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お里江の恋路②
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そして午後になり、近藤家の庭先で里江と総司は洗濯をしていた。
「洗濯物なんて久しぶりだなぁ。最近は稽古ばっかりだったから」総司が何の気なしに言った。
「沖田様も、洗濯物などなさるのですか?」里江は自然な会話を心がけるように発言した。
「そうだよ。もともと私は下働き兼門人ということでここに来たんだから。昔は奥様に、あ、おキチさんの方ね、動きがとろいってよく怒られてたんだから」
総司は懐かしそうに笑い、「これ、もちろん内緒だからね」と口元に人差し指を当てた。
その屈託のない笑顔を見て、里江が心臓を高鳴らせていることに総司が気づくはずはなく。
やがて、二人が他愛もない会話をしているうちにすべての洗濯物が終わってしまった。
「ありがとうございました」里江がか細い声で言った。
「いいのいいの。二人でやった方が早いでしょ?」総司が笑いかけた。
「そしたら洗濯桶片付けてくるから」
その場を離れようとした総司に、里江は「あの」と声をかけた。
「ん?」
「沖田様」
里江は震える声で、しかしはっきりと総司の名を呼んだ。
「私を、妻にしてはいただけないでしょうか」
一瞬の沈黙。
「えっ…え?」
総司は面食らい、里江をじっと見た。その視線に耐えきれず、里江は顔を赤らめて俯いた。
再びの沈黙の後、里江は意を決したように顔を上げた。
「沖田様のことを、お慕い申し上げておりました」今にも泣きそうな顔で、しかし真っ直ぐに総司の目を見つめながら里江は言葉を紡いだ。
「えっ、で、でも、お嫁に行くって…」
「はい。ですから、いろいろな無理を承知で申し上げました。ですが、もし、もしも沖田様が里江をお嫁にもらっていただけるのなら、必ずや父と母のことは説得してみせます!」
総司は少し考えるように口をきゅっと結び、やがて口を開いた。
「…できないよ。説得っていうけど、お里江ちゃんはもう嫁ぎ先が決まっているわけで…そんな簡単にご両親が許すとは…」
「…沖田様のお気持ちは?もし、嫁ぎ先が決まっていなかったら…」
里江はすがるように総司を見た。
「ごめん。それでも、できないよ。私はまだ修行中の身だから。嫁をもらうとか、そういうのは考えられないんだ」
里江は右目、左目と、着物の袖を押し付けてこぼれそうになる涙をせき止めた。それから、パッと笑顔に切り替えた。
「わかりました。私の戯れ言をお聞き頂いて、ありがとうございます。困らせてしまって申し訳ありませんでした」
「戯れ言なんて。お里江ちゃんの気持ちは嬉しいよ。ありがとう。あとひと月だけど、これからもよろしくね」総司もふわりと笑った。
「洗濯桶は私が片付けておきますから、沖田様はもう行ってください」
「え?でも」
「私はたった今振られたのですよ?少し一人になりたいのです」里江は笑顔でそう言うと、総司が視界からいなくなるまでその場を動かなかった。
「よかった。最期に見られたのが、沖田様の笑顔で」里江の独り言がぽつりと漏れた。
さくらは、飛脚が手紙を届け忘れたのではないかと淡い期待を抱き、飛脚問屋に行ってみた。
しかし、今日配達すべき分はすべて出払い、もしかしたら間違ってどこかに届けられたものが戻ってくるかもしれないが、それがわかるのも早くて明日だと言われ、さくらはがっかりして帰路についた。
もう五日待ってみるか、とため息をついて試衛館の門をくぐると、庭先に何か黒い物が転がっているのが見えた。不審に思い、さくらは庭の方へ足を運んだ。
「お、お里江!?」
さくらは急いで里江に駆け寄った。黒い物体は倒れた里江の頭だった。
「おい、どうしたんだ、お里江!」
里江を仰向けに転がすと、首筋から血を流し、意識を失っているのがわかった。手には短刀を握っている。
「誰か!誰か来てくれ!!」さくらは叫びながら、咄嗟に干してあった洗濯物の手ぬぐいを取り、里江の首に当てた。白い手ぬぐいがあっという間に赤くなった。
「どしたんですか、さくらさん!?」最初に現れたのは平助だった。
「お、お里江ちゃん!?」
「平助、すぐに医者を呼んできてくれ!お里江はまだ生きてる!」
「わ、わかりました!」平助は踵を返して走っていった。
次に歳三が駆けつけてきた。
「里江…!?さくら、どういうことだ」
「わからない。出かけて帰ってきたらお里江が倒れてて…とにかく、まだ息はある。平助が今医者を呼びに行ってる」さくらは手ぬぐいで里江の傷を抑えながら、動揺の色を隠さず言った。
「まさか…!」
