した。
「芹沢さんは、人を斬ったことがあるのですか」
「ああ、何人もな」
さくらは芹沢の目を見た。言われてみれば、その目は今まで出会った道場剣術の仲間たちとは違っていた。
「随分とやんちゃをされていらしたのですね」追及するべきか迷い、さくらは当たり障りのないことを言った。
「ははっ、やんちゃ、か。そんなカワイイもんじゃねえさ。……そういや」
芹沢はそこで少し口ごもった。
「初めて人を斬った相手は辻斬りだった。母娘が襲われてな。母親の方は間に合わなかったが、娘の方は助かった」
「えっ?」
さくらは芹沢の顔をまじまじと見た。
その瞬間、あの時の光景が蘇ってきた。
「もしかして、昔、頬に傷がありませんでしたか?」
さくらは思わずそう尋ねていた。母を目の前で斬られた混乱の中でも、唯一覚えていた恩人の特徴であった。
「いかにもそうだが」
さくらは目を大きく見開き、芹沢の左頬を見た。非常に薄くなってはいるが、顔の皺にしては不自然な筋がある。
「ええっと、十八年前!雪の降る日ではありませんでしたか?場所は、江戸市ヶ谷!」
「そうだ。確か、そのくらい前だった。雪も降っていたな。まさか……」
「まさか、あなたが……?あの、そ、その時助けていただいたの、私……の妹ですっ!」
間一髪のところで「妹」という言葉で切り抜けたものの、さくらは興奮が抑えられず芹沢にずいっと近づいた。
「あの時は、ありがとうございました。母の仇を取っていただき、私……の妹の命を救ってくださいました。いつか絶対にお礼がしたいと思っていたのですが、お名前を聞く間もなく立ち去ってしまわれましたから」
さくらは正座に座り直し、丁寧に手をついて芹沢に頭を下げた。
「あなたは命の恩人です。誠にありがとうございました。母を守れなかった悔しさから、私は剣を取ったのです。そう考えると、今の私があるのも、あなたのおかげですね」
さくらはふわりと微笑んだ。
「そうか、お前があの時の」芹沢は事を理解したようで、目を丸くしたものの懐かしむような眼差しでさくらを見た。
「娘か」
えっ、とさくらは芹沢を見た。そして咄嗟に周囲を見回した。さくらと芹沢の会話が聞こえそうな範囲には、幸い歳三と左之助しかいない。
「ところで平間殿、京へ行ったことはおありですかな。中山道の町にはどのような美味い飯屋があるのでしょうね」歳三が不自然に声の音量を大きくした。
一方でさくらは蚊の鳴くような声で「ですから、娘というのは私の妹で、名をお初と言います」と取り繕った。
「へえ、まだシラを切るか」
「そのようなこと……」
「母君を守れなかったのはお前の妹・お初だろう。だのになぜお前が剣を取った」
やばい、という表情がさくらの顔に浮かんでしまった。
「妹まで死なせたくない。これ以上大切な人を失わずに済む強さを手に入れたいと思いました」さくらは「妹の初」の話で押し通そうとしたが、芹沢がお見通しなのはもうわかっていた。
「そうか。その意気や良し。今は、黙っていてやる。だがこれで一つお前の弱みを握ったな」
酒が回ったのか、急に芹沢は「はっはっは!」と大声で笑い始めた。
その声に周囲にいた人間はビクリとして芹沢を見た。
さくらの中で、芹沢への感謝の念と、なんだかとても嫌な予感が渦巻いた。
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