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断たれた道②
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「新八さん?何してるんですか?」
道場の前でこそこそと覗きのようなことをしている新八を見つけ、平助が話しかけた。
「あれだ。触らぬ神に祟りなし。だが、少し心配でな」
道場の中では、さくらと勇が奇声という表現が相応しい声を出して木刀で試合をしていた。
「もしかして、本当にダメだったんですか?」平助の問いに、新八は頷いた。
「なんだよ。それならそうと早く言って欲しいもんですよね。ぬか喜びの後のそれはキツイや…」
「それでな、さっきからあの調子だ」
木刀と木刀がぶつかり合う激しい音を聞きながら、新八と平助は道場の中を覗き込んだ。
やがて、一瞬静かになった。それから、ドンッと木刀が床に落ちる鈍い音がした。
「はあ、はあ…久々にさくらに負けた…」勇はその場に座り込むと、そのまま寝ころんだ。
「ふん、情けない。そんなんだから不採用になるのだ」さくらは勇の隣にあぐらをかいて座り、ため息をついた。
二人は魂が抜けたようにその場でぼーっとしている。新八と平助がその様子を見守っていることに気づく気配もない。
「どうします?」平助がその様子を見ながら、新八に声をかけた。
「うーん……あの様子じゃあ、どうしようもないな。気が済むまで試合をするつもりなんだろう」
「それもそうですね」
新八の言う通り、再び試合が始まりそうだったので、二人はその場を後にした。
それから数日というもの、近藤家は過去に例を見ない程重い空気に包まれた。
もともと里江の一件で塞ぎ込んでいた総司に加わり、さくらと勇も抜け殻のようになってしまったものだから、三人が集まると葬式でも始まるかのような様相だった。
さくらと勇は、雑念を振り払うかのように連日滅茶苦茶に試合を行っては、無気力にぼーっとしてしまうということを繰り返していた。
いつもなら他愛のない話で盛り上がる食事の時間でさえも、誰も喋らなかった。
「サンナンさん、これどうすんだ」左之助が山南に耳打ちした。
「我々が何を言っても近藤先生やさくらさんの耳には入らないだろう」山南は心配そうに二人を見つめた。
「じゃあ、誰が何を言えばいいんだよ」
「それは、今は無理だ」
黙々と食事を続けながら言う山南に対し、左之助は「ええ~?」と困ったような顔を見せた。
一方、里江を送り届けた歳三と源三郎はそのまま佐藤彦五郎道場で出稽古に励んでいた。
そんな折、二人の元に文が届いた。差出人は山南であった。
「トシさん、これ…!」
歳三は源三郎から手紙を受け取り、目を疑った。
「おい、本当かよ…」歳三は手紙を穴の空く程見つめた。
手紙には、さくらも勇も不採用になって、ひどく落ち込んでいる、ということが書かれていた。
「これは、出稽古は切り上げて明日にでも戻った方がいいだろうな」源三郎が言った。
「ああ」歳三は手紙をくしゃりと握りしめた。
その夜、歳三は源三郎に手合わせを頼んだ。
「珍しいな、トシさんがわざわざ私に手合わせを願い出るなんて」
そう言いながら、誰もいない道場で源三郎は防具を着け、歳三と対峙した。
格子状の窓から差し込む月明かりと、道場の四隅に置かれた行灯の明かりしかないため、互いの姿は薄ぼんやりとしていた。
「ヤーッ!」
二人は声を上げた。
歳三は正眼に構えたかと思うと、木刀を上下に振りながら前へ前へと力の限り押しまくった。源三郎はその勢いに押され、道場の壁際まで来そうになったが、なんとか歳三の木刀を受け止めた。しかし、歳三の力を押し返すことはできず、そのまましゃがんで避けたが、その一瞬の隙をつかれ歳三に面を取られた。
「さすが、トシさんは強いなぁ」