歳三はそう言うと先程の平助とは反対方向に向かって大きな足音を立てながら行ってしまった。
「洗濯物なんて久しぶりだなぁ。最近は稽古ばっかりだったから」総司が何の気なしに言った。
「沖田様も、洗濯物などなさるのですか?」里江は自然な会話を心がけるように発言した。
「そうだよ。もともと私は下働き兼門人ということでここに来たんだから。昔は奥様に、あ、おキチさんの方ね、動きがとろいってよく怒られてたんだから」
総司は懐かしそうに笑い、「これ、もちろん内緒だからね」と口元に人差し指を当てた。
その屈託のない笑顔を見て、里江が心臓を高鳴らせていることに総司が気づくはずはなく。
やがて、二人が他愛もない会話をしているうちにすべての洗濯物が終わってしまった。
「ありがとうございました」里江がか細い声で言った。
「いいのいいの。二人でやった方が早いでしょ?」総司が笑いかけた。
「そしたら洗濯桶片付けてくるから」
その場を離れようとした総司に、里江は「あの」と声をかけた。
「ん?」
「沖田様」
里江は震える声で、しかしはっきりと総司の名を呼んだ。
「私を、妻にしてはいただけないでしょうか」
一瞬の沈黙。
「えっ…え?」
総司は面食らい、里江をじっと見た。その視線に耐えきれず、里江は顔を赤らめて俯いた。
再びの沈黙の後、里江は意を決したように顔を上げた。
「沖田様のことを、お慕い申し上げておりました」今にも泣きそうな顔で、しかし真っ直ぐに総司の目を見つめながら里江は言葉を紡いだ。
「えっ、で、でも、お嫁に行くって…」
「はい。ですから、いろいろな無理を承知で申し上げました。ですが、もし、もしも沖田様が里江をお嫁にもらっていただけるのなら、必ずや父と母のことは説得してみせます!」
総司は少し考えるように口をきゅっと結び、やがて口を開いた。
「…できないよ。説得っていうけど、お里江ちゃんはもう嫁ぎ先が決まっているわけで…そんな簡単にご両親が許すとは…」
「…沖田様のお気持ちは?もし、嫁ぎ先が決まっていなかったら…」
里江はすがるように総司を見た。
「ごめん。それでも、できないよ。私はまだ修行中の身だから。嫁をもらうとか、そういうのは考えられないんだ」
里江は右目、左目と、着物の袖を押し付けてこぼれそうになる涙をせき止めた。それから、パッと笑顔に切り替えた。
「わかりました。私の戯れ言をお聞き頂いて、ありがとうございます。困らせてしまって申し訳ありませんでした」
「戯れ言なんて。お里江ちゃんの気持ちは嬉しいよ。ありがとう。あとひと月だけど、これからもよろしくね」総司もふわりと笑った。
「洗濯桶は私が片付けておきますから、沖田様はもう行ってください」
「え?でも」
「私はたった今振られたのですよ?少し一人になりたいのです」里江は笑顔でそう言うと、総司が視界からいなくなるまでその場を動かなかった。
「よかった。最期に見られたのが、沖田様の笑顔で」里江の独り言がぽつりと漏れた。
さくらは、飛脚が手紙を届け忘れたのではないかと淡い期待を抱き、飛脚問屋に行ってみた。
しかし、今日配達すべき分はすべて出払い、もしかしたら間違ってどこかに届けられたものが戻ってくるかもしれないが、それがわかるのも早くて明日だと言われ、さくらはがっかりして帰路についた。
もう五日待ってみるか、とため息をついて試衛館の門をくぐると、庭先に何か黒い物が転がっているのが見えた。不審に思い、さくらは庭の方へ足を運んだ。
「お、お里江!?」
さくらは急いで里江に駆け寄った。黒い物体は倒れた里江の頭だった。
「おい、どうしたんだ、お里江!」
里江を仰向けに転がすと、首筋から血を流し、意識を失っているのがわかった。手には短刀を握っている。
「誰か!誰か来てくれ!!」さくらは叫びながら、咄嗟に干してあった洗濯物の手ぬぐいを取り、里江の首に当てた。白い手ぬぐいがあっという間に赤くなった。
「どしたんですか、さくらさん!?」最初に現れたのは平助だった。
「お、お里江ちゃん!?」
「平助、すぐに医者を呼んできてくれ!お里江はまだ生きてる!」
「わ、わかりました!」平助は踵を返して走っていった。
次に歳三が駆けつけてきた。
「里江…!?さくら、どういうことだ」
「わからない。出かけて帰ってきたらお里江が倒れてて…とにかく、まだ息はある。平助が今医者を呼びに行ってる」さくらは手ぬぐいで里江の傷を抑えながら、動揺の色を隠さず言った。
「まさか…!」
歳三はそう言うと先程の平助とは反対方向に向かって大きな足音を立てながら行ってしまった。
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