浅葱色の桜

初音

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伝通院から②

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 芹沢鴨せりざわかも。隊割表でその名前を見たさくらは「変わった名前の人がいたもんだ」と思っていたが、見た目は思いの外普通だった。
 ただ、芹沢は圧倒的な存在感と威圧感を放っていた。背が高く、がっしりとした体躯がそうさせているのか、鋭い眼光から放たれているのか。さくらたちは、その姿を見て思わずごくりと唾をのんだ。
「おう。よろしくな。芹沢鴨、神道無念流、水戸脱藩だ」
 どっしりとした低い声でそう言うと、芹沢は面倒くさそうに立ち上がった。
「よろしくお願い致します」すかさず、新八が挨拶した。
「私も神道無念流でして。失礼ながら、どちらの道場で…?」
「俺はどこの道場に属してたとか、そういうのじゃねえんだよ…おおかた、なんでこんな無名の奴がお偉いさんなんだ、とか思ってるんだろ」
 射抜くような芹沢の視線に、新八は一瞬口ごもったが、新八も新八で並の相手の眼力に負けるような男ではない。
「いえ、そのようなつもりではございません」
 毅然と、そう答えた。
 芹沢はそんな新八の受け答えにそれ以上何も言わず、最初に自己紹介したさくらを見た。
「試衛館ってのはかしらはあんたか」
 さくらは答えようとしたが、山南がそれを遮った。
「近藤勇という者でございます。先番宿割の命を仰せつかり、今は別の場所に呼ばれております」
「ああ。宿割りなんて面倒事押しつけられてお気の毒様」
 これには歳三がずいっと前に出て
「近藤はそうは捉えてはおりません。大事なお役目を仰せつかったと近藤も我々も思っております」
 と、芹沢を睨みつけた。
 芹沢は「そうかい」とだけ言うと、手にしていた鉄扇を広げたり閉じたりして弄りながら伝通院の奥の方へ消えていった。
「どこ行っちゃったんですかね?」総司が小声で言った。
「あれだよ」山南が指したのは、頭上に貼られた隊割表だった。芹沢は「道中世話役」の欄に書かれており、別の場所に集合する手筈だったようだ。
「結構偉い人だったのかな……」平助が少し心配そうに言った。
「だが、新八は知らないんだろ?」歳三は新八の方を見た。
「ええ。まあ、私も神道無念流の顔ぶれを全員知っているわけではありませんから」
 さくらは人ごみの中に消えていった芹沢の背中をただじっと見つめていた。
「あの人、どこかで会ったような…」
「水戸の奴だろ?そんな奴となんで会ったことがあるんだよ」歳三が言った。
「いや、はっきりはわからぬが…ずっと昔に…」
 さくらの脳裏にある場面がよぎった。だが、はっきりと思い出せない。
「まあ、気のせいか」

 しばらく待っていると、勇が戻ってきた。
「先番宿割というのは、文字通り皆より先回りして宿場町で宿を抑えるのが仕事みたいでな。どうも皆と一緒に行動できそうにはない」
 勇は少しだけ寂しそうに言ったが、その表情は「大事な役目を与えられた」と誇らしげであった。
「あれ?源さんは?」
「源兄ぃだけ三番組だ」
「そうなのか。でも、林太郎さんもいたから大丈夫だろう」
「それなら安心ですね」総司が笑顔で言った。
 林太郎というのは、総司の義兄に当たる男で、源三郎とも親戚関係であった。
 試衛館からはさくら達九人の参加であったが、普段日野で稽古をしている天然理心流の門人も何人かこの浪士組に参加していた。
「サク、トシ、山南さん。そういう訳で道中おれは別行動になるが、あとはよろしく頼みます」
「おう、任せろ」さくらは自分の胸を叩いた。
 そういえば、とさくらは勇に芹沢に会ったかどうかを尋ねた。
「芹沢さん?ああ、さっきあっちの役職付きの集合場所で会ったよ。なかなか有為の人物と見受けたが…どうかしたのか?」
「いや、前に会ったことがあるような気がして」
 しかし、試衛館で一番の古株である勇でも「さあ?」と首を傾げたので、さくらはそれ以上追及しなかった。
 それから間もなく、今回の浪士組の発起人である清川八郎が伝通院のお堂に立ち、演説を始めた。
「来たる公方様の上洛に先んじて、三日後の二月八日より諸君らには中山道を通り、京に向かってもらう」
 中山道、という言葉を聞いて、何人かは「げえっ」と声を上げた。比較的平坦で距離の短い東海道ではなく、険しい山道を越える中山道を使うというのだ。
「予想を上回る諸君が参集したこと、嬉しく思う。残念ながら一人五十両を渡すことはできなくなってしまったが、此度の任は金銭の如何は関係ない。尽忠報国の志を持って公方様の警護という一大事を成し遂げようではないか!」
 清川は拳を突き上げながら、「尽忠報国」の部分を強調して演説を終えた。
 浪士たちは「おうっ!」と声を上げ、その演説に答えた。

「いよいよだな」
 さくらはひんやりとした早春の空気を吸い込んだ。
「ああ、おれたち、ついに武士になれるんだ」
 勇の笑顔は、さくらが今まで見た中で一番晴れやかで、希望に満ち溢れていた。
 一緒に、武士になろう。
 あの時の約束の種が、今ようやく芽を出し、花開こうとしている。

 文久三年二月八日。総勢二百三十余名の浪士組は京の都に向けて出発した。


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