床に座って防具を外しながら、源三郎は歳三を見た。歳三は、自分から仕掛けた勝負に勝ったとは思えない程、元気がなかった。面籠手だけは外したものの、胴垂は外さず、ぼんやりと胡座をかいて空中を見つめる歳三を、源三郎は不思議に思った。
「源さん、俺さ、ここに残ろうかと思うんだ」
おもむろに言い出した歳三に、源三郎は驚いた。
「なんでまた」そんな言葉しか源三郎からは出てこない。
「あの手紙見てどう思った」歳三がつぶやくように言った。それでも、誰もいない道場でその声は響いた。
「あの手紙、か。まあ、近藤先生とさくらの気持ちを思うと、やりきれんなぁ。さくらは本当に、昔から自分が女だっていうのを気にして、どんな男よりも強くなるんだって頑張ってたから。それが、ここへ来て女であることが足枷になったんだ」源三郎はため息をついた。
「俺はさ、一瞬、ほっとしたんだ」
歳三の言葉を、源三郎は否定も肯定もせずに聞いた。
「勝っちゃんと、さくらと、武士になろうって、話したけどさ、俺とあいつらの間には、越えられない壁っつーか、そういうのがあるんだって、あいつらが講武所の師範になるって聞いた時に思ったんだよ。あいつら二人だけ、先に、遠くに行っちまうみたいでよ」
歳三は少し間を開けると、ふっと息を継いで再び話し始めた。
「だから、知らせを聞いてほっとしたわけだ。最低だよな、俺。こんな俺が、あいつらと一緒に武士になるなんて、土台無理な話だ。合わせる顔がねえよ」
源三郎はふわりとほほ笑んで歳三を見た。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって…!」
「トシさんがそう思うのも無理はないし、誰も責めたりしないさ。でも、落ち込んでる二人を立ち上がらせることができるのは、トシさんしかいないんだ。それがわかっていて、山南さんはあの手紙を送ってきたんだと思うよ」
歳三は押し黙った。
「そう……なのか……?」歳三は信じられないといったような顔をして源三郎を見た。源三郎は、力強く頷いた。
そうか、と歳三は再びつぶやくように言った。
その顔つきが先ほどと変わっているのを見て、源三郎は満足そうに笑みを浮かべた。
道場の前でこそこそと覗きのようなことをしている新八を見つけ、平助が話しかけた。
「あれだ。触らぬ神に祟りなし。だが、少し心配でな」
道場の中では、さくらと勇が奇声という表現が相応しい声を出して木刀で試合をしていた。
「もしかして、本当にダメだったんですか?」平助の問いに、新八は頷いた。
「なんだよ。それならそうと早く言って欲しいもんですよね。ぬか喜びの後のそれはキツイや…」
「それでな、さっきからあの調子だ」
木刀と木刀がぶつかり合う激しい音を聞きながら、新八と平助は道場の中を覗き込んだ。
やがて、一瞬静かになった。それから、ドンッと木刀が床に落ちる鈍い音がした。
「はあ、はあ…久々にさくらに負けた…」勇はその場に座り込むと、そのまま寝ころんだ。
「ふん、情けない。そんなんだから不採用になるのだ」さくらは勇の隣にあぐらをかいて座り、ため息をついた。
二人は魂が抜けたようにその場でぼーっとしている。新八と平助がその様子を見守っていることに気づく気配もない。
「どうします?」平助がその様子を見ながら、新八に声をかけた。
「うーん……あの様子じゃあ、どうしようもないな。気が済むまで試合をするつもりなんだろう」
「それもそうですね」
新八の言う通り、再び試合が始まりそうだったので、二人はその場を後にした。
それから数日というもの、近藤家は過去に例を見ない程重い空気に包まれた。
もともと里江の一件で塞ぎ込んでいた総司に加わり、さくらと勇も抜け殻のようになってしまったものだから、三人が集まると葬式でも始まるかのような様相だった。
さくらと勇は、雑念を振り払うかのように連日滅茶苦茶に試合を行っては、無気力にぼーっとしてしまうということを繰り返していた。
いつもなら他愛のない話で盛り上がる食事の時間でさえも、誰も喋らなかった。
「サンナンさん、これどうすんだ」左之助が山南に耳打ちした。
