39 / 205
行き倒れの男①
しおりを挟む山南は試衛館にほど近い長屋に居を構え、毎日のように稽古に来ていた。仙台藩のれっきとした武士の家系の出であったせいか、山南にはまさに文武両道という言葉が相応しく、剣術の稽古でも、学問においても試衛館に新たな風を送り込んでいた。
特に勇やさくらは普段あまり話題にしていなかった世の中の情勢や学問の話を山南から聞くにつれ、自分の見識も広がるような新鮮な気持ちを味わっていた。
そんなある日、珍しいものを手に入れた、というので勇とさくらは山南の長屋を訪れていた。
「これが、世界地図です」
山南は大きな紙を広げて、勇とさくらに見せた。
「世界…地図??」見せられた二人は意味がわからない、といった表情で紙を眺めた。
「そうです。私も実際に見るのは初めてなんですけどね。横浜あたりでは結構出回っているみたいなんです」山南はそう言うと、地図の右端を指差した。
「これが、日本列島だそうです」
「えっ!」
二人は地図の真ん中に描かれた菱形の大陸と逆三角形の大陸、つまりユーラシア大陸とアフリカ大陸、そしてそのまた左で縦に二つ連なる三角形の南北アメリカ大陸ばかり見ていた。
「嘘ですよね。日本がこんなに小さかったら、こっちの大陸の大きさはおかしいじゃないですか」さくらはやだなぁ、と言わんばかりにははは、と笑った。
「うーん、でもさくら、よく見てみろよ。この島のここ、薩摩のあるところだろう…?」
さくらは九州を見た。さすがにさくらも勇も日本列島がだいたいどんな形かは知っていたが、小さな九州と小さな四国を見ると、これが日本列島だと認めざるを得なかった。
「ちなみに、これがメリケン」山南が左の大陸を指差した。
「え、これが全部、メリケンなんですか…?」さくらはぽかんと口を開けた。
「全部、というわけではないようなのですが、少なくともこの右半分あたりはメリケンの土地のようですね」
「それでも、日本よりはるかに大きい…」勇も目を丸くした。
「ですからね、今、攘夷攘夷とは言いますけど、闇雲に追い払おうとしてもこんな大きな国を相手にしていたら返り討ちに合うだけなんです」山南は声の調子を落とした。
「そ、それじゃあ、日本はこのまま異国に乗っ取られてしまうんですか??」さくらは前のめりになって聞いた。
「もちろん、そうやすやすと異国の力に屈するわけにはいきません。今まさに目指しているのが、公武合体。公方様と天子様が協力して日本を強くして異国と渡り合おうとしているものです」
勇とさくらはうんうんと頷いた。
「ですから、先の井伊大老の事件のように、短絡的にご公儀の役人を斬ったりしている場合ではないのです。日本人同士、協力しなければ」
勇とさくらは、山南のそんな話をただ黙って聞いていた。
「ただいま帰りましたー」
山南の家で数冊の本を借り、勇とさくらが試衛館に帰ると、歳三が土間の上がり框に腰掛けて薬の整理をしていた。
歳三は天然理心流入門後も、時々石田散薬の在庫を近所で売りさばいていたのだった。
「おう」歳三は二人をちらりと見やると、また薬箱に視線を落とした。
さくらは歳三の隣に座ると興奮気味にまくし立てた。
「歳三!山南さんはすごいぞ!世界地図っていうのを見せてもらったんだがな、あんなに世界が広いなんて私は知らなかった!歳三も今度見せてもらったらいい!あれを見たら物の見方が変わるぞ!」
「ったく、山南山南うるせえな」歳三はぼそっと言った。
「なんでお前はそう山南さんを毛嫌いするんだ」
なあ?と、さくらは勇に同意を求めた。
「うーん、ほら、トシは基本的に初対面の人を警戒するよな。さくらとも最初仲が悪かったわけだし」
「今だって別に仲良しこよしってわけじゃねえけどな」歳三がふんっと鼻を鳴らした。
「ほんっとお前はかわいくないな」さくらは眉間にシワを寄せた。
「まあいいや。とにかく、今日は稽古休みだし、山南さんに借りた本を読むんだ私は」
さくらはにっと笑って借りた本を数冊歳三に見せた。
「さくらが本だって?もう夏だってのに雪でも降ったらどうすんだ」
「うるさいな。どの道私は世にも珍しい剣術を嗜む女子なのだから、学問文学を嗜んだって雪は降らない」さくらは得意気に言った。
「女がどうとか今は関係ねえんだよ。剣術バカのお前が本なんか読んだら雪が降るって言ってんだ」
「バカとはなんだ。百歩譲ってそうだとしても、これからこの本で賢くなるんだからそんなこと言われる筋合いはない」
「はいはいはい、二人ともその辺で」
勇がさくらと歳三の間に割って入った。
「もうなんでお前たちはいつもそうなんだ」
「歳三が勝手にピリピリしているだけではないか。おおかた山南さんが賢くて爽やかなのが気に入らないんだろう」さくらはからかうようににやにやと歳三を見ると、立ち上がって自室に戻っていった。
「どうしたんだよトシ。さくらの言う通り、お前の方から喧嘩をふっかけてるように見えるぞ」再び薬箱の整理を始めた歳三を見ながら勇が言った。
「別に、そんなんじゃねえよ」
「確かに山南さんはお前と真逆の人だけど、何も山南さんの方が優れた人物だというわけじゃない。トシにはトシらしい良いところがあるし」
勇は心からそう思って助け舟を出したつもりだったが、歳三は黙り込んでしまった。
やがて歳三が「そういう問題じゃ…」と反論しかけた時、ドタドタと足音がした。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
紫苑の誠
卯月さくら
歴史・時代
あなたの生きる理由になりたい。
これは、心を閉ざし復讐に生きる一人の少女と、誠の旗印のもと、自分の信念を最後まで貫いて散っていった幕末の志士の物語。
※外部サイト「エブリスタ」で自身が投稿した小説を独自に加筆修正したものを投稿しています。
庚申待ちの夜
ビター
歴史・時代
江戸、両国界隈で商いをする者たち。今宵は庚申講で寄り合いがある。
乾物屋の跡継ぎの紀一郎は、同席者に高麗物屋の長子・伊織がいることを苦々しく思う。
伊織には不可思議な噂と、ある二つ名があった。
第7回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞しました。
ありがとうございます。

新撰組のものがたり
琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。
ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。
近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。
町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。
近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。
最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。
主人公は土方歳三。
彼の恋と戦いの日々がメインとなります。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる