浅葱色の桜

初音

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試衛館の新たな住人たち①

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 文久二(一八六二)年 春

 勇の襲名披露から半年。さくら達を取り巻く試衛館の環境には少なからぬ変化が起きていた。
 まず、周斎・キチ夫婦は隠居して試衛館から歩いて二十分程度の邸宅に引っ越していた。
 その空いた場所をいいことに左之助、平助、新八の三人が住み込んでいた。新八は自分が務めるはずだった知人の道場の師範役を市川にあっさりと譲り、試衛館を選んだのだった。それは山南と同じく、改めて行った勇との試合を通しての選択だった。
 平助、新八、とさくらたちが下の名前で呼ぶ程には彼らはさくら達と馴染み、共に稽古をしていた。山南の事だけは、年長者であるからか、先生然とした雰囲気がそうさせるのか、皆「山南ヤマナミさん」もしくは「サンナンさん」と呼んでいた。
 そして、花嫁修行と奉公を兼ねて、佐藤彦五郎の姪・里江が住み込みで試衛館での家事を手伝っていた。ツネがお産で万全の体調ではなかったため、人手を寄越してもらえることは試衛館の面々にとってもありがたい話だった。
 そう、増えた住人として忘れてはいけないのが、勇とツネの間に生まれた一人娘・たまである。
「さくらおばちゃんみたいに、強くなるんだぞぉ」勇はデレデレとした顔で娘を抱き、左右にゆったり揺らした。
「さくらおばちゃん…」さくらの眉間に皺が寄った。
「だってそうなるだろう。さくらはおれの姉さんなんだから」
「それはそうなのだが…」
 さくらは「おばちゃん」という響きをどうにも承伏しかねたが、たまの愛くるしい顔を見るとそんなことはどうでもよくなってしまった。
「たまちゃーん。さくらおばちゃんですよぉ」小さな頬をつつくと、たまはたちまち泣き出してしまった。
「さくらさんが触るといつも泣きますねぇ。ほら、貸してみて」平助が自分の腕を差し出すと、勇はたまを平助に託した。すると、たまはぴたりと泣き止んだ。
「なんか、悔しい」勇とさくらが言うと平助は得意げに笑った。
「僕の方がたまちゃんに歳が近いですから」
「お前…!」さくらは瞼をピクつかせた。
 平助は、野試合の日の礼儀正しさはどこへやら、今では堂々とさくらたちを「いじる」ようになっていた。歳の近い総司ともタメ口を利く間柄になり、この半年で随分試衛館での暮らしに馴染んでいた。それもまた、彼の竹を割ったような性格がさくら達に受け入れられたからでもあった。
「たまちゃんも、さくらさんみたいに剣術の稽古をさせるんですか?」隣に座っていた新八が言った。
「うん。いずれはな。どうも近藤家には女ばっかり生まれるみたいだし」勇はおかしそうに笑った。
「血が繋がってないとはいえ、目のあたりがさくらさんにそっくりですしな」新八がたまの頬に触れると、再びたまは大声で泣き始めた。
「殿方に囲まれてたまが怖がってるんですよ!奥様のところに行ってお乳を飲ませますから私に寄越してください!」
 ガラリと障子が開き、一同は声の主を見上げた。
「お里江、私まで一緒にするな」さくらは仁王立ちで立っている里江を見て冷静に突っ込みを入れた。
「あら、さくら様、失礼しました」感情の読み取れない声色で言うと、里江は平助からさっとたまを取り上げ、ツネのいる部屋に向かって行ってしまった。
「ほんと、気が強いよなぁ…」平助がつぶやいた。
「まあよく働いてくれてるんだからいいじゃないか」新八は平助と同じく、里江が去って行った方向を見た。
「お里江もきっと不安なのだろう。ここでの奉公が終わったら顔も知らない男のところへ嫁ぐのだから」
 言いながら、そう考えるとやっぱり自分は幸せ者なのだろうとさくらは思った。少なくとも、もうこの歳までくれば顔も知らない男どころか、そもそも結婚もさせられることはないのだから。
「そうそう、本題なんですけど」平助が懐から書状を取り出した。
「僕が前に入っていた伊東道場の知り合いからもらったんです。講武所の剣術師範を募集するって話で。今月末に考査があるんです。よかったら、近藤さんどうかなって」
 講武所というのは、幕府が作った旗本向けの道場であったが、その指南役は実力ある者であれば採用されるという話であった。つまり、講武所の師範になることは、勇にとって唯一にして最短の武士になれる道なのである。
「願ってもない話だが、どうかな、ってそんな簡単に名乗りを上げられるものなのか?」勇が書状を受け取り、広げて読み始めた。
「江戸にある道場の主またはそれに準ずる位のある者を広く募集し、考査の末に剣術師範、柔術師範、砲術師範を決定する…」
「お!道場主に準ずる!ならば私も応募できるのか!? 」さくらはぱっと顔を輝かせた。
「いやぁ…さくらさんは…どうですかねぇ…」平助が言いづらそうに言った。
「ふん、私が女子だからとでも言うんだろう。でもここには男でないといけないとは書いてないではないか」さくらは勇の持っている書状を指差した。
「いや、それはまさか女子が来るとは思ってないからだと思いますけど…」平助はなおも言いづらそうな調子で続けた。
「でしょうな。さくらさん、ここにいる誰もが、さくらさんを対等な剣客だと認めています。ですが、外の人間となれば話は別だ。門前払いを食らう可能性もあるでしょう」新八も続けた。
 さくらはぐぬぬ、と唇を噛んだ。新八の言うことはもっともであった。
 しばらく考え込む様子のさくらを、勇たち三人はなんとなくハラハラしながら見守った。
「いや、行くだけ行こう!勇、私が門前払いを食らったら骨は拾ってくれ」
「…うん、それでこそさくらだな!」勇は満足そうに笑った。

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