「我々が何を言っても近藤先生やさくらさんの耳には入らないだろう」山南は心配そうに二人を見つめた。
「じゃあ、誰が何を言えばいいんだよ」
「それは、今は無理だ」
黙々と食事を続けながら言う山南に対し、左之助は「ええ~?」と困ったような顔を見せた。
一方、里江を送り届けた歳三と源三郎はそのまま佐藤彦五郎道場で出稽古に励んでいた。
そんな折、二人の元に文が届いた。差出人は山南であった。
「トシさん、これ…!」
歳三は源三郎から手紙を受け取り、目を疑った。
「おい、本当かよ…」歳三は手紙を穴の空く程見つめた。
手紙には、さくらも勇も不採用になって、ひどく落ち込んでいる、ということが書かれていた。
「これは、出稽古は切り上げて明日にでも戻った方がいいだろうな」源三郎が言った。
「ああ」歳三は手紙をくしゃりと握りしめた。
その夜、歳三は源三郎に手合わせを頼んだ。
「珍しいな、トシさんがわざわざ私に手合わせを願い出るなんて」
そう言いながら、誰もいない道場で源三郎は防具を着け、歳三と対峙した。
格子状の窓から差し込む月明かりと、道場の四隅に置かれた行灯の明かりしかないため、互いの姿は薄ぼんやりとしていた。
「ヤーッ!」
二人は声を上げた。
歳三は正眼に構えたかと思うと、木刀を上下に振りながら前へ前へと力の限り押しまくった。源三郎はその勢いに押され、道場の壁際まで来そうになったが、なんとか歳三の木刀を受け止めた。しかし、歳三の力を押し返すことはできず、そのまましゃがんで避けたが、その一瞬の隙をつかれ歳三に面を取られた。
「さすが、トシさんは強いなぁ」
床に座って防具を外しながら、源三郎は歳三を見た。歳三は、自分から仕掛けた勝負に勝ったとは思えない程、元気がなかった。面籠手だけは外したものの、胴垂は外さず、ぼんやりと胡座をかいて空中を見つめる歳三を、源三郎は不思議に思った。
「源さん、俺さ、ここに残ろうかと思うんだ」
おもむろに言い出した歳三に、源三郎は驚いた。
「なんでまた」そんな言葉しか源三郎からは出てこない。
「あの手紙見てどう思った」歳三がつぶやくように言った。それでも、誰もいない道場でその声は響いた。
「あの手紙、か。まあ、近藤先生とさくらの気持ちを思うと、やりきれんなぁ。さくらは本当に、昔から自分が女だっていうのを気にして、どんな男よりも強くなるんだって頑張ってたから。それが、ここへ来て女であることが足枷になったんだ」源三郎はため息をついた。
「俺はさ、一瞬、ほっとしたんだ」
歳三の言葉を、源三郎は否定も肯定もせずに聞いた。
「勝っちゃんと、さくらと、武士になろうって、話したけどさ、俺とあいつらの間には、越えられない壁っつーか、そういうのがあるんだって、あいつらが講武所の師範になるって聞いた時に思ったんだよ。あいつら二人だけ、先に、遠くに行っちまうみたいでよ」
歳三は少し間を開けると、ふっと息を継いで再び話し始めた。
「だから、知らせを聞いてほっとしたわけだ。最低だよな、俺。こんな俺が、あいつらと一緒に武士になるなんて、土台無理な話だ。合わせる顔がねえよ」
源三郎はふわりとほほ笑んで歳三を見た。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって…!」
「トシさんがそう思うのも無理はないし、誰も責めたりしないさ。でも、落ち込んでる二人を立ち上がらせることができるのは、トシさんしかいないんだ。それがわかっていて、山南さんはあの手紙を送ってきたんだと思うよ」
歳三は押し黙った。
「そう……なのか……?」歳三は信じられないといったような顔をして源三郎を見た。源三郎は、力強く頷いた。
そうか、と歳三は再びつぶやくように言った。
その顔つきが先ほどと変わっているのを見て、源三郎は満足そうに笑みを浮かべた。
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