浅葱色の桜

初音

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ほれたはれた①

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 それでも人間、一睡くらいは眠れるもので。
 寝たのか寝ていないのかよくわからない心地で、さくらは目覚めた。体を起こしてふと横を向いた瞬間、さくらは「ぎゃっ!!」と奇声を発して固まった。
 見た先には、上半身裸の山南が立っていた。
 さくらはどぎまぎして、口をぽかんと開けて山南を凝視してしまったが、すぐにハッとして後ろを向いた。
「あ、さくらさん、目覚めましたか。おはようございます」
 山南は何事もなかったかのように言った。
「お、おは、おはようございます…」さくらは山南に背を向けたまま答えた。
 後ろを向いているのに、脳裏によぎるのは今し方、時間にして十秒もないくらいの間、凝視してしまった山南の体だった。
 優しげな顔に似合わず、剣術で鍛えたしっかりとした胸や上腕の筋肉。さくらは思い出しては顔を真っ赤に染めていた。
 ――私、どうしたというのだ…。初めて見るわけでもあるまいに。
 山南だけでなく、勇や歳三たち試衛館で稽古する者たちは、井戸端でふんどし一丁になって水浴びをすることなど日常茶飯事であったし、さくらはそんな光景を見慣れていた。
 ――あの体に抱かれるであろう山南さんの奥さんって…
「はわっ!!」
 急に大声を出したさくらに山南は不思議そうに「さくらさん?」と声をかけた。
 振り返ると、山南はもういつも通りの着物を着ていた。足元には、昨晩着ていた寝間着が畳まれて置いてある。
 さくらは着の身着のままで来ていたので、外側の帯だけ外した状態で寝ていたのだが、急に自分の格好が恥ずかしくなってきた。
「や、山南さんっ、着物を整えるのでっ、あちらを向いててくださいっ!」
 さくらはうわずった声でそう言った。山南は「ああ、そうでした。失礼」と言って背を向けた。
「さくらさん、どうかされましたか?顔が赤いようですが」背を向けたまま、山南は不思議そうに尋ねた。
「どっ、どうもしておりませぬ!気のせいではないですかっ!」
 さくらはそう言いながら帯を結ぼうとするが、手がぷるぷると震えるようで思うように結べない。焦れば焦るほど、いつもどうやって帯を結んでいたのか忘れていくようだった。
「それならいいですが。しかしさくらさん、男のふりをして京へ行くなら、男の前で着替えることも当然あるでしょうから」
「そ、それはそれ!これはこれです!」
 ――って、何を言っているのだ、私は…!
「どういう…?」山南が訝しんだように言葉を発したので、さくらは慌ててそれを遮った。
「ですからっ!いずれ慣れますゆえ、今は!」
 ――そうだ。たぶん、山南さんではなければ、まったくもって平気だ。
 さくらはなんとか帯を結び終えると、「すみません、お待たせしました」と声をかけた。
 振り返った山南の目に、さくらは吸い込まれるのではないかと思った。いつも見ていたはずなのに、自分に送られる視線が、きらきらと輝いて見える。
「さくらさん」
「は、はい」
「どうされますか?私は試衛館に行きますが。いつも食事の世話になっていたので、生憎ここには食べるものがあまりないのです」
 ――あ、なんだ、朝ご飯の話か…
「それならば、試衛館に行って朝ご飯を食べましょう」さくらは平静を装って答えた。山南の一挙手一投足が気になって仕方がない。
「もう、よいのですか?」
「何がですか?」
「近藤先生と言い争って、それでここへ来たのでしょう?」
 さくらは、あっと思い出した。
 この一晩でそんなことも忘れてしまう程の心境の変化があったのだ。勇と言い争ったことが、今はどうでもよく思えてきた。
「ひ、一晩寝たら頭が冷えたようです!もう大丈夫です」
「そうですか。それならよかった」
 山南はふわりと微笑んだ。
 さくらは、また胸のあたりがざわつく感覚に襲われた。

 試衛館までの道すがら、山南の半歩後ろを歩きながら、さくらの頭の中は考え事で忙しなく、頭から湯気が出るようであった。
 ――お里江の言うとおりだとすると、ま、まさか、皆はもう知っているのか?お里江が総司に惚れていたのを気づいていなかったのは私だけだという話だった…。まさか、もうばれているのか?少なくとも、お里江は気づいていたのだよな…。あとはこの手の勘が良さそうなのは、歳三とか新八あたりか…いや、平助もあれでいてなかなか鋭い…言わないだけで源兄ぃも…勇も…?総司だけは気づいていないだろう。左之助も気づいていないとは思うが、お里江の一件は知っていたわけで…それより何より、山南さん本人は!?
 落ち着け。年頃の娘のお里江ならともかく、三十路にもなって何をやっているのだ私は…こんなの惚れた腫れたとは別の話だ。そうだ、昨晩のことは一時の気の迷いで…
「さくらさん?」
 そう名を呼び、自分の方に振り返る山南を見て、さくらはまた胸がきゅっとするような感覚に襲われた。
 今まで何度も呼ばれた自分の名前。でも、今はそれが尊く、耳に甘く響くような気がした。
 ――負けたよ、お里江。何にかは知らぬが。お前が抱えていたものは、こういうことだったのか。でも、やはり自害はやりすぎだ。
 さくらは山南に気づかれないように小さくため息をつくと、そういえば名を呼ばれたのだと思い出し、「なんでしょう」と尋ねた。
「体は大丈夫ですか?なんだか、やはり顔が赤いようですが…」
「大丈夫です!すこぶる元気でございます!」さくらはやや勢い余って答えた。